山のことあれこれ
日本百名山
 日本百名山とは小説家の深田久弥が日本全国の山から選んだ名山百山をいう。その選定の基準は第一は山の品格、第二に山の歴史、第三は個性のある山、そして附加的条件として、高さが大よそ千五百米以上という線を引いて深田久弥が選んだ山、百山が日本百名山だ。その所在は北海道9座、東北14座、関東甲信越58座、中部8座、近畿2座、中国1座、四国2座、九州6座と全国にまたがるが関東甲信越が圧倒的に多い。
これを目指して登る人が多い。大体が普段は地元の山を歩いていて天候の安定した夏から初秋に百名山に登るようだ。旅行会社が百名山ツア−を企画しているのでこれに参加する人もいる。私の山歩きの契機は百名山の筑波山、雲取山に登ったことであったが、この時は百名山なる言葉も知らず息子と登った。これが病みつきとなり山歩きがかけがえのない趣味となった。最初は昭文社版の「丹沢」図の登山道、林道の全てを歩き赤線を塗るという目標で歩いた。ただ同じ山域を10年も歩いていると次第に贅沢となり夏の低山は暑くてとても登れたものではないなどといっぱしの口を利いてしまう。また目先を変えてみたいという気持もある。そんなことから夏、秋は遠出をする。乏しい小遣いで出かけるとなるとどうしても知られた山ということになる。そしてどうせ登るなら自然と百名山を意識するのも事実だ。今夏は、四阿山、平が岳、雨飾山、苗場山、巻機山と登った。そんなことでこの10年間に登った私の百名山も数えてみれば46座となる。夏の一時期これらの山域の山小屋は全国から集まる人でにぎわうが、この山で80だ、90だ、等と聞くと驚くばかりだ。しかもその大半が中年女性、男性は年配者となるとなお驚く。大阪、九州、広島、岡山から来られた方と山小屋で同宿したが交通費だけでも大変なものだろう。北アルプスのように一つの山域に百名山が幾つもあるところでは縦走することで三つから四つをこなせるが、少し山域が離れている場合は登っておりてとレンチャンとなる。一つの百名山に登る時ついでにニ、三の百名山をこなそうという訳で、例えば会津駒ケ岳、平が岳、燧ケ岳、至仏山となれば、この山域に入った機会に一度に登ってしまおうというわけだ。しかしこれはそうとに疲れる。斯様なことで何故こんなにも百名山に拘るのかと思うこともある。山を趣味としている人の中にはこういう風潮に批判的な人もいるのも事実だ。ただなにか目標というか、拘りがなければ続かないのかもしれない。一般的に言えば趣味とは往々に相したものでこれも人情といえば人情だろう。ただ百名山完登は経済的時間的余裕がなければなかなか出来ないことだ。
私は自分なり楽しめればいいではないかと考えているので、普段は丹沢を歩き、夏から秋に時々ほかの山域を歩く。この他の山域の中に百名山があれば上々としている

追補(2018/7
こうして登った私の百名山も年次別に数え上げると次のようになります。
91年(1) 雲取山
92年(1) 八が岳
94年(7) 富士山、金峰山、瑞?山、甲斐駒が岳、仙丈岳、北岳、間ノ岳
95年(4) 谷川岳、木曽駒が岳、空木岳、鳳凰山
96年(5) 白馬岳、五竜岳、鹿島槍が岳、常念岳、大菩薩岳
97年(8) 天城山、男体山、奥白根山、赤城山、槍が岳、穂高岳、両神山、甲武信岳
98年(9) 剣岳、立山、会津駒が岳、越後駒が岳、燧岳、至仏山、高妻山、皇海山、武尊山
99年(4) 黒部五郎岳、黒岳、鷲羽岳、笠が岳
00年(5) 平が岳、巻機山、雨飾山、苗場山、四阿山
01年(6) 薬師岳、越後駒が岳、妙高山、火打山、吾妻山、蓼科山
02年(3) 利尻山遊、飯豊山、那須岳
03年(2) 月山、安達太良山
05年(2) 大雪山、鳥海山遊
06年(1) 磐梯山
07年(3) 早池峰、八幡平、黒斑山,
08年(2) 草津白根山、御嶽山
09年(3) 乗鞍岳、石鎚山、剣山
10年(1) 白山
14年(1) 霧ヶ峰
18年(1) 美ヶ原
番外編(3) 丹沢山、岩木山、筑波山
合計72座です
 
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