2001年山からの短信
253.2001/1/13〜14塔の岳
’01年の初山行きは塔の岳だ。大倉から歩き出して大倉尾根を登るいつものコ−スだ。お正月も一段落したのか登る人影は少ない。山頂も閑散としている。この後、木の又小屋に向かう。木の又小屋の宿泊者は5名だ。夜はスト−ブを囲んで5名で賑やかな話しだ。9時就寝前に外に出てみる。夜空は満点の星だ。秦野、御殿場、相模原方面がひときわ明るい。冬のこの時期はこの夜空と山から見る街の明かりが丹沢の山小屋に泊まる一番の楽しみだ。気温は零下8度だ。翌日、大倉では例のごとくザックに詰めこめるだけ野菜を買いこむ。これが今年の初登りだ。

254..2001/1/28塔の岳
先々週と同じ大倉尾根だ。花立からいよいよ雪が多くなる。金冷シの分岐では道標が見えない。1メ-トル位の高さがあるはずだが完全に雪に埋まっている。尊仏山荘で一休みの後、表尾根をくだる。ここは大倉尾根と様変わりで人影もなく、雪も深い。ただ踏み跡はある。誰かが降りたか登ったのであろう。ぽつんぽつんと足跡がある。ひとしきりくっだたところで先行する人に追いつく。雪が深くて難儀だ。ただ冬山気分を味わには文句なしだ。悪戦苦闘の末、烏尾山までなんとか辿り着いたが、このくだりも大変で緊張感で二人とも無言だ。林道におりれば二人とも安堵感から饒舌となりお互いの山行経験を話しながら歩くので長い林道歩きも苦にならない。

255.2001/2/12丹沢山
 木の又小屋に一泊して、翌日、丹沢山に向かう。尊仏山荘の壁に「蛭が岳山荘は二月中休業なのでこの方面に向かう人は充分な注意が必要です」との張り紙が出ている。青が岳山荘のHPにも「桧洞丸と蛭が岳間は暫く冬山経験者以外は入らないことが賢明です」とあったが、とにかくすごい雪だ。三年前に続いて二度目の大雪だ。木の又小屋では新潟から来られた6人組と同宿で、皆さん、雪がない山、富士山が見える山ということで丹沢に来られたそうだ。雪には驚かないが、なんとか富士山は見たいといっておられた。夕方、小屋の裏手から皆さんと大倉尾根越に富士山のシルエットを見た。塔の岳山頂からは遮るものもなく大きく見えますと説明したが、今日は朝からガスってだめだ。なんだか遠来の人達に申し訳ないような気分だった。

256.2001/3/24〜25塔の岳
1ヵ月半ぶりの山行きとなると通いなれた丹沢だ。金冷シからは所々雪が残っているが、道はどろんこだ。塔の岳山頂の雪はすっかり消えている。表尾根をくだって木の又小屋に向かう。小屋に着けば常連の顔が揃っている。Fさんが4月から高校入学の息子さんを連れてきている。高校生から山にのめりこんでも困るが、一年に一度や二度、一人で山を歩くのも自分を見つめなおすいい機会だと思う。夜は例の如くスト−ブを囲んでわいわいがやがや賑やかな話し合いだ。翌日は8時に小屋を出て表尾根をくだる。三の塔から大倉にくだる。野菜をザックに詰め込めるだけ買う。

257.2001/4/1毛無山&十二ケ岳
富士五湖西湖の北にある毛無山、十二ケ岳にでかける。思わぬ春の大雪で驚いた。十二ケ岳から先にはとても進めない。桑留尾尾根をくだって西湖湖畔におりて、「いずみの湯」(立ち寄りの温泉施設)でひと浴びする.。大きな浴槽で本当に気持ちが良い。風呂から出れば大広間の隅でジュ−スを買ってザックに残っていたクラッカ−を食べる。こんなに大勢の人がいても登山者の姿らしきものは無い。もっと皆さん歩かれたほうが良いのにと思う。余計なお世話か。4時8分のバスで河口湖に出て新宿に7時過ぎに帰り着く。

258.2001/4/14鬼ガ岳、金山、節力ガ岳、十二ガ岳、毛無山
前回は雪で十二ガ岳から先は断念した。今回はその続きだ。ただし登り口は根場の漁眠荘前からを入り鍵掛峠、鬼ガ岳、金山、節力ガ岳、十二ガ岳、毛無山と歩く。今回は入浴は出来なかった。

