縁(えにし)
 私は、'09/12から'13/6まで、約4年近く高校同窓会のHPを担当しました。その折、1期下の加藤佳子さんから寄稿を頂きHPに特別寄稿「縁(えにし)」と題して掲載させていただきました。

この寄稿文の前段を省略して後段の部分を引用します。

「カラオケの曲に縁(えにし)というヂェット曲がありますが、この歌もテープを頂いて覚えました。人はいろいろな縁の中で、生きて生かされているとしみじみ思います。帝国ホテルの社長の木林哲也さんがこう言われたそうです。
 
 小人は縁(えにし)に気づかず、中人は縁(えにし)を生かせず、大人は袖すり合う縁も縁(えにし)とする。

 夫が重い認知症にかかってしまったこと正直悲しいです。でも今日も主人に会いに電車を降り主人の居るホームに続く長い坂道を歩きながら考えました。自分も命ある限り、人との縁を大切に生きて行きたいと・・・・・」

 私はこの一文を読ませていただいたとき成る程と思いました。この後、彼女とは電話で話をしましたし、同窓会の総会でもお会いしました。彼女とのやりとりで頂いた小冊子で、彼女の叔父さんが私の卒業した大学の久保田重孝教授であったと知ったときは、世の中、広いようで狭いものと驚きました。私が在学していた当時久保田重孝教授は経営学科で労働科学を講じておられて、直接教わったことはありませんが、小さな大学ですから、名前とお顔位は覚えています。

 私自身も、縁(えにし)に支えられて生きてきたことを実感しています。最近、HPにも書いたのですが、1964(昭39)年9月大病を患い入院を余儀なくされましたが、就職も駄目になり、この先10年持つのかと暗澹たる気分でベットで寝ていました。退院後、しばらく家で療養していましたが、1966(昭41)年2月から勤めた事務所で今も一緒に仕事をしている今村君、村井さん、1967(昭42)年から1年間通った専門学校で増淵さん、1968(昭43)年4月から勤めた事務所で原靖雄、小倍幸雄両先輩をそれぞれ知り合いました。原靖雄先輩とは、その後、1973(昭48)年、一緒に独立して事務所を立ち上げました。2008(平20)年1月に小倍幸雄先輩、増淵さんに参加して頂き税理士法人に組織変更しました。40年近く兄事してきた原先輩は2008(平20)年7月に亡くなり、後事を託された事務所もお陰様でこういう縁(えにし)に結ばれて税理士法人として新たな出発をとするこが出来ました。

 安心して働けるようになりたい、そんなささやかな願いから中目黒の小さなビルのワンルームで始まった小さな事務所も大勢の皆さんに支えられて40年となりました。齢73、すでに枯草の身なればこの大事なことを息子や後輩達に教えておかなければと思い、老婆心ながら一文を草しました。
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