コンピューターについて思いだすこと

私が仕事としてコンピューターに関わったのは勤めていた会計事務所が1968年(?)富士通のFACOM230−10を導入し計算センターを設立した時です。この時、蒲田にある富士通システムラボラトリーの講習会に出席してコンピューターとは何か、コンピューター言語(コボル)とは何かについて研修を受けました。

事務所では会計システムとして英米式会計システムを標榜してもっぱらこれを推奨していましたので会計におけるコンピューターの利用はありませんでした。

金利計算、P/L比較表、BS比較表、所得税検算、法人税検算、減価償却計算等々において電卓などの利用では限界もあり、CANONの卓上型コンピューターBX−1を導入し、BASIC(CANON−BASIC)でプログラムを組み、事務所内では「一世を風靡」(?)しました。このBASICはインタープリッター型の典型的なBASIC言語でした。 

その後、長期不動産投資計画や長期設備投資計画等の策定等の必要に迫られて、当時リモートコンピューテイング方式を始めたTKCに加入しました。リモートコンピューテイング方式とは電話回線でモデムを介して大型コンピューターと接続し、利用するシステムですが、その端末がFACOM9450でした。このFACOM9450で使える富士通のBASIC(F−BASIC)は一度中間言語を生成するコンパイラー型でCASE文、IF THEN ELSE ENDIF文等の構造化言語を用意したものでした。

TKC計算センターの大型コンピューターからBASICで記述された会計事務所のMAS用のたくさんのプログラムをダウンロードして利用しました。ソースもプリントできましたのでプログラミング上の技法にも触れることが出来てとても有益でした。

JDLを始めて導入、本格的に会計や文書作成に利用始めました。価格が500万円(?)近くのオフコンで、入力はキーボードではなく和文タイプ方式の漢字の書かれている平面をペンでタッチするものでした。これから@台、2台と増えていきました。入力装置はアナログでしたがこれでコンピューターに抵抗がなくなたのか、2台目以降は入力はキーボードになりました。

こういう経験から日刊工業新聞社から出ていた雑誌「事務管理」に「中小企業におけるコンピューターのX型Y型利用」と題する小論文を発表しました。

この小論文の掲載は大学同期のM君が同社に勤務していてその斡旋によるものです。この掲載は思わぬ効果をもたらしました。まず最初日本経営科学協会から声が掛かり都道府県会館で開かれていたメーカー各社の担当者の研究会に呼ばれました。この会での一番驚いた質問はオフコンを導入する中小企業は販売管理システムを利用するが財務会計システムを利用しないのは何故か、という質問でした。会計事務所がこの利用を妨害しているのではないかという質問なのです。中小企業がおかれている状況、JDL社のソフトの優秀さなどを説明しましたが納得されなかったようです。最近出ている会計ソフトのほとんどがベンチャー企業で開発されている事実が如実に物語っています。何年か前にも日本の中小企業50万社が財務会計の分野でコンピューターを利用していないので経産省として国の施策として会計ソフトを作成し、提供するというプロジェックトが立ち上がりましたが頓挫したようです。ここにも中小企業の置かれていている状況についての無理解があります。次いで東京新聞の取材を受け、「今、先進の会計事務所では」と題して紹介されました。1年後だったか2年後だったか、取材を受け日本経済新聞社から刊行されている日経OA年鑑’87年販に、「統合システムよりもまず使いこなすこと。効率化を進め、サービス内容の充実で次の時代にトライ」と紹介されました。こんなことからその後、日経コンピューター誌で中小企業のコンピューターの記事が掲載される時はたびたび取材を受け、中小企業のコンピューターに関する状況をお話ししました。