259.2001/4/28〜29蛾ガ岳&三方分山
かねてから念願の四尾連湖だ。湖畔の宿龍雲荘に泊まり蛾ガ岳から三方分山を経て精進湖まで歩く。連休というのに湖畔は閑散としている。バスで国民休暇村に向かうが、行き交う自動車の多さには驚くばかりだ。バス停の辺りは緑の休暇村、道の駅「なるさわ」があり、バス利用でこの施設に向かう人間は皆無だ。「ゆらり」でお風呂に入り2時間時間をつぶす。ここも芋を洗うような大混雑だ。畳の広間では大勢が休んでて座る場所を探すのも容易ではない。4時少しにバス停に向かう。車が多くて反対側に簡単に渡れない。とにかく車の多いのにはただ驚くばかりだ。こういう光景を眺めていると河口湖の街のお土産屋さんやホテルや旅館が閑散とししている訳がわかる気がする。山歩きがとんだ社会勉強だ。

260.2001/5/4〜5丹沢
書策新道から登って木の又小屋に一泊、翌日、塔の岳、鍋割山、栗の木洞、寄と周って帰る。例によって例の如しで格別記載することはない。ただ小屋の常連のMさん、Yさんが連泊して小屋周辺の登山道の道普請をしておられた。これは勿論ボランテアでなかなか真似の出来ることではない。そのうち何か差し入れでもしなければと考えている。

261.2001/5/13鳥ノ胸山
道志川を渡ったところにある観光農園の裏手から鳥ノ胸山を目指して登りだす。山頂は北から南に平場となっていて西側が開かれている。御正体山のどっしとした山容が姿を見せる。眼下には道志川沿いの開けた集落が望見できる。本来であれば御正体山のずっと左手に富士山が見えるはずだがもうこの時間となると春霞で眺望は無理だ。雑木の頭、平指山、浦安峠とどんどん歩いてきた。誰にも会わない。静かな山歩きだ。浦安峠から東海道自然歩道の大界木山、城ガ尾峠、菰釣山を経てブナノ丸から前ノ岳経由で白井平に降りた。4時33分のバスで都留市に出る。バスの乗客は私と途中の動坂トンネル入り口でのせた登山者の二人だ。運転手さんも退屈と見えて山の様子をいろいろと聞いてくるので車中退屈はしない。

262.2001/5/19〜20雲取山
雲取山もいろいろなル-トから登った。今回は残る富田新道を登り、これまでまだ歩いていない北面の巻き道を歩き、新装なった雲取山荘に泊まる。布団も真新しい羽布団で言うことなし。翌日も巻き道を歩き三条ダルミから山頂に出る。さらにくだりも巻き道を歩き唐松尾谷をくだる。ただ林道歩きが長いのには閉口だ。

263.2001/6/2〜3 塔の岳
大倉からのんびり歩き出す。風は冷たいので歩きやすい。尊仏山荘で一休みだ。大野さんから北面のシロヤシオが最高だと教えられる。早速、とんでいって写真を撮る。翌日、niftyの山のフォ−ラムで知った日高から寿岳への新ル−トの偵察だ。この後、また塔の岳の北面のシロヤシオツツジを眺めて木の又小屋に戻る。外でK先生の声がする。K先生、今日は源次郎尾根を回って戸沢にくだるというのでご一緒させていただく事にする。1時少し前に再度塔の岳に登り北面のシロヤシオツツジをもう一度写真に撮る。この後,花立からK先生の案内で源次郎尾根を下る。戸沢山荘から中森さんの車に乗せてもらい「竜神の泉」、山小屋組合の組合長の滝沢園と立寄って渋沢駅まで送ってもらう。

264.2001/6/23〜24 塔の岳
いつもの大倉尾根だ。堀山ノ家で三脚を担いでいる若い人に先々週のシロヤシオツツジとトウゴクミツバツツジの話しをする。逃がした魚は大きいと言うが多分そんなものだろう。彼氏悔しがることしきりだ。

265.2001/7/14〜15 蓼科山
いよいよ夏山シ−ズンの幕開けだ。蓼科山に登る。夜行列車で出かけ3時5分茅野に到着し、駅のコンコ−スで2時間ばかり仮眠をした。6時40分親湯温泉から歩き出すも寝不足もあってなかなか調子が出ない。山頂ヒュッテに泊まり翌日天祥原をくだり親湯温泉でひと浴びして帰った. 。

