山からの短信

2000年の要約

231.2000/1/22〜23塔の岳

尊仏山荘で一休みだ。田中さん制作のビデオ「丹沢で会う花たち」を買う。表尾根をくだる途中でKさんに会う。空身で塔の岳山頂まで往復するそうだ。木の又小屋では顔馴染のFさんMさんSさんに会う。今夜の泊まりはMさんTさんSさん、この他素泊まりの5人で都合9名だ。夜はスト−ブを囲んで賑やかな話しに盛り上がる。

232.2000/2/11〜12丹沢三ツ峰

大倉から風の大橋を渡る。自動車の音がするので振り返るとMさん運転のバンだ。途中一緒に歩いていた方と二人車に乗せてもらう。途中でもう一人乗せる。車となるとあっけなく戸沢に到着だ。戸沢山荘前の駐車場で準備をする。気が付くと前にパジェロが駐車していてSさんがいる。何時着たのか。ニ、三日前にメ−ルを頂いているので妙な気分だ。

233.2000/4/1〜2塔の岳

 1ヶ月半ぶりの山行きだ。大倉は「どんぐりハウス」が壊され新しい休憩舎と売店が出来上がっている。営業は7日からのようだ。今日の調子はどうだろうか。何時もと変わりなく登る。塔の岳山頂で時計を見ると12時30分だ。休憩時間を入れて3時間20分か。1ヵ月半ぶりの山歩きとしては予想外に好調だ。それにしても人が少ないのはどうしたことか。山頂は閑散としている。年度末、年度始めの忙しさで山どこではないのかもしれない。

234.2000/4/22塔の岳

書策新道から塔の岳だ。今日は鍋割山を周って帰る。この位歩けば体重はどうか。帰って銭湯で体重計に乗る。体重は63.5キロ、少し下がったようだがまだまだだ。60キロまでこの調子を持続しなければと思う。

235.2000/5/4〜6丹沢漫遊

神の川ヒュッテに一泊して懸案の日陰沢新道から大室山だ。翌日は地蔵新道を再度登る。今度は余裕だ。蛭が岳、不動の峰、丹沢山、塔の岳と歩き木の又小屋に2時に到着だ。下山すれば出来ない時間ではないが連休で家にいてもすることがない。ここで一泊して皆さんとワイワイがやがや遊んでゆこう。

236.2000/6/17〜18塔の岳

大倉から塔の岳、表尾根、政次郎尾根と定番のコ−スだ。予報は雨であったが家を出るとき雨さえ降っていなければ登るつもりだ。とにかく体重が気にかかる。

237.2000/7/2塔の岳

今日もまた大倉から塔の岳、表尾根、政次郎尾根と定番のコ−スだ。あまりの暑さに花立山荘の前で一眠り。塔の岳山頂は人で一杯だ。大倉の農家で野菜を1杯買ってザックに詰め込む。これを見たこの家のおばさんに感心され、オマケにナスを一袋頂く。良き哉、人のふれあい。

238.2000/7/9塔の岳

今日もまた大倉から塔の岳、表尾根、烏尾山と定番のコ−スだ。暑さ対策で短パンで登る。時間は3時間30分だ。帰りは趣向を変えて烏尾山から下りる。林道を歩き出してから直ぐに車に乗せてもらう。今日も野菜をザック1杯買う。

239.2000/7/21四阿山(百名山)

夏山シ−ズンの幕開けだ。戸倉の義兄宅に泊めてもらい翌朝鳥居峠まで送って貰う。百名山の完登は無理としても少しでも登ってみたいものだ。山中で同年輩のFさんと知り合い一緒に登る。帰りは吾妻線万座鹿沢駅まで車で送って貰う。

240.2000/7/28〜29平の小屋

薬師岳縦走を目指して勇躍出発するも平の小屋に1泊して引き返す。4泊5日の縦走計画でザックが重すぎたのが第一の原因だ。おまけに初日から雨にたたられ黒部ダムから平の小屋までガイドブックによれば2時間30分とあったが雨とザックの重さで3時間30分近く掛かった。 小屋があるところでは小屋の食事を利用しなければならないとつくづく思う。帰り掛け信濃大町の「薬師の湯」で湯に浸かって敗残兵の気分を味わう。

241.2000/8/4〜6平が岳(百名山)

2年越しの平が岳だ。昨年、テントを担いで登り雨とテントの重さで台倉清水と白沢清水の間でやむなく幕営し、ひき返した。今年は登山口にある清四郎小屋に泊って登る。朝、4時11分に小屋を出て夕方4時30分に小屋に帰り着く。途中、雷と雨の手荒い歓迎を受けたが露天風呂に浸かって満足感で一杯だった。翌日は例の帰りがけの駄賃の称する寄り道だ。沼山峠から尾瀬沼、三平峠、大清水と歩き沼田に出て帰り着く。

242.2000/8/11〜12雨飾山(百名山)

