山のことあれこれ

後輩のI君を追悼する
 今夜、毎年恒例の花のスライドショーが木の又小屋で開催される。それに先立ち花の観察会だ。大倉に9時に集合して、西山林道、後沢乗越、鍋割山稜、塔の岳、木の又小屋と花の観察をしながら歩くのだ。8時10分大倉に到着する。今日の講師のTさんが来る。やがてAさん、Sさんご夫婦、K先生と顔見知りが集まる。このほか初顔の方が数人加わり総勢12名だ。大倉を歩き出してから直ぐに畑の畔に咲く花を見ては解説が始まる。林道でも次ぎから次ぎに花の名前が出てくる。とっても覚えられるものではない。とりわけ後沢乗越の手前の植林地でTさんが標識を付けていたのであろう。これがクモキリソウと教えられたときは感激をした。こんなところにクモキリソウがあるのだ。いつもはただ単調な道とばかりで黙々と歩くばかりであったが、来年この時期に歩くときは楽しみが増えそうだ。鍋割山稜を歩いているときTさん登山道から一片の花びらを拾い上げる。ハンショウツルがあるなと言って辺りを見上げる。果せるかな登山道脇の木の枝にあった。成る程、こんな風に探すのかと感心するばかりだ。夜はTさんの解説でスライドを見る。これは今日見ましたというが、どこで見たのかとても思い出せない。とにかく今日実地に見て一番印象に残ったクモキリソウ、ハンショウツル、ヤマオダマキだけはなんとか覚えたい花だ。

 夜半、ふっと目が覚める。雨が小屋の屋根をたたいている。かなり降っている気配だ。昼間の疲れから知らないうちにまた寝入ってしまった。物音に目が覚めてあたりを見まわせばほとんどの人が起きて誰もいない。階下からにぎやかな声が聞こえる。あわてて身支度をする。やがて食卓が皆さんの手で用意されて食事が始まる。食事が終わればコ-ヒーを頼む人、出発の準備をする人と小屋の中はあわただしい。ひとしきりすると皆さんがそれぞれに小屋を出発される。Sさんご夫婦は塔ノ岳から大倉尾根だそうだ。Tさんは政次郎尾根から大倉だ。雨ともなると一番無難な政次郎尾根をくだって帰るほかあるまい。遅れて私もひとり雨の中を歩き出す。ひとりで歩くとこの一ヶ月の出来事が思い出される。I君が突然倒れ、そのまま一度も意識が戻ることなく亡くなったのだ。事務所がはじまってまもない頃、W先生の紹介で採用した所員だ。以来23年間苦労を共にしてきた後輩だ。彼が突然5月31日事務所で倒れた。救急車で慶応病院に搬送され集中治療室で治療を受けたが一度も意識が戻ることなく6月11日亡くなった。病因はくも膜下出血だ。享年46歳。I君のことがあれこれ思い出される。6年前、AさんM君I君と鍋割山に登った。あれから何度誘ってもこなかった。よほど疲れてこりてしまったのであろうか。オートバイの免許を取ってからは都内の銅像を写真に撮ったり、デジカメで撮った画像をパソコンにのせたりと楽しんでいた。ギターを弾いたり楽譜をコンピューターに入力して音楽を聴いたりと多芸多趣味で器用な人間だった。事務所の慰安旅行ではビデオを抱えて先になったり後になったりと大忙しの記録係であった。何時頃からからか酒量が増え出したようだ。事務所で帰りがけビールを飲むともう止まらない。そんなことがあれこれと思い出される。こんなに早く死に急ぐ必要もなかったのにと思う。これも詮方無い話しだ。顔をあげて見渡しても表尾根の稜線には人影はない。雨が音もなく降っている。ふっと目をつぶると蓮如上人の白骨の御文が聞こえてくる。

 夫、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おおよそはかなきものは、この世の始中終まぼろしのごとくなる一期なり。されば、いまだ万歳の人身をうけたりといふ事をきかず。一生すぎやすし。いまにいたりて、だれか百年の形体をたもつべきや。我やさき、人やさき、きょうともしらず、あすともしらず、おくれさきだつ人は、もとのしづく、すえの露よりもしげしといへり。されば、朝には紅顔ありて、夕べには白骨となれる身なり。すでに無常の風きたりぬれば、すなはちふたつのまなこたちまちにとじ、ひとつのいきながくたえんれば、紅顔むなしく変じて、桃李のよそほいをうしないぬるときは、六親眷属あつまりて、なげきかなしめども、更にその甲斐あるべからず、さてしもあるべき事ならねばとて、野外におくりて、夜半のけぶりとなしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。あわれというも中々おろかなり。されば、人間のはかなき事は、老少不定のさかいなれば、だれの人も、はやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、念仏もうすべきなり。あなかしこあなかしこ。

 かく云う私も後何年、こうして山歩きができるのであろうか。突然倒れるかもしれない。仏教でいう諸行無常という言葉はただ情念としての概念ではない。事実としての概念だ。というのもこの世に存在するすべてのものが永遠にその姿を変えないということはないのだ。今日元気でいても明日も元気でいれるという保証はないのだ。
しかしこのことが世をはなむということではない。その事実を素直に見詰めなければならない。この一点の思いから一日一日を大事にして生きなければならいのだ。

「中世以降日本において無常の観念が非常に深まってゆきます。その代表が鴨長明の「方丈記」であり、吉田兼好の「徒然草」でしょう。そこには、無常だから世を捨てる、世はかなむと言う無常観が色濃く出されています。ある意味では、滅びの美学みたいなものがあり、無常だから世をはかなんでやまにこもり世捨て人になると言う無常観なのです。ところが蓮如上人の無常観というのは、それとはかなり趣が違うのです。蓮如上人は、けっして世をはかなんだ人ではないのです。蓮如上人は、終世人間世界のどろどろとした中で生きておられた人で、けっして世捨て人ではないのです。それでは蓮如上人がいわれる無常というのはどんな無常かといいますと、無常なるがゆえに世をはかなむのではなくて、無常である事実を直視せよということなのです。人は死すべき身であり、形あるものは、かならず滅んでいくのだ。だから今を生きるのだということです。無常ということによって、人間の我執、執着を離れていく、とらわれを否定するというのが、蓮如上人の無常観なのです。「御文」の中に出てくる言葉といいますと、「ゆめまぼろし」だとか、「電光朝露」とか、「浮生」とか、「あだなる人間界」「老少不定」ということばが出てきます。そういうことばでいおうとされていることは、常であるというわれわれの思い、あるいは妄想を破りなさいということなのです。老いない、病にならない、死なないという妄想が厳粛なる事実、死という事実を見つれば否定されてくる。つまり老いない、病まない、死なないという妄想が、無常なる事実に触れることによって、老いてあたりまえだ、病んであたりまえだ、死んであたりまえだというところに立てるようになるのです。そのように常を願う妄想を破り、正しく事実を見つめる立場にたつことによって、私たちははじめて病を引き受けていくことができるようになるのです。つまり、老いてあたりまえだというところに立って、はじめて老いが引き受けていけるわけなのです。」
(田代俊孝「御文に学ぶ」)

そんなことを考えながら雨の中を無心に歩く。昨日は皆さんと賑やかに鍋割山稜の花を見ながら歩いた。今日は雨の中をひとり歩く。一回りも年下の人間に先に行かれるとさびしさがこみ上げる。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。顔をあげてあたりを見回す。雨雲に覆われて何も見えない。寂寥感が身にしみる。老いてあたりまえ、病んであたりまえ、死んであたりまえとは言っても、さびしいな、さびしいなと思わず声が出る。I君よ安らかに眠れ。合掌
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