丹沢のボッカ道
 山小屋があれば当然そこに働く人も登る。食料も運ばなければならない。これを毎週か、毎月か繰り返すわけだから、大変な仕事だ。小屋の荷揚げは最近ではヘリコプターが使われるようだが1回の荷揚げに30万から50万円位かかると聞いている。そう頻繁に利用するというわけにはいかない。やはり人の背によることが多いのであろう。そうなるとボッカに使う道はある程度のところまで車が入れること、距離が短いことが条件となる。
 一般の登山者とは別の道があるのではないかと考えるようになったきっかけ92年11月、西丹沢自然教室からツツジ新道を利用して檜洞丸に登った時のことだ。展望園地の少し手前で背負い子の年輩の方が先を歩いている。おやっと、一瞬、不思議な感じがした。突然前を歩いているのだ。どこから登ったのか。どこか途中からこの道に合流したことだけは間違いないと思った。この後、私は檜洞丸の山頂へ、この人は巻き道を歩いて行くのが見えた。山頂で休憩して展望を楽しんだ後、下って青ケ岳山荘に入ると先程の人がストーブの前に座っておられるではないか。この方が青ケ岳山荘の主、高木さんだ。この後、何回か泊まっているが舞台裏の話を聞くようで何となく遠慮をしていた。とにかく高木さんはどこから登られたのだろうか。
 96年4月にこの長い間の疑念をはらしたいと、犬越路から檜洞丸への道を登り隧道の北側におりてトンネルを歩く。車道をくだる途中、林道の入口をみた。これが東沢林道だ。ここのどこかから登っているのだ。とうとう林道の終端まで来た。とにかく長い。林道の終端に「県有林巡視路立入禁止」の標識が見える。ここだ。間違いない。好奇心が先立ち、「禁止」の文字など眼中にない。斜面に取り付き歩き出す。10分も歩いたであろうか、見慣れた道に出た。やはりそうだった。ツツジ新道に出たのだ。やっと長い間の疑念がはれた。納得だ。
 こんな経験から山小屋の人達は地図に記載のない道を利用しているのではないと考えるようになった。蛭ケ岳の蛭ケ岳山荘は吉良さんの時は熊木沢の東沢堰堤からの直登のコ−スを利用していた。熊木沢出会までは林道もあるし、堰堤までは四駆車なら入れる。若いボッカの後をついて登ったことがあるがこの道は最短ではあるがなかなかきつい。熊木沢出会から箒杉沢の尊仏ノ土平手前まで荒れてはいるが道がある。塔ノ岳の尊仏山荘も尊仏ノ土平からなら1時間3分だ。ボッカ道に使っているという噂話は聞いているが確かめたわけではない。丹沢山のみやま山荘は天王寺尾根だ。塩水橋から堂平まで車を利用すれば1時間で行ける。学生さんが四、五人でボッカをしているのに出会ったが、中に女の子がいたのには驚いた。表尾根の木ノ又小屋、大日茶屋は政次郎尾根、書策小屋は当然書策新道だろうが場合によれば政次郎尾根を利用するだろう。尊仏山荘、花立山荘は天神尾根だろう。政次郎尾根も天神尾根も、いずれも戸沢出会までは車で入れる。堀山の家は小草平から二俣までの道を利用しているのではないか。後山林道を使えば勘七ノ沢の手前に車がおける。鍋割山の鍋割山荘もこの林道を利用している。林道の一番奥で草野さんの四駆車をみるから間違いない。駒止茶屋、見晴小屋、観音茶屋は大倉尾根だろう。いずれも地図には記載がある。観音茶屋の前から沢沿いにくだる道がある。この道は水無寮の前の車道に出るので車が利用できる。丹沢のボッカ道はこの位かと思っていたが、最近、表尾根の烏尾山荘が地図に記載のない道を利用していると聞いた。これは見過ごすことは出来ない。確かめなければならない。早速、出かける。大倉から水無林道を歩き、新茅山荘の手前の林道に入る。12分位歩くと橋がある。林道から崩れ落ちて集められた砂利が山のように積まれている。この右岸から沢沿いに登ると階段になっていておやとおもう。植林の作業道かもしれない。この道の要所要所にテ−プがあり歩きやすい道だ。30分も登れば杉の植林地の中で登山道に出会う。この道は時間も距離も少し長いが歩き易い。この道はくだりに使えば林道を利用して牛首経由で山岳センターにおりられる。このコースも楽しめる。とにかく山小屋がボッカに利用する地図に記載のない道はいわば舞台裏の生活の道だ。利用する場合は心して利用したい。(新ハイキング誌'99年1月号掲載)


戻る