266.2001/7/19〜22 薬師岳縦走
いよいよ懸案の北アルプス最奥部の薬師岳縦走だ。昨年、平の小屋から引き返しただけに今年こそはと気合を入れて出かける。

267.2001/8/3〜5 火打山妙高山
私の夏山山行の第3弾は上信越の百名山火打、妙高だ。初日は高谷池ヒュッテに泊まる。空は抜けるような青空で快哉を叫ぶ。二日目は前日と打って変わってガスに覆われている。火打を往復する。山頂は展望はなくライチョウ平のあたりから遠くで雷が鳴り出す。小屋に戻るとやがて雨が降り出す。猛烈な雨で登山道は川や滝の様相を呈する。黒沢池ヒュッテで終日時間をつぶす。三日目は青空が戻る。早朝で気温も低いので気持ちよく登る。妙高山頂で1時間近く360度の展望を楽しむ。燕温泉に下山しひと浴びして帰京した。

268.2001/8/17〜18 越後駒ガ岳
私の夏山山行の第4弾は上信越にある百名山越後駒ガ岳だ。新潟にある百名山苗場山、巻機山、平が岳、妙高山、火打山、雨飾山と登った。いよいよ越後駒ガ岳だ。枝折峠から登って駒の小屋に泊る。暑くて暑くてバテ気味だ。標準コ−スタイム5時間30分のところが7時間30分もかかった。2日目は越後駒ガ岳の山頂を踏んで小屋に戻る。山頂では北側は見えるが南から西にかけてガスが流れて展望はいまいちだ。時折下の駒の小屋の屋根が見える。今日は中ノ岳の避難小屋まで縦走する予定だったが取りやめだ。ザックの重さやら暑さのせいかとにかく気合が入らない。こういう時は思いっきりが大事だ。往路を戻るという同宿の3人と小屋の前でひとしきり雑談をして一緒に下山開始だ。皆さんと小倉山から小倉尾根をくだり下山口にある駒の湯でひと浴びする。ひとしきり休憩舎の2階で休んだ後、衛星電話でタクシ‐を呼んでもらって4人で小出に出る。帰路電車の窓からはるかに聳える越後三山(越後駒ガ岳八海山中ノ岳)を眺める。縦走は果たせなかったが満足感で一杯であった。これで私の今夏の百名山シリ−ズはだいたい終わりだ。百名山も通算51座となった。

269.2001/9/1〜2塔の岳
久し振りの丹沢だ。いつもの大倉尾根を登って塔の岳だ。風は冷たくて歩きやすいわりには随分時間が掛かった。休憩も含めてだが5時間だ。山頂で一休みの後、尊仏山荘には寄らず表尾根をくだって木の又小屋に一目散だ。小屋の主中森さん、私の顔を見てやっぱり来た来たと言っている。今日あたり来る予感がしていたそうだ。今夜の宿泊者は私一人だ。夜10時近くまで2人で四方山話だ。翌日は7時に起きてのんびり食事だ。こんなにのんびり出来ると朝食もおいしく食べられる。この後、丹沢山に向かい往路を戻る。「ようこそ!山へ」で知った寿岳(三角沢の頭1331m)を往復する。この後、尊仏山荘、木の又小屋と立ち寄って書策新道経由で大倉に戻る。大倉ではザックに野菜を詰めこめるだけ買って帰る。

270.2001/9/23〜23塔の岳
日曜、月曜は山行きだ。そうなるといつもの丹沢だ。先々週は大倉尾根を登って5時間かかった。今日はどうであろうか。この土曜日を境に気候がスッカリ変わった。完全なる秋モ−ドだ。今回は大倉から塔の岳山頂まで4時間だ。まずまずだ。木ノ又小屋に泊まる。夜は秦野の弘法山で打ち上げられている花火を眼下に眺める。スト−ブを囲んで常連のMさんのヒマラヤトレッキングの様子を聞かせていただく。常連のTさんもかって遠征隊の一員としてこの辺りの7千メ−トル峰の幾つかに登っただけに話し大いに盛り上がる。翌日、塔の岳山頂を往復し富士山を写真に撮った後,木の又小屋に戻り小休止の後、書策新道をくだる。同宿のTさんと一緒にセドノ沢の鉱山跡でイワシャジンを見る。Tさんサガミジュロホトトギスをあちらこちらと探してくれるが見つからない。戸沢出会から秦野まで車で送ってもらう。

