閑話休題
荒 茂子先生をi悼む
 天使幼稚園の創立者の一人である荒茂子先生が2005年12月12日に天国に旅立たれました。15日通夜16日告別式がカトリック藤が丘教会で行われましたが、かっての教え子の中学生や高校生も大勢参列され広い聖堂は大変な人でした。延々と続く献花の列を見ていて先生がその身を50年以上にわたって幼児教育に捧げられたことを実感しました。先生は2001年3月に天使幼稚園の理事長職、園長職を藤田多恵子先生、小林由里子先生に譲られて、第一線から退かれました。サンシテイ調布のお住まいにお訪ねした時、幼稚園の行事に時折出席するのを楽しみとしていますと話しておられました。
 葬儀の際の故人の紹介では、先生は1920年東京品川区に生まれ、1943年に結婚されたましたが、ご主人がフイリッピンで戦死され、1948年洗足教会付属白百合幼稚園開園と同時に奉職されたということです。  私が先生と知り合ったのは洗足教会付属白百合幼稚園時代でした。塚本神父が第一線を退かれたときいろいろな事情から先生も白百合幼稚園を辞められました。その後、田園都市沿線で幼児教育を塚本神父と始めることになりました。私は園地を探すお手伝いをしたり、学校法人化のお手伝いをしたりと、会計の仕事を通して天使幼稚園と関わって来ました。
何時だったか日曜日に用事で幼稚園に出掛けたことがありました。先生とお話をしている時、電話が鳴り先生のお話の様子を傍らで聞いていたことがありました。電話の相手は白百合時代の教え子のようで青葉台に住むようになって自分の子供を天使園に入園させたいというような話でした。電話が終わった先生は嬉しそうでした。幼稚園からの駅への帰り道、「先生はチップス先生だ。」と思いました。こういう人の繋がりが私立の学校の良さであると思うのです。とにかく教育は単に知識を教えるだけではなく人格的な触れ合いを通して人間を育てるということが大事だとつくづく考えます。幼稚園の場合、小さな子供の視線を常に先生に向けさせるというのはとても技量の要ることであり、教室で子供の注意力を惹きつけるにはピアノがとても大事で、これが弾けなければ幼稚園の先生は務まりませんとおっしゃておられました。入園して2,3年となると先生の言うことをそれなり理解するのだから教育とは凄いものだと思うのです。とにかく私ごとき門外漢が言うのはおこがましいのですが、教育は手間のかかる仕事でただ効率優先で知識を教え込むことは不可能なことです。先生はそういう幼児教育の現場に第一線で50年以上にわたって携わられました。先生はある意味では戦争の犠牲者だったと思いますが、でもそんな境遇を一度も嘆いたりしたことを聞いたたことがありませんでした。ただひたむきに幼児教育に全身全霊を捧げられたのです。分不相応ながら私は一人の女性が、教育者として見事に戦後を生き抜かれたことを知って欲しいと考えて一文を草しました。
 出棺の際、教会の玄関ホ−ルで隣におられた顧問の菅原卓馬先生と一寸と立ち話でしたが、「今のスタッフは優秀でよくやっています。」とおっしゃられていました。荒先生、塚本神父と先生が築かれて育てられた天使園を藤田先生や小林先生が一生懸命に守り充実させておられます。どうかご安心下さい。先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。
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