山からの短信

1992年の記録

15.1992/1/3大山(ヤビツ峠)

頂上は人で一杯だ。食事の場所の取り合い。正月そうそう物好きが多すぎると独り勝手なことをいう。

16.1992/1/5ヤビツ峠・一ノ沢峠・物見峠

お正月で車が通らない静かな林道を一人歩く。春のような陽射しを浴びて満足する。

17.1992/1/12雨山峠・鍋割山

鍋割山稜の冬枯れの樗を見に出かける。寄で同じバスを降りた中年の2人と連れだって鍋割山稜の大丸まで歩く。こういう思いがけない出会いもまた楽しい。

18.1992/1/15 浅間山・高取山・善波峠(&弘法山・権現山)

大山の下山路で気にかかり、実地検分で出かける。しかし意外に歩きでがあり満足する。

19.1992/1/19 畦ガ丸・屏風岩山

大滝峠で年配の人と知り合い、この人の後をついて大滝峠から屏風岩山、二本杉峠までの初めて薮漕ぎを経験する。山で知らない人と知り合い、友となるもまた楽しみだ。

20.1992/1/26 刈寄山・今熊山

戸倉三山縦走の予定が、道に二度間違い予想外の下山路となる。下村湖人のいう「無計画の計画」ということで、これもまたよしと、ひとり慰め満足する。

21.1992/2/9 戸倉三山(刈寄山・市道山・臼杵山)

とにかく完登するまでは気が済まない。しかし、とにかく長い行程だ。市道山で同年輩の人と知り合い、一緒に下山する。

22.1992/2/11雨山峠・鍋割山

なんとなくまた登る。このコースは静かで気に入っている。帰途、四十八瀬川林道で酔っぱらいに絡まれ往生する。

23.1992/3/22 大山(ヤビツ峠)(再訪)

淳の大学入学祝いに大山に登る。淳に「おじさん、一見玄人風だね」と言われ、得意になる。 

24.1992/5/4 吾妻山・弘法山・権現山

淳、正之と軽いハイキングだ。権現山のベンチで昼寝を決め込む。歩き足りないし、物足りない。

25.1992/6/7鍋割山

今日はボッカ駅伝大会だ。コースは大倉尾根から花立、鍋割山頂だ。こちらは逆コ ースで登る。二ノ萱あたりでバテ気味だ。鍋割山荘の主人草野さんが、大倉の会場に向かって阿修羅の如く駆け下って行く。それにしても山行の間があくと疲れることこの上もない。歌を忘れたカナリヤか。

26.1992/6/14鍋割山(再訪)

再挑戦だ。正之が先行し、頂上近くで待っている。また頭にくる。 しかし、帰りは大倉近くで秘密の近道を教えベテランぶりを示す。

27.1992/6/21栗ノ木洞・櫟山

登るばかりでなく下ってみようという山歩き。後沢乗越から尾根を下り、寄(やどろぎ)に出る。人に一度も会わない山歩き。

28.1992/7/5御岳山・日ノ出山・金比羅尾根

日ノ出山からの下山の道を間違えて下り、又、登り直して予定の金比羅尾根を歩いたという執念の山歩き。

29.1992/7/11明神ガ岳・明星ガ岳・塔ノ峰

バスに乗り遅れ、新松田で突然行き先を代えた予定外の山行だ。霧で展望はない。しかし、霧の山道でみる白い花の群落に年甲斐もなく心を踊らす。

30.1992/7/25 明神ガ岳・火打石岳・矢倉沢峠

展望は良いが、とにかく暑い。頂上の潅木の中に潜り込んでひと寝入りする。矢倉峠のうぐいす茶屋の主人に箱根は夏登るところではないと言われ二度がっかりする。

31.1992/8/7−10 南八ヶ岳連鋒(硫黄岳・横岳・赤岳・権現岳・編笠山)

南八ヶ岳連峰を縦走する。正之と登り、感激の連続だ。赤岳頂上で台風に遭遇し、山小屋で二日停滞する。赤岳から権現岳への稜線で正之に「こういう山ならまた登ってもよい」と、いわせた山行だ。

