大学時代の思い出
 私の卒業した大学では私の在学した当時、入学時に14,5人の学生を一組に指導教授が付けられ、1年次、2年次と2年間ゼミがありました。このゼミが4組で1クラスとなり語学、体育の授業を受けたのです。

 私の1,2年次の指導教授は藤塚知義先生で、ゼミの様子は「恩師の思い出」に書ました。語学の授業、ゼミ、コンパとこの14,5人が学内で常時顔を合わせるのです。また語学の授業では4つのゼミが一緒になるのですから、学友間の繋がりはとても親密でした。

 このほか2年次には二、三の先生がオープンな形で教養ゼミを開講し、各ゼミからの横断的な参加を許していました。私は向山先生の教養ゼミにも参加しました。このゼミは本来のゼミとは異なり学生の人数は3,40人くらいで討論会の趣がありました。

 3年次には学生が自らゼミを選択することになるのですが、人気の先生は希望する学生が20名を超えるし、特殊な科目では4,5人となります。1,2年次そのまま同じゼミに残る学生もいるわけで、そんなこで人によっては4年間一人の先生に師事することになります。私はケインズを勉強したくて金融論の山口正吾先生のゼミを志望しました。そんなことで3,4年次の指導教授は山口正吾先生です。山口先生のことは「恩師の思い出」に書きました。

 1,2年次の授業で記憶に残っているは斎藤信治(哲学)、船田享二(法学)、上野正源(数学)、田崎篤次郎(英語)、行方昭夫(英語)、京野季吉(ドイツ語)、関楠生(ドイツ語)、平井卓郎(日本文学)、菅原正巳(統計学)の諸先生です。

 数学の上野先生は教科書に矢野健太郎著「教養の数学」を使われ、専ら論理とか命題とか記号論理の基礎的な授業でした。これは後年になってとても役に立ちました。税法の条文などは幾つかの命題に組み立て直し、合接は×、離接は+とし、それぞれの真偽に応じて1,0の値を与え全体の真偽を問うことも出来るのです。
 岡茂男先生が経済学(教養)で「意識が存在を決定するとヘーゲルが言ったことに対してマルクスが話は逆ではないか、存在が意識を決定するのだと述べた」ということを話されたが、今も深く記憶に残っています。社会科学の問題を考えるとき、何時もこの指摘が私に問いかけてきます。
 ドイツ語の関楠生先生は、当時、岩波書店の広告でシュライバー「道の文化史」の訳者であることを知ったし、京野季吉先生は「基礎ドイツ語」という雑誌の監修をされておられたようで私はこの雑誌で勉強をしていたので教室で先生にたびたび質問をしました。
 行方昭夫先生はサマセットモームのWinter Cruse「冬の船旅」を教材に使われました。丹念に英文学の作品を読んだのはこれが初めてで最後となりました。
 平井卓郎先生は授業中、旧制時代のお話をされたことがありました。土曜講座で聞いた井原西鶴が倹約力行を通じて健全なる町人倫理を説いたことを期末試験の時、マックス・ウエーバーと関連づけて気負って答案に書いたことがあります。驚いたのは返された答案が赤ペンで添削されていたことです。それも内容ではなく、何カ所かの送り仮名であったため赤面したことを覚えている。

 3,4年次の授業で記憶に残っているのは山口正吾(金融論)、向山厳(アメリカ経済論)、野口雄一郎(工業経済論)、鈴木武雄(科目名が思い出せません)、佐藤進(財政学総論)、森谷克巳(社会科学概論)の諸先生の講義です。

 鈴木武雄先生が、講義の中で「朝鮮における日本の植民地政策はイギリスなどの収奪型とは異なり投資型てあった」と話されたことは記憶に残っています。鈴木武雄先生は京城帝国大学の教授であっただけに強く印象に残っています。またマックス・ウエーバーの研究をしておられた森谷克巳先生が社会科学概論の授業で「科学は整序された知識の体系である」と定義されたくだりはこの歳になっても鮮明に覚えています。

 藤塚先生が亡くなられて大学で「藤塚先生を偲ぶ会」がありました。私も出席しました。そのおりたまたま根津育英会専務理事の荻生敬一先生とお話をする機会がありました。私は分不相応ながらこの大学は大学院を拡充するより学部教育を充実さてほしいと話しました。大学院は他の大きな総合大学にまかせて基礎的な教養教育を充実されるのが母校の旧制高校からの伝統を生かせる道ではないかとと言うのが私の個人的な意見です。アメリカでは超一流大学には少なからざる小規模な衛星の大学カレッジがあるのです。私ごときが言うのもおこがましいのですが、戦前の教育制度が沢山の問題を抱えていたことは間違いなと思うのですが、旧制高校の果たした役割はとても大きかった思うのです。3年間哲学だ、文学だ、と学ぶことは一見迂遠のようでも必要なことだと思うのです。
 顧みて我ながら分不相なことを書きました。ただこの小さな大学で学んだ4年間は私の青春の全てです。藤塚先生や山口先生始め多くの先生方から様々な教えを受けたことを考えると、これだけは書き残しておきたいものと思い一文を草しました。
戻 る