藤塚知義先生
 大学に入った4月の1週目だったか、2週目だったかの金曜日の午後、本館左ウイング3階にある教授室で指導教授藤塚知義先生とゼミ生12名が初めて顔を合わせました。先生はこの12名は生まれも育ちも様々だが、こうして一緒に4年間学ぶことになりました。大いに議論をしてくださいと話され、次いでロゴスという言葉を説明されました。自分の発した言葉が自分に向き合うといういうことを話されました。対話と言うことが学問にとってとても大事なことであり、学者は自問自答しながら学問をしていますと話されました。長州一二「日本経済入門」の1章ごとに割り当てられて、報告の後、議論をするのです。先生は未熟な学生達の議論に辛抱強く耳を傾けられ、議論が錯綜すると柳瀬君の言いたいことはこういうことでしょうと整理をされるのです。時には3時間4時間にもなりました。私は先生の学問には全く関心がなくマックス・ウエーバーを手掛かりに雑学に熱を上げていました。先生は「アダムスミス革命」という著書で経済学説史家として知られた方ですが、私は副題のfur sich、an sich云々の字句を見て何故か先生の学問に触れることはありませんでした。後年、先生はトウックの物価史の翻訳、学説史上の論文等厳密な論理を重ねるたくさんの業績を上げられたようです。2年次に経済白書総論を読まされたときは少し驚きました。学者中の学者のような先生がこういうトピックな教材を採用されたのです。コンパの折、学者の世界の裏話もお聴きしましたし、藤塚の家は塩竃の神官の出ですとおっしゃっておられたのが記憶に残っています。そんな先生が未熟な学生の議論に何時間も付き合い議論を整理され学生を指導されたのですから藤塚先生は私にとっては未だに仰ぎ見る存在であり、忘れられない恩師です。

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