32.1992/8/23行者岳・烏尾山

朝飯を食べるのが遅れてバテ気味に登る。山歩きの教訓「食事は早め早めが肝心」。八ヶ岳の後だけに、鎖場では拍子抜け。しかし油断大敵だ。

33.1992/8/29−30赤岳・阿弥陀岳

登り残した阿弥陀岳が気にかかり、また八ヶ岳(赤岳・阿弥陀岳・御柱山)に出かける。新宿発0:02の夜行列車に初めて乗る。床に寝ている連中を車掌さんが跨いで歩く。「山や」の仲間になった気分だ。

34.1992/9/12 大室山・加入道山

初めて同僚のI君を連れて行く。ゴルフより面白いだろう、と強請する。ブナの原生林の静かな山歩き。

35.1992/9/15鷹取山(金沢八景)

夕刻、母のお祝いの会があるので妻から帰宅時間の厳守を言い渡された。日曜日はとにかく歩かなければ気が済まない。

36.1992/9/20 雨山峠・雨山・檜岳・秦野峠・シンタンゴウ山

雨山峠で何時も気にかかっていた山。薮漕ぎを覚悟するも拍子抜けする。人一人会わない静かな山歩き。しかし、秦野峠からは歩きに歩いた1日だ。PC−VAN「DAISIZEN」に山行報告を初めて送信する。

37.1992/9/27表尾根・塔ノ岳・鍋割山

久しぶりの表尾根だ。急ぐ旅ではない。表尾根の山小屋に1軒1軒寄りコーヒーを飲む。 大倉のバス停は真っ暗だ。

38.1992/10/4玄倉林道・雨山峠

丹沢の心臓部の偵察歩き。玄倉林道を3時間かけて歩く。しかし、4WD車が行き交う狭い林道を歩くは吾一人のみ。帰路は雨山峠を越えて寄に出る。

39.1992/9/23&10/10鎌倉アルプス

都会のオアシスか。しかし、鎌倉は日曜日は人が多すぎる。天園コースでは二度道 に間違い、完歩ならず。10/10ここなら歩けると巧子を連れて行く。今回は地図を片手に完歩する。

40.1992/10/11渋沢丘陵

表尾根・大山の展望の散策。昭文社版地図「丹沢」は全部歩くという意気込みで、軽いハイキングコースまで歩く。赤線病がだんだん重くなる気配だ。重症の段階か。

41.1992/10/31−11/1檜洞丸

長い間憧れていた山だ。青ケ岳山荘に1泊、夜はスト−ブを囲んで小屋番の高城さんと自然談義だ。翌日は蛭ガ岳、丹沢山、塔ノ岳と縦走し、秋の山歩きを満喫す。

42.1992/11/8表尾根(書策新道)

丹沢山域のバージンロード(?)を歩く。この道を開いた書策小屋の主人渋谷書策氏に敬意を表し、白竜ノ滝から小屋まで水を運びあげる。 

43.1992/11/15ヤビツ峠・岳ノ台・菩提峠

大山・表尾根の展望台。途中から神奈中バス健保の550名前後のグールプにはさ まれ歩くので大変だった。家族のこと、会社のこと等人の話を聞くともなしに、聞きながら歩いた。そんなことで長い林道歩きが短く感じられた。

44.1992/11/21長尾尾根

人ひとりいない静かな尾根歩き。北に丹沢三ツ峰の特徴ある山並を樹林越しに眺める。下山途中、山の上からみえた陽に輝く宮ガ瀬ダムの虹の大橋が妙に脳裏に残る。 

45.1992/12/12丹沢山&丹沢三ツ峰

丹沢山みやま山荘に泊まり、ランプの夜を楽しむ。翌朝10a近くもある霜柱を踏みながらの静かな山歩きを楽しむ。 

46.1992/12/20鍋割山

県民の森から櫟山に登り尾根伝いに鍋割山を目指す。下山は初めての鍋割峠から寄コシバ沢を下り稲郷に出る。ここから見知らぬ人の好意で車に乗せてもらい渋沢まで送ってもらう。有難し。 

47.1992/12/27大山

忘年山行で久しぶりに大山に登る。電波塔が完成し奥の院の裏手まで入れる。山頂の北側付近を歩き回る。後日のために北尾根を下る踏み跡を見てみる。下山は雷ノ峰尾根を下り、日向薬師に参詣し、母の病気治癒を祈る。  



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