山からの短信
 1999年の記録
203.1999/1/2浅間嶺

家でぶらぶらしていても仕方がない。つまみ食いで体重が気にかかる。天気も良いので軽い山歩きだ。

204.1999/1/9沼津アルプス

市街地の背後に低山が連なる。沼津アルプスとは良くぞ名付けたものだ。結構上り下りあり楽しめる。

205.1999/1/16〜17塔ノ岳

ホソノノ尾根は時折様子を見なければならない。そんなことで今日は木ノ又新道のF5からの道を登ろうというわけだ。この道は本当に人影はない。F5から例の集合点までは本当に悪路だ。もう少し手入れがいりそうだ。集合点には板切れの標識がある。Kさんが設置したのであろう。笹の箇所は思い思いに刈るので虎刈りの様子を呈している。

206.1999/1/30〜31長尾尾根、表尾根&ヨモギ尾根

今日は木ノ又小屋の中森さんから長尾尾根を歩くガイド記事を書いてほしいとの注文でヤビツ峠で小屋の常連のFさんと待ち合わせだ。何でも山の雑誌「岳人」が秦野市役所経済部商工観光課Sさんに執筆者の紹介を依頼したことから、話は市役所から山小屋組合の組合長に、そして中森さんから小生という順で回ってきた。残念ながらこの原稿は小さなコラム扱いで終りとなる。

207.1999/2/13〜14塔ノ岳 

登戸から座ってきたのでうとうとしていたらもう渋沢だ。ドアーのところでTさんにばったり会う。おまけに今度は電車を降りてバス停ではMさんとYさんに会う。皆さん木ノ又小屋の常連だ。こんなことも珍しい。

208.1999/3/28塔ノ岳 

大倉尾根、塔の岳、表尾根、書策新道とこれまた定番の周回コ−スだ。

209.1999/4/3〜4塔ノ岳 

大倉を9時23分に歩き出す。今日は酒一升を担いでいるのでどうだろうか。 雨模様だが、有難いことに本格的な降りとはなりそうもない。 傘を出す。風がなければこれが意外と良い。 

210.1999/5/1〜2塔ノ岳&大山 

大倉尾根、塔の岳、表尾根木ノ又小屋と定番のコ−スだが、翌日は長尾尾根をくだり札掛、青山荘と歩く。珍しく開いている青山荘で蕎麦を食べて四方山話だ。ここから廃道扱いの山道を歩きヤビツ峠に出て大山だ。こうなると久しぶりに梅ノ木尾根をおりて日向薬師まで歩く。それにしてもよく歩いたものだ。

211.1999/5/8川苔山

川苔山の登山道もいろいろあるが、駅からすぐに歩き出せるとなると鳩ノ巣口だ。その鳩ノ巣口から大根ノ山ノ神間は何度も歩いている。しかし、ここから大ダワ、ウスバ乗越は初めての道だ。展望も利いて予想外にいい道なのに驚く。

212.1999/5/15真名井沢北稜

川井駅から歩き出す。北川橋の手前を左手の道に入る。途中で左手に東電標柱(新秩父線38号に至る)を見る。やがて真名井沢橋の西側の袂に出る。真名井沢林道を2、3分歩くと東電標柱をみる。先週確かめたところだ。気合を入れて登りだす。やがて東電標柱39号40号分岐に到着する。39号はここから往復するようだ。この後、40号、41号、42号と辿る。途中、東電標柱43号を見る。一瞬不思議に思う。矢印が反対だ。この標柱をもう一回見る。43号は見落として通過したのだ。

213.1999/5/22真名井沢北稜 

丹沢、奥多摩の一般コースはほとんど歩いた。こうなると長年の懸案の真名井沢北稜を歩いて何らかの形にまとめたいということだ。御岳駅からタクシーを利用して真名井橋まで入る。東電標柱40号41号42号と辿り、43号の鉄塔に立ち寄る。これで40号、41号、42号、43号、44号、45号、46号の位置関係がすべて判明する。とりわけ45号から44号に回るところがミソだ。これで一切の調査が完了する。帰途は45号、44号をへて大丹波林道に出る。 

214.1999/6/26〜27 鍋割山稜(木ノ又小屋) 

 今夜、毎年恒例の花のスライドショーが木の又小屋で開催される。それに先立ち花の観察会だ。講師のTさん、Aさん、Sさんご夫婦、K先生と顔見知りが集まる。このほか初顔の方が数人加わり総勢12名だ。大倉を歩き出してから直ぐに畑の畔に咲く花を見ては解説が始まる。