271.2001/9/29弘法山
鶴巻温泉駅から吾妻山、弘法山、権現山、浅間山、秦野駅と歩く軽いハイキングコ−スに智紀(5歳)を連れて行く。何度か歩いているので様子は分っている。智紀でも大丈夫だろう。吾妻山山頂まで緩やかな登りだ。智紀どんどん先を歩く。これなら大丈夫だ。弘法山、権現山、浅間山とのんびり自然観察をしながら歩く。浅間山からのくだりで倒木に腰掛けて小休止をしているとき、かたわらの木の幹に大きなカマキリを見つけて教えてくれる。智紀は草むらにバッタを見つけたり、栗やどんぐりを拾ったりと目が良いのに驚いた。

272.2001/10/6〜8吾妻山
10月11日から14日まで上海出張だ。この連休を利用して秋の吾妻山を楽しんだ。深田久弥はその著「日本百名山」で、「一口に吾妻山と呼んでも、これほど茫漠としてつかみどころのない山もあるまい。・・・・福島と山形の両県にまたがる大きな山群で、人はよく吾妻山に行ってきたというが、それはたいていこの山群のほんの一部に過ぎない。この膨大な山群には、渓谷あり、高原あり、湖沼あり、森林あり、しかも山麓をめぐってあちこちに温泉が湧いている。包含するところの景勝は甚だ豊富であるが、それを極めつくすのは容易ではない。」と、書いている。群盲象をなでるの喩えを実感をした。

273.2001/10/20〜21塔の岳
このところ塔の岳の登りは大倉尾根ばかりだ。大倉から戸沢出合までの1時間30分の林道歩きをなんとなく敬遠していたが、今日は趣向を変えて久し振りに政次郎尾根経由で登る。木の又小屋に到着して中森さんから19日はダイヤモンド富士であったとかで塔の岳山頂はカメラマンでおお賑わいであったと聞く。1日遅れでもこれを見逃すことは有るまい。ひとしきり中森さんと話しをしてから3時45分にデジカメを手に小屋を出て塔の岳山頂に向かう。日没は4時50分だ。山頂は意外と閑散としている。4,5人の若い人がいるだけでカメラ組は望遠レンズを三脚につけた一人が待機しているだけだ。なんだか拍子抜けする。1日違うとこうも違うものか。いよいよ太陽が富士山の上から沈みはじめる。真上というより少し左よりだ。デジカメで何枚か撮る。この後小屋に戻る。翌日、大倉尾根をのんびりくだりに使い、鶴巻温泉で下車して最近オ−プンした市営弘法の里湯でひと浴びして帰宅した。

274.2001/10/27世附権現山
世附権現山は93年12月30日に一度登っている。この時は浅瀬入口から取り付き、二本杉峠にくだった。この山行の直後、知人から頂いた某山岳会の会報の簡単な報告でこの権現山にはもう一本ミツバ岳を経由する道(踏み跡程度)があることを知った。以来、ミツバ岳を経由して登りたいものと考えていたが取り付き口がなかなか分らなかった。浅瀬近辺を歩くたびに取り付き口を探していたが、新ハイキング誌99年12月号に掲載された松浦隆康氏のガイド記事で滝壺沢橋の脇から取り付くことを知った。この山行をあたためていたがやっと念願がかなった。帰途、「ブナの湯」でひと浴びして帰った。

275.2001/11/4今倉山&二十六夜山
3日文化の日は毎年晴れの特異日だが、今年は残念ながら雨だった。4日は5月以来の道志の山を歩いてきた。道坂隧道の脇から登りだした。ひとしきり登って振り返ると御正体山と鹿留山、杓子山の間に冠雪の富士山が顔をのぞかせていた。高度を上げるにつれて富士山は次第に大きくなる。今倉山の山頂では樹林に遮られて展望は利かないが今倉山の西峰、稜線上の赤岩は御正体山、富士山、鹿留山、杓子山の絶好のビュ−ポイントだ。ここから見える景色では富士山もさりながら一番驚いたのは御正体山の堂々たる山の姿だ。超一流の風格を見せる。御正体山には登っているし、丹沢からも御正体山をみているがこんな迫力のある山体は初めてだ。ここでは存分に何ものにも遮られることなく御正体山の堂々たる姿を目にすることができる。二十六夜山から戸沢におりて都留市温泉「芭蕉月待ちの湯」でひと浴びして帰宅した。


