山のことあれこれ
私の社会科見学
 今週の土曜日は晴れたが3週も続けて山に行くとなると気が進まない。かといって家にいても退屈だ。そうなるとまだ利用していない「りんかい線」に乗って有明国際展示場で開催されている文具展を覗いて帰りがけは評判の「大江戸温泉物語」で一浴びしてこようというわけだ。家内を誘うが断られた。家内は千葉に住んでいる姉と月に1,2回有楽町で会って食事をしたりお芝居を見るのを楽しみにしている。私がいないほうがパッチワ−クにも専念できるし、日帰りのお風呂など慌しくいていやだという。そんなお金があれば別のお芝居を見たいという。こうなると一人だ。ザックに着替えを入れて一人で出かけた。文具展を覗いたがいろいろな面白い文具の小物が出展されていてついつい3時間近く時間をつぶした。テレコムセンタ−駅で降りて「大江戸温泉物語」に向かったが同じ方向に若い女性が何人か歩いてゆくのですぐに所在はわかった。施設内は変わった配置でお風呂に入るまで戸惑うことばかりであったが風呂は格別のことはない。ただ風呂に入っていて自分はどうしてこんなに何にでも興味があるのかと苦笑してしまった。仕事柄というのは言い訳でどうも育った環境がそうさせているようだ。

 中学に入ったばかりの4月に上機嫌で酒を飲んでいた父からこの1年間に使う参考書を札幌か旭川に一人で行って買ってくること、その1日を「私の社会科見学」と題して作文を書くことを申し渡された。私の父は家では普段子供と話すこともないが酒が入ると人が変わったように育った環境のことはよく話していた。これは父の劣等感のなせる業でなんとなく理解できた。酒は弱いが飲み出したら止まらない。吹雪のときでもスキ−で町まで追加の酒を買いに行かされた事もあった。住んでいたのは学校の敷地内にある教員住宅で定時制(昼間)農業高校の教頭職(校長は近くの道立高校長が兼務)となると暇なもので家では酒を飲むか壁にもたれて「文芸春秋」を読んでいたのが記憶に残っている。一切家庭的なことは何もしない人で今考えると何をしていたのか不思議に思うような毎日であった。お隣が中学校の校長I先生と教頭のA先生でI先生は酒を飲まないのでもっぱらA先生と土曜日の夜などは定期的に我が家で酒を飲んで二人で学校のことを話していた。狭い家で聞くともなしに聞いてしまうのでのでこれは中学生の私にとっては教育上感心出来ないことであった。また一人で飲むときは酔いが進めば私を前に座らせて劣等感の裏返しであろうか気炎をあげるのが常であった。今にして思えば相当なる鬱積したものがあったのであろうと思う。町までは少し距離があるし、狭い田舎の町で教育者の立場もあるので母の苦労は大変なものであった。そんなことで母はもっぱら私に父の相手をさせたのだ。1年間に使う参考書を買うのだが2年、3年になると参考書以外にも吉田洋一著「零の発見」(岩波新書)、小倉金之助訳カジョリ「初等数学史」、矢島祐利訳「科学の歴史」(岩波書店)等中学生が読んでどの程度理解できるかわからないが気負って買ってきた。大学に入ったとき履修案内を見て驚いた。自然科学の選択科目に科学史がありその教科書にこの「科学の歴史」が挙げられていたことだ。ただ残念ながら私の年度から自然科学系から科学史が無くなった。作文もわかり易いやさしい言葉で書くことをしきりに強調していた。博覧博識で達意の文章を書く政治家の若槻礼次郎の名前を聞いたのもこんな酒の相手をさせられていたときだ。学校で3月の卒業式で在校生が読む送辞、卒業生が読む答辞には手を加えやさしい文言に変えたということを自慢していた。記憶に残っているのは「春うらら・・・」という文言を「春告魚(ニシン)が取れる季節になりました」と変えたということだ。こんなに雪がまだ軒先まで残っている北海道の3月で「春うらら・・・」とは何を言っているかと怪気炎を挙げていた。そんなことで学年の始まりに札幌や旭川に出かけて本を買ってくるのは高校に入っても続いた。ただ作文は中学生までで高校生になると勘弁して貰った。最初は不安で駅で何度も時間を確かめたりもしたが、慣れてくると興味深々で札幌や旭川の市内をあちらこちらと歩き回った。高校生になると札幌では画廊を覗いたりしていっぱしの大人の気分であった。そんなこともあって私はあちらこちら見て歩くのが好きだし、新しいものにはなんでも興味がある。また文章を書くときは何時も平易な言葉で書くことを心がけている。こうして私の社会科見学は今でも続いている。三つ子の魂百までというは本当だ。

 肝心のこの「大江戸温泉物語」の感想だが私は入場料2800円、湯上りの後、枝豆、生ビ−ル、うどんを食べて結局5000円近く散財した。岩風呂、砂風呂は別料金でそれぞれ1600円(40分以内)別料金で支払わなければならない。運営システムは箱根小湧園のシステムに比べて旧式で従業員の姿がやけに多く採算はどうだろうかと思った。正直なところ何度も来たいところかと疑問に感じた。どれだけリピ−タ−がいるものか疑問だ。余計なお世話か。何よりも山歩きの後、汗をびっしょりかいて風呂に入る爽快感がまるでない。ただ百聞は一見に如かずという。暇のある向きは一度お試しあれ。(03/7/6記)

追記:この後、12日(土)5時にはクライアントの相談事で出かけなければならないし、3時には家内が中野サンプラザに知人と出かけるという。こうなると小石川温泉だ。正確にはSpa LaQuaという。物好きにも出かける。後楽園遊園地の中にあってこの4月にオ-プンした施設だ。入場料は2300円だ。休日は4時間の時間制限があって超過すれば1時間800円が追加されるという。施設は全体になかなかセンスがある。浴槽、サウナ、シャワ−などなかなか洒落ている。「大江戸温泉物語」とは対照的だ。運営システムも入場の際に渡されるリストバンドでロッカ-から自販機まで使用可能となる方式で優れている。別料金300円を支払って別の階にあるヒ-リングゾ−ンを利用してみたが洒落てはいるがコンセプトがはっきりしないように思う。とにかく今は無くなった馬込温泉等を利用したがことがあるが、ただお湯につかるという単純なことがこんなにさまざまなバリエ−ションを持って変わってきたことに驚くばかりだ。新しいことはいい事だとばかりに無批判に飛びつく訳にも行かないが、かといって時代の変化に一切背を向けることも出来まい。やはりイギリス流の「歩きながら考える」ということが大事なのだろうと思う。物好きだ、物好きだと家人や弟妹たちから揶揄されるがこんなことを口実に社会科見学を続けている。(03/7/12記)


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