山からの短信
1997年の記録 150.1997/1/26 書策新道

今日は書策新道だ。登るに連れて雪が次第に多くなる。踏み後がはっきりしない。今日は登る人も少ないのであろう。F5だ。一帯は雪で真っ白だ。セドノ沢の左岸の斜面に取り付くが雪でとにかく滑って歩き難い。簡易アイゼンも効き目がうすいので登りとなると難儀だ。30分足らずの道が1時間もかかる。振り返れば相模湾が光って見える。真鶴半島が細く付き出て、その右手に初島が見える。 

151.1997/4/12〜13 桧洞丸 

久しぶりの山行きだ。3月17日までは仕事で山どころではなかった。週末は雨で山行きもままならなかった。やっと山行きだ。このところ西丹沢はとんとご無沙汰しているので、今日は青が岳山荘に一泊して早朝の写真を撮りたい。ミカゲ沢の頭で富士山を写真に撮り以前撮った写真と比較してみたいと言うわけだ。

152.1997/4/20 塔ノ岳

渋沢駅に降りると大きな垂れ幕が見える。今日は丹沢山開きのようだ。バスに乗らずに徒歩で会場の西中学校に向かう人もいる。バスの窓から見ると広い校庭にテントが幾つも見える。今日は風も冷たいし登るのには最適だ。大倉尾根をどの位の時間で登れるか計測をしてみよう。大体が堀山ノ家か花立山荘の間でバテルのが通例だ。

(大倉7:47.305m−8:00.385m−8:15.485m−8:30.600m−8:45.630m−9:00.750m−9:15.870m−9:30.965m−9:45.995m−10:00.1125m−10:15.1240m−10:30.1375m−10:45.1445m−塔ノ岳山頂10:53.1525m) 

153.1997/4/27塔ノ岳&ホソノノ尾根 

書策新道からホソノノ尾根だ。本谷F5に到着する。ここでザックを置いてホソノノ尾根の取り付き口を探す。はっきりとした踏み跡が見つからない。とにかく今回は先週降りて書策新道から見た小沢からだ。登り出すと休憩舎で会った二人がこの沢から降りてくる。偵察して来たようだ。挨拶をして登り出す。登りはルートフアインデングは簡単だ。とにかく高いところ高いところと歩けば間違いない。 

154.1997/5/6ホソノノ尾根

F5からホソノノ尾根に取り付く。後ろから来る人がありオヤット思う。このホソノノ尾根はあまり知られていないはずだ。シャッツの胸にSHCのマークがある。新ハイの会員だ。話をすると書策新道と間違えたようだ。書策新道はF5の小沢の梯子に登り取り付くのだがここが初めての場合は分からないのだ。この後、一緒に木ノ又小屋まで登る。小屋で一休みの後同じ道を引き返す。

155.1997/5/10ホソノノ尾根

今日はホソノノ尾根の例の合流点の辺りを中心に歩こうというわけだ。一刻も早く原稿を書き上げて送らなければならない。先を越されては一大事だ。 F5から登り出す。合流点まで30分だ。天気はいいし言うことはない。合流点で昼寝だ。る。沢は石が敷き詰められている。誰かが手を加えたのには間違いない。ここを登れば20分で合流点にでる。合流点からF5におりる。このホソノノ尾根を紹介したガイド記事が新ハイキング98年2月号に掲載される。

156.1997/5/17〜18ホソノノ尾根&表尾根

F5からホソノノ尾根を登る。ここのところホソノノ尾根のガイド記事を書くために何回も登っている。4/27は石積み小沢から木ノ又小屋、5/6はF5から木ノ又小屋、5/10は記事の内容を最終的に確認するためF5から合流点、合流点から書策新道、石積み小沢から合流点、合流点からF5と歩き回る。