雨飾山、なんと響きのよい名前だろう。糸魚川からバスで山口まで入り、ここから3時間10分の車道を歩く。暑くて暑くて道路はしで何回も横になる。着いた雨飾温泉で露天風呂「都忘れの湯」に何回も浸かり明日の英気を養う。5時15分に小屋を出発する。山道に人影はない。笹平分岐から人が多くなる。登る人の大半は小谷温泉側から多いようだ。9時23分山頂に到着する。下からガスがどんどん上がってきて展望はいまいちだ。10時下山開始だ。目指すは小谷温泉だ。荒菅沢では厚い雪渓が残っていて、下から吹き出す風が心地よい。登山口から40分近く車道を歩き村営雨飾荘の露天風呂に入る。帰りは露天風呂で一緒だった若い方の車に拾ってもらって南小谷駅まで送っていただく。見知らぬ方の親切に感謝する。

243.2000/8/18〜19苗場山(百名山)

急な登りを詰めて山頂の一端に立つとあっと息を呑む。4キロ四方に及ぶ湿原が広がっている。「苗場山は越後第一の高山なり。絶頂に苗田有り、依て昔より山の名に呼ぶなり。峻岳の頂に苗田ある事甚奇なり」(鈴木牧之「北越雪譜」)とあるが実感できる。山頂の山小屋に一泊して翌日赤湯コ−スを下る。途中、秘湯赤湯で一浴びする。

244.2000/8/25〜26巻機山(百名山)

山麓清水の民宿に前泊して巻機山に登る。本年は3月の降雪が多くて雪渓が不安定のため沢コ−スは入山禁止だ。井戸尾根コ−スを登る。ニセ巻機山から見る巻機山の山腹は緑の絨毯を敷詰めたような趣だ。牛が岳まで足を伸ばし往路を戻る。これで今夏、百名山は5座登る事が出来た。

245.2000/9/9塔の岳

1ヶ月ぶりの丹沢だ。大倉から大倉尾根経由で塔の岳だ。時間は休憩も含めて3時間45分だ。スロ−ペ−スのような気はするが一定のペ−スで登れたのでまあまあのところか。木の又小屋で2時間近く遊ぶ。戸沢の休憩舎で先着のK先生お茶を飲んでいて帰りは風の大橋まで車に乗せていただく。

246.2000/9/30〜10/1表尾根

秋の長雨というが、9月は天候が不順な日が続いた。週末はどうだろうか。天気予報も気にかかるがとにかく山に取り付くまで雨が降り出さなければ良いと思い出かける。このところ大倉尾根が続いているので今日は上倉見橋から烏尾山だ。稜線に出れば人がいるが今日は少ない。今夜は木の又小屋に一泊して遊ぼうというわけだ。宿泊者は常連のHさん、Sさんご夫婦の四人だ。夜は10時近くまで話で盛り上がる。翌日は4人で政次郎尾根をくだり、Sさんご夫婦の車で厚木の地ビ−ルの醸造所サンクトガ−レンを訪ねる。エ−ル3種を試飲させていただく。飲むものでも食べるものでもこういう小規模なところで作られるものほうが美味しいと思う。
サンクトガ−レン探訪記を近々書き上げる予定です。乞うご期待!

247.2000/10/8大杉山&遠見山

かねてからの懸案の大杉山に登る。「丹沢湖の北に一際高く聳える山が遠見山そしてその際に人知れず息づく三角点峰、それが大杉山である。」しかし、「大杉山は地図を見てもル−トの記載は無く、道標も無い。限られた登降ル−トは踏み跡も途切れがちで、迷って沢に入ると、ガレ、ザレ、滝が多く、登りもくだりも非常に難しい。」という。幾分緊張気味に登る。時にはこういう緊張感がたまらない。


248.2000/10/21〜22塔の岳

何時もの大倉尾根を登って塔の岳だ。山頂直下でおりてくるFさんに会う。山頂は人で一杯だ。今日も時間は何時もと大差ない。尊仏山荘でコ−ヒ−を飲んで早々と木の又小屋に向かう。今夜は大学山岳部のOB会とかで貸切のようなものだ。一般の同年輩の方が来られて話相手が出来た。このほか仕事で遅くなるが8時頃までに来るという二人組みがあるという。本当だろうかと思っていたが、本当に8時過ぎに大型の携帯ライトを持った30歳代の二人組が到着だ。これには驚く。OB会は私と同年輩の人達のようで賑やかな様子だ。スト−ブを囲んで話しをしているとOB会から一人二人と加わり話が盛り上がる。翌日は烏尾山からくだり上倉見橋、牛首経由で大倉だ。大倉のバス停前にはJAの臨時販売所が出ている。薩摩芋と人参をザックに詰めこめるだけ買い込む。