215.1999/7/17御正体山&石割山

御正体山から石割山と歩く。石割の湯でひと浴びする。

216.1999/7/29〜8/2黒部五郎岳、鷲羽岳、水晶岳、野口五郎岳

富山側から入り黒部五郎岳、鷲羽岳、水晶岳、野口五郎岳と歩く。寝台車で1泊、山小屋で3泊と恒例の夏の行事だ。これは別途紀行文をご覧下さい。

217.1999/8/11〜15双六岳、三俣蓮華岳、笠が岳

双六岳のテント場に定着して双六岳、三俣蓮華岳と遊ぶ。午後は雨に降られてテントの中でひとり時間をつぶす。笠が岳ではテントを張る気力なく小屋泊まりとなる。

218.1999/8/20〜22平ガ岳

尾瀬御池でバスの接続が悪く、登山口に到着したのが9時を過ぎる。おまけに途中から雨が降り出す。やむなく台倉清水の上の登山道脇にテントを張る。翌日、山頂に向かわずいさぎよく戻る。来年出直しだ。

219.1999/9/5塔ノ岳

大倉、塔の岳、三の塔の周遊コ−スだ。行者岳の鎖場でサガミギョウロホトトギスを見る。これは丹沢の固有種でなかなかお目にかかれない花だ。写真を何枚もとる。持ってきているカメラはG1で45ミリとなると写りはどうだ。キャノンの100ミリマクロを持ってこれは写さなければならない。とにかく来週だ。

220.1999/9/12塔の岳

今日はEOSに100ミリマクロをつけて、目指すは行者岳の鎖場だ。なんとサガミジョウロホトトギスがない。残念だ。残念だ。書策小屋で渋谷さんに聞くと岩場の花は水の補給の問題で1週間ももたないという。この後、木の又小屋に立ち寄って塔の岳、鍋割山と周って大倉で野菜を買って帰る。

221.1999/9/19三の塔周遊 

ヤビツ峠から青山荘の道、ヨモギ尾根をテーマに書き上げた寄稿文を新ハイキング誌に投稿する。

222.1999/9/25〜26奥鬼怒湿原

女夫淵温泉から歩き出し、日光沢温泉に泊る。同室の方はMさんという年配の方でいろいろと話をする。翌日、ヒナタオオソロシノ滝、滝見台、奥鬼怒湿原とMさんと一緒に歩く。Mさんは周遊の切符を買われているとかでここから戻られる。ひとり物見山と回って大清水に下山する。奥鬼怒湿原はミニ尾瀬とは云うもののやはり比べるのは無理だ。

223.1999/10/2塔の岳

大倉尾根、塔の岳、書策新道と歩く。書策新道のセドノ沢で花博士のTさんに会う。左岸の岩場に咲くイワシャジンを教えられ夢中でシャッタ−を押す。あたりに咲く白い花はリュウオウノギクという。こんなふうに実地教えてもらうとは有難い。 

224.1999/10/10〜11畔が丸

このところご無沙汰している西丹沢だ。大滝橋から畦が丸に登り、夜は菰釣避難小屋に泊る。翌日は引き返してきて城が尾峠から浅瀬まで歩く。丹沢の地図上の登山道は大半歩いたがこの道だけが長く放置されていた。そんなことで懸案の宿題を片付ける。

225.1999/10/23〜24 地蔵新道、蛭が岳、源蔵新道

新ハイキング誌のI編集長から地蔵新道のガイド記事を書かないかとのお誘いを受けたが、S君のことやら足の便やらで延び延びになっていた。今回、木ノ叉小屋の中森さんからZ氏を紹介してもらう。Zさんは車を出して同行してくれるとのことだ。自動車を持つと車検費用やらで維持費も相当かかることを考えればそれなりの負担をすることも当然だ。 

226.1999/11/13〜14塔の岳

大倉尾根、塔の岳、表尾根木の又小屋泊、烏尾山、三の塔、二の塔といつものコ−スだ。今日は途中で知り合ったSさんご夫婦を青山荘からヤビツ峠までの廃道扱いの道に案内する。この後、蓑毛まで歩きバス停前のお店で直売のキャベツ3個買いお土産とする。

227.1999/12/11〜12臼が岳南尾根&源蔵新道 

ユーシンロッジに泊り、いよいよ念願の臼が岳南尾根だ。この道を知る人は少ないと思われたがさにあらん。横浜の某山岳会が大挙して登って行く。簡単な報告を白山書房ホ−ムペ−ジ「山に行ってきました」に載せる。 

228.1999/12/18〜19塔の岳

木の又小屋に1時に到着する。こんな早い時間ではすることもない。顔見知りのMさんが同伴の男性2名と小さなサブザックで到着だ。ひとしきり歓談の後、戸沢山荘に戻る。今夜は戸沢山荘の忘年会だそうだ。今夜の泊まりは10名だ。鹿の塔太郎が来た。夜、雪が降り出す。

229.1999/12/26袖平山北尾根

取り付き口が分からず八丁坂の頭に登り姫次で一休みの後、袖平山に向かい、この北尾根をおりる。ここも道がわからず山頂を歩き回る。おりてみれば取り付き口はあっけないところにある。 

230.1999/12/29〜30丹沢三ツ峰

塔の岳の尊仏山荘に泊り、翌日は丹沢三ツ峰を歩く。今回の主目的は御殿の森から春の木丸を歩くためだ。白山書房ホ−ムペ−ジ「山に行ってきました」に「春の木丸周辺を歩く」を投稿する。


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