私は大学を出るときに大病をしましたので同期の皆さんに1年遅れて簿記会計の知識が全くないまま会計事務所に勤めました。その後、1年勤めてから東京経営計理学校に1年通いました。原先輩も学生時代に片肺を切除するという大病を患い、この学校に通って税理士の資格を取得しました。そんなご縁でこの学校の卒業生を何名か採用していました。カリキュラムが旧態依然としていて珠算に少なからざる時間を割いていました。1980年事務局長のS先生、教務のT先生にカリキュラムを改善する必要性を進言したところ貴方もOBなのだから情報処理の講師を引き受けて欲しいとのことでやむを得ず引き受けることになりました。この学校の講師は学校が1985年廃校になるまでの4年間ほど勤めましたが私としてはとても勉強になりました。近いうちに私の講義ノートを公開したいものと考えています。

JDL社がRPG言語の講習会を開きましたのでここに参加しましたが、この導入には少なからざる費用が掛かりますし、一人でやり遂げる自信がなく断念しました。
とにかくBASIC言語でのフアイル操作の限界に直面し、dBASEUを導入しました。これならFACOM9450で直ぐ利用できると考えたのです。BASIC言語はリニアなプログラム作成は簡単ですがデータを扱うPUT、GET文は可変性がなく扱いが難しいのです。FACOM9450のOSは今は伝説となったCPM86です。

私はdBASE研究会に参加しました。ここでdBASEに関する解説書をたくさん書かれていた村山集冶さん、MSDOSに関する解説書を書かれていた福井好之さんと知り合いました。この会を主宰していたA氏が経営していたパソコン雑誌「98マガジン」の編集部の懇談会に毎月出席して、当時のパソコン雑誌のライターやパソコンマニアの皆さんと知り合いました。

こんな経緯で知り合った福井さんに事務所の技術顧問になっていただきました。この後、事務所のパソコンをFACOM9450(CPM 86)から個人的にも使っていて、一般的であったNEC(MSDOS)に変更しました。

当時のパソコン懇談会の話題はCONFIG.SYSのの設定(いかにメモリー領域を拡張するかとか)、各種ワープロソフトの優劣(VJPEN、「一太郎」がやがて頭を一つ出してくる)、エデイターの優劣(VZ、MIFES)でした。

私はFACOM9450ではエデーターとしてWORD−STARというアメリカのワープロソフトを使いましたが、NECになってからはMIFESを使っています。当時のパソコンマニアの自慢話はほんとに他愛ないものでした。

そんな中で福井さんはdBASEで業務上のソフトの開発を手がけられていてこういう方を事務所の顧問に迎えることが出来てとても有り難いことでした。

福井さんの協力を得て報酬管理システムの開発に着手しました。この過程でシステム開発の様々な問題点にぶつかりましたがとても勉強になりました。福井さんからはソースも惜しみなく提供していただきましたので私はこのなからいくつかの派生したプログラムを作る事が出来ました。福井さんには本当に感謝しています。福井さんのソースを読んでプログラム作成上の様々な技法を垣間見て構造化プログラミングなどを実地で教えていただきました。

私のコンピュータ言語の習得方法は実践的な方法で最初簡単な基礎的な本はもちろん読みますが、後はこうして提供して頂いたソースをいろいろと手を加えて覚えるわけです。もちろんマニュアルなどを参考にしますが基礎から積み上げて勉強するなどしては間に合いません。そういことで福井さんは惜しげもなくソースを提供していただきました。私はその一部から切り取って住所録のプログラムを作りました。これは事務所で現在でも利用していますし、郵便物の宛名ラベルはすべてこのソフトを利用しています。1件ごとに宛名ラベルを出力する必要性を大手の事務機メーカーにいくら説明しても耳を傾けてくれないが不思議でなりません。余談ですが、いつも有明の事務機器展などには企画部門で判断の出来る人間を出さなければ意味がないと憎まれ口をきいて帰ってきます。話はさかのぼりますが、BASIC言語の習得もM自動車の経営管理室にいた東工大数学科出身のBさん(事務所の兼松久君の高校時代の友人、兼松君は公認会計士になり現在福岡で開業しています。)にPLの比較表のプログラムを作成してもらいこのプログラムをプリントをしてBASIC言語を覚えました。この後は簡単です。銀行研修社の金利計算の本を読んで金利計算のプログラムを作成しました。法人税、所得税、減価償却計算などは格別困ることはありませんでした。とにかくリニアなプログラムは簡単です。私のコンピューター言語の習得は大体こんな方法です。HPなどは私がサーバーに送ると福井さんから不具合の箇所の対処方法のメールが来てとても助かりました。