249.2000/11/3〜5丹沢主脈

連休の天気は週間予報では3日は曇、4日は晴、5日は曇、6日は雨の予報だ。このところ表尾根ばかりなので久し振りに鍋割山から鍋割山稜だ。霧に煙る鍋割山稜をモ−ツアルトを聴きながら歩く。たまにはこんな趣向も悪くはない。今夜は木の又小屋に一泊して明日は丹沢主脈だ。それも東野などに素直にくだっては面白くない。袖平山北尾根だ。昨年12月26日にくだっているが最後の詰めで悪戦苦闘してひっよこり踏み跡を見つけて林道に出た。この北尾根をくだりにとる場合は植林地に入ってからが難関だ。この尾根は藪漕ぎはあるものの頭さえ外さなければ格別の問題は無い。今回も前回と同じ植林地で悪戦苦闘だ。時計を見ると2時40分だ。沢にくだるのも危険だ。明日は休みだ。ビバ−クが頭を掠めるが登り返して黍殻山避難小屋に泊まるのがベストだと思い直す。8時間近く歩いているので足が重いが仕方が無い。袖平山の山頂から東海道自然歩道に出ると5時を回っている。姫次辺りまではなんとか道が見えたが八丁坂の頭辺りから懐中電灯の光を頼りに歩く。たどり着いた避難小屋には誰もいない。屋根のあるところで寝れるだけ上々としなければなるまい。山は登りよりくだりが難しいということを実感する。近いうち登りにとって植林地の辺りを徹底的に調査だ。

250.2000/11/11袖平山北尾根

先週、尾根の末端と思われる地点までくだったが道が分らなくなり残念ながら登り返し時間切れで黍殻山避難小屋に泊まった。あの末端と思われる地点がどこか、今回は登って確かめようというわけだ。取り付く口は分っている。植林地の中をかすかな踏み跡を頼りに登りだすが直ぐに踏み跡が消える。しかし登りの場合は心配ない。高いところ高いところを目指すと次第に尾根の形がはっきりする。踏み跡も確りしている。問題は何処に出るかだ。1時間くらいで平場に出た。見慣れた地点だ。昨年も先週もここを通過してこの少し先に出た。北尾根というイメ−ジにとらわれて直進したのだ。この辺りから尾根が何本かに枝分かれしているのだ。くだりに使う尾根は右寄りに延びているのだ。後は余裕で袖平山に向かう。山頂から笹原をかき分けてくだるとベンチに中年女性組4人がいて何処からきたのかと聞かれる。赤線で真っ赤な地図を出して袖平山北尾根を教えるとびっくりする。どうだと得意満面の気分だ。

251.2000/12/2〜3塔の岳

今日はフォ−レとモ−ツアルトのレクイエムを聴きながら大倉尾根を登る。最初はフォ−レだ。曲が終わると間もなく雑事場の平だ。何時ものようにここで小休止だ。やがて歩きだす。ここからはモ−ツアルトだ。何度も家で聴いてはいるがこうして山道を歩きながら聴くのもなかなかいいものだ。音楽は門外漢の私でもモ−ツアルトはとにかく好きだ。しばらくは大倉尾根を登る時はモ−ツアルトだ。花立山荘に到着だ。時計を見ると12時を少し回っている。ここで昼食だ。トン汁(400円)をたのんでおにぎりを食べる。食べ終われば出発だ。15分も休んだであろうか。一人で歩くとゆっくりする間もなく歩いてしまう。塔の岳山頂だ。富士山はもやって見えない。時計を見ると12時44分だ。大倉を9時20分に出発しているので所要時間は3時間24分だ。尊仏山荘に入る。客は二人だ。花立さんも大野さんも暇なようだ。コ−ヒ−を飲んで話しだ。小屋を出るとFさんに会う。女性と一緒だ。家内ですと紹介される。今日は奥さんと登ったのか。木の又小屋まで三人で一緒に歩く。木の又小屋の今夜の宿泊者は常連のTさん、Mさん、Yさんに4時過ぎに到着されたWさんの5人だ。遅くまでスト−ブを囲んで話しが盛り上がる。Wさんもすっかりこの小屋が気に入ってくれたようだ。翌朝5時猛烈な風の音で目がさめるが7時頃にはおさまる。皆さんより一足お先に書策新道をくだる。戸沢から大倉までの長い林道歩きもモ−ツアルトを聴きながら歩くので退屈しない。甲斐駒が岳のある小屋では山登りにはワ−グナ−がいいといってワ−グナ−で送り出してくれるそうだが、こうして冬枯れの山道を一人で静かに歩く時はモ−ツアルトもわるくはない。よき哉山歩き。

252.2000/12/16〜17桧洞丸

9時寝る前に小屋の外に出てみる。気温は零下3度。暗い夜空に星がびっしりだ。そう満天の星というやつだ。小田原方面の灯りが小屋の正面、南に見える。左手から鍋割山、塔の岳、丹沢山、蛭が岳の黒いシルエットがぐるりと回りこみ、蛭が岳と焼山の間からは相模原方面の灯りが見える。見上げれば立ち枯れのぶなの巨木の枝に星が重なり電飾のツリ―の趣きだ。小屋に着いたとき管理人もいないのでどうしようかと考えた。下山しようと思えば出来ない時間ではなかった。この青が岳山荘は管理人が不在の時でも良心箱にお金を入れて泊まれるのだ。一人で小屋に泊まるのも心細いが先月の黍殻山避難小屋よりはきれいな寝具があるだけましだ。今夜は一人きりと覚悟を決めていたら4時過ぎに管理人の佐藤さんが手伝いの人と二人でボッカをして登ってきた。この小屋の今夜の客は私一人というわけだ。あわただしく山頂を踏んで一