276.2001/11/18今倉山&菜畑山
このところ「鵜野森通信」「ようこそ!山に!」に紹介されている中央線沿線の山の記事に触発されてこの山域を歩いている。先々週は今倉山から赤岩、二十六夜山と歩いて都留市温泉「月待の湯」でひと浴びした。今日は今倉山から菜畑山と歩いて「道志の湯」でひと浴びした。今倉山から遠ざかるに連れて振り返るとこの山が東峰と西峰の双耳峰でなかなか良い姿をしているのが望めた。道坂随道からの登りでは当然山の姿は見えないが、こうして稜線を歩けば本当に良い姿をしているのが分かる。菜畑山からのくだりは送電線鉄塔の巡視路をくだり和出のバス停に12時35分に着いた。村営「道志の湯」に向った。いつものように「道志の湯」は大変な賑わいだ。3時40分待ちきれずにバス停に向かう。バス停前の商店の奥さんと立ち話をして時間をつぶすので退屈はしない。地元の人と話しをするのも山歩きの楽しみだ。月夜野、三日木バスセンタ-と乗り継いで橋本に出て8時に帰宅した

277.2001/11/25杓子山&鹿留山
11月4日は「月待ちの湯」、14日は「道志の湯」でひと浴びした。こうなると杓子山から鹿留山を歩いて「不動湯」でひと浴びだ。田野倉を過ぎた辺りか、車窓から冠雪の富士山が見え出す。この後、車窓の右に左にと位置が変わり次第に大きくなる。鳥居地峠から高座山、杓子山と歩き、鹿留山を往復した。もったいないが朝からずっと端正な富士山を眺めているといささか食傷気味だ。「不動湯」で入浴後、富士急行下吉田駅まで1時間強歩いた。途中、ふっと見上げたらもうすでにもやってシルエットだけだが大きな富士山が私を見下ろすような感じで聳えていた。「偉大なる俗物め」とまた悪態をついてしまった。4時14分の電車で大月に出たがあたりはもうすっかり暗くなっていた。

278.2001/12/8〜9塔の岳
11月は富士急行沿線の山を歩いたので一ヶ月ぶりの丹沢だ。今夜は木の又小屋泊まりとなるとのんびりとしたものでおにぎりを食べて9時25分大倉を歩き出す。鍋割山稜にはガスが流れて花立あたりから霧氷が見られる。やがて12時50分塔の岳山頂に到着だ。富士山は顔を見せない。この時期、塔の岳山頂で富士山が見えないとなると写真にならない。尊仏山荘に入ってコーヒーを飲む。窓の外の大きな寒暖計は零下5度を指している。いよいよ木の又小屋だ。途中振り返ると塔の岳の山腹が霧氷に覆われて見事な光景を見せる。今夜の泊まりは15名、夜はスト−ブを囲んで四方山話に盛り上がる。翌日は塔の岳を往復した後、小屋に戻る。この後書策小屋の前のベンチで休憩中のKさんのグル−プに追いつき一緒に表尾根をくだる。今日はいたるところで富士山が見える。烏尾山から上倉見橋におりて牛首、風の大橋と長い林道を歩き大倉に着いた。鶴巻温泉に途中下車して温泉旅館「ゆたか」でひと浴びして帰宅した。

279.2001/12/23〜24丹沢主脈縦走
小丸尾根を経由して塔の岳に登る。夜は定宿の木の又小屋だ。尊仏山荘ではTさんに会い、木の又小屋ではKさんご夫婦に会う。翌日、再度、塔の岳に登り丹沢山に向かう。こんな上天気の日には足を伸ばさなければもったいないと丹沢山から蛭が岳に向かう。山頂のベンチではYさんご夫婦に会う。この後は不動の峰から前後して歩いた女性二人組を加えて5人で一緒に歩く。釜立沢をくだり林道の終端に止めてあったYさんの車に一緒に乗せていただき、皆さんと藤野やまなみ温泉で入浴して駅まで送っていただいた。人の出会いはとても楽しいものだ。
 
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