その後、IBMのDOSVの普及に伴いdBASEもUからWへの変更にともない順次プログラムを移植しました。しかし残念ながらアシュトンテート社から引き継いだボーランド社が撤退をしてしましたので現在はWINDOWS XPのSYSTEM32にあるDOSコマンドを利用して現在も有効に稼働しています。これは後数年の運命でデータベース型のソフトに変更しなければならず頭の痛い問題です。

PCの使用台数を順次増やしマルチプラン、次いでLotus123と職員の能力向上に努めました。これらのソフトの導入で会計事務所の置かれていたコンピューターの環境は一変しました。かなりの努力を要するBASIC言語などの習得が不要となりました。

WINDOWSが出るやPCをWINDOWSマシンに順次切替、エクセル、ワード、パワーポイント等を利用しています。WINDOWSが世に出る直前、「98マガジン」の懇談会で、windowsがMSDOSに取って代わるなど考えられない、1億円賭ても良い等の話があるなどと聞きましたが今昔の感に堪えません。ICMの40メガのハードデスクを一晩がかりでフォーマットしたことなど懐かしく思い出します。

私がこれまで個人的に接続して利用していたパソコン通信PC−VAN、NIFTY−SERVEがインターネットに変貌を遂げると同時にいち早く事務所内でもインターネット環境を整備しました。2400bpsだ、4800bpsだ等で接続していた環境は今では考えられない昔の話と成りました。

無線、有線といずれも自前で事務所内にランケーブルを這わせ試行錯誤しながら取り組みました。福井顧問の助力を得て個人のHPを開設していくつかの経験を積みました。この経験はクライアントのHP開設時の助言などにとても役に立ちました。

会計システムはJDL社のコンピューターを単体で10台近く利用していました。保守、ソフト更新等の維持費が年間で600万円近く掛かり、機器本体も4年から5年でリプレースしなければならず、これが経営の重荷でした。

その頃、PC用の会計ソフトがかなり出回っていましたが、オフコンからパソコンへの方向転換は容易ではなく正直なところ苦慮していました。そんな折り、岡山のモビック社の「ひまわり」がJDL社のデータと双方向互換と言うことで案内があり、原さんと相談をして、即、方向を転換しました。その後、「ひまわり」はフリーウエイジャパン社の「標準財務会計」に引き継がれました。

e-TAX制度が始まりました。私も個人の所得税申告にこの制度を利用しましたが、国税庁のソフトでは対応できるか否か不安を感じました。JDLやTKCのシステムが頭をかすめましたが2年もしないうちにPC用の各種のソフィとも出そろい大和会計社ではNTTデータの「達人シリーズ」を導入し、非常に安価にシステムを構築しています。ただ法人クライアント380件、個人確定申告640件と中小企業に特化していますのでTKC、JDJも一部利用しています。会計ソフトも勘定奉行、弥生会計、応援財務、税務ソフトも魔方陣等クライアントに合わせて様々に対応していますが主力は標財務会計システムと達人とシステムを採用し中小企業の皆様のご要望に応えています。

あとがき
事務所の経営を後輩に委ねて気持ちが楽になりました。二、三の手伝いで暇なものですから事務所で思い出話を書いていていました。たいして役に立つ話でもないのですが自分の歩んだ跡を感傷的な気分で思い出しながら書いてきました。ただ事務所が家賃のこともあり昨年12月に目と鼻の先ですが急遽引っ越ししました。いくつかの資料や図書を整理してしまい、この一文を書いていて日付が不明であっと思いました。コンピューターの購入契約書だとか古い図書(日刊工業新聞社「事務管理」等)が丸ごとないのです。これらの日付金額などの事実は暇を見て補いますが、事務局長のT君が3ヶ月近く入院することになりましたので少しお手伝いしなければならずお遊びは少しお休みします。{’12/5/12記)


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