157.1997/5/31〜6/1丹沢主脈&主稜

何度も同じところを歩くとたまには趣向を変えて歩きたい。丹沢山のみやま山荘に一泊して不動の峰、蛭が岳と廻って檜洞丸から西丹沢自然教室までのロングコ−スを歩く。それも 犬越路から用木沢経由となるから念がいっている。

158.1997/6/7〜8飛竜山(大洞山)

丹沢ばかり歩いているとどこか遠くの山域に行きたくなる。三条の湯に泊まり、翌日、飛竜山に登り今を盛りと咲くシャクナゲを写真に撮る。91年に正之とここに泊まり雲取山に登ったことが私の山歩きの出発だ。 

159.1997/6/14〜15甲武信岳

信濃川上から入山して十文字小屋に一泊する。翌日余裕で甲武信岳に登る。木賊山から戸渡尾根で徳チャン新道を利用して東沢におりる。不動小屋で入浴して塩山に出る。十文字小屋 では夕食前のひと時、皆さんでスト−ブを囲んで小屋の主山中さんがこの山域に生息する鳥の鳴き声を真似て次ぎから次にと披露するのを聴く。最後に奥さんが炊事場から顔を覗かせて、「今、鳴いたのは十文字小屋の鳥だ」という。居合わせた皆さん爆笑だ。

160.1997/6/28〜29塔ノ岳&木ノ又小屋

週末は台風の襲来が予想されるが、今夜は木ノ又小屋で「丹沢花のスライド」のイベントがある。台風のこともあるがトレ−ニングで出かける。翌日は、台風一過、表尾根の至る所で富士山が眺められる。この時期には珍しく新宿、横浜のビル群が遠望される。江ノ島から真鶴半島まで見える。なんたることか、雨とのことでカメラを持ってきていないのだ。 

161.1997/7/13塔ノ岳

たいした降りではないが雨模様だ。バスをおりた人達の大半は鍋割山に行くようだ。お隣さんは登ろうかどうしたものかと思案しておられる。私はトレーニングだ。天神尾根の分岐の手前で高校生か大学生の10人前後のグループを追い越す。この連中は小休止ばかり繰り返している。こういう私も先ほど一本松あたりで引き返そうか考えた。4,5歩登っては休んでいると調子が出ないのだ。1時34分塔ノ岳山頂だ。大倉から3時間49分だ。標準のコースタイムが3時間だから49分オーバーだ。休憩時間を考慮すると年相応かもしれない。 

162.1997/7/19〜21 槍ケ岳・北穂高岳縦走

一生に一度は富士山に登りたいというのが庶民の願いであるように、いやしくも登山に興味を持ち始めた人で、まず槍ケ岳の頂上に立ってみたいと願わない者はないだろう。富士山が古い時代の登山の対象であったとすれば、近代登山のそれは槍ケ岳であると、深田久弥は書いている。永年の念願がかなう。

163.1997/8/2〜4 前穂高岳、奥穂高岳、涸沢岳、北穂高岳

  先々週、槍が岳から北穂高岳まで縦走して南稜をおりた。今度は岳沢から前穂高岳、奥穂高岳、涸沢岳と逆コースを歩き、縦走路を完成させたい。岳沢ヒュッテから涸沢ヒュッテまで11時間30分歩いた。それにしてもよく歩いたものだ。丹沢で鍛えているお陰だ。 

164.1997/8/15日光白根山

日光白根山は百名山のーつだ。百名山をそれほど意識しているわけではない。ただ夏の 丹沢は暑くてとても登れたものではない。折角の夏休みた。丹沢山域以外の比較的近いところで選ぶとなると日光、那須方面の百名山だ。奥日光にそびえる奥白根山は別名以北最高峰ともいう。湯元も何度か訪ねたことがある。そんなことで奥白根山に決まりだ。 

165.1997/8/23〜24ホソノノ尾根

新ハイキング誌の編集部から5月に投稿した「ホソノノ尾根を歩く」を12月号の「山のレポート」欄に掲載したいとの連絡をいただく。表記上の注文があり締め切りは9月15日だ。ここ3回ばかり、槍、穂高、奥白根と出かけているので木ノ又小屋に1泊して油を売ってこようというわけだ。 

166.1997/8/30〜31男体山&太郎山

今回の男体山、太郎山で今年の日光シリーズは終了だ。日光には先週行ったばかりだが、交通費も意外と安いことを知った。中禅寺湖から男体山に登り志津避難小屋に一泊、翌日余裕で太郎山と歩く。ニ週続けての日光だ。東武日光駅5時15分の臨時電車に乗り帰るが車中でラジオを聞くとダイアナ皇太子妃の交通事故死を報じている。

167.1997/9/20〜21塔ノ岳

折角の連休も雨模様だ。20日は何とか保ちそうなので出掛ける。山登りをしないと体の調子が悪い。一度下がった体重もじわりじわり増えてくる気配だ。

168.1997/9/28天城山縦走

このコ−スは何となくもの足りない。樹林帯で展望もなく、総じて平坦な道を歩いただけだ。これが百名山かと何となく物足りなく思う。このコースは6月の新緑の頃のシャクナゲが見所かもしれない。時々、丹沢以外の山に出掛けるのも悪くはない。次は機会を見て赤城山だ。

169.1997/10/11赤城山周遊

遠出をしだすとついつい癖になる。それになんとなく百名山だ。黒桧山から地蔵岳と周回する。電車に乗ってぼんやりと時間を過ごすのもいいではないか。こんな時間が自分を見詰めるよい時間だ。

170.1997/10/18〜19乾徳山&黒金山

新ハイキング誌11月号の山行計画欄「乾徳山−西沢渓谷」を見ていて、国師ケ原高原ヒュッテ(泊)(避難小屋)の文字が目に留まる。昭文社の地図では使用不可とあるのに避難小屋とあるではないか。こうなるとここに一泊して乾徳山から西沢渓谷だ。乾徳山から黒金山、西沢渓谷まで登山者誰一人に会わない山歩きだ。山道は奥秩父らしい苔むした樹林帯の中だ。十文字小屋に泊まった時、小屋の主の山中邦治さんが奥秩父の良さは森林の美しさにあると、言っていたが本当だと思う。ただ奥秩父という地域名には何となくひっかかる。ここは山梨県だ。秩父多摩国立公園という名称に山梨県側から甲斐という名称を加えるべきだという声が出ているのも宜なるかなだ。

171.1997/10/25〜26両神山

山頂は祠があり狭い。この山頂は細長い尾根上の突起だ。西側、東側は急に落ち込んでいる。北に尾根が続き、前東岳が起立している。西側には南に伸びる尾根がつながる。梵天尾根だ。朝陽に照らされて山襞が微妙な陰影を見せる。

172.1997/11/1〜3檜洞丸

檜洞丸青ケ岳山荘宿泊者は14名だ。皆さんで枯れ枝を集める。ストーブを囲んで団らんだ。

173.1997/11/8〜9蛭ケ岳&塔ノ岳

 巧子がパッチワーク仲間のNさんと沖縄に行くという。そんなことで土曜、日曜は家にいてもすることがない。、先週、蛭が岳山荘がオープンした。とにかく一泊してあたらしい小屋の様子を見てみたい。オープンしたばかりでまだ宿泊者は多そうだが、一度は泊まって体験してみなければならない。そんなことで今回は趣向をかえて焼山登山口から登り姫次を経て蛭ケ岳に登る。

174.1997/12/13〜14塔ノ岳

久しぶりの山行きだ。人が意外と少ない。年末で忙しいのだろう。鍋割山荘も閑散としている。尊仏山荘で一休みだ。木の又小屋の宿泊者は私一人だ。翌日、新大日から長尾尾根に入る。長尾尾根で会ったのは三人だ。札掛から一ノ沢峠、物見峠と歩き煤が谷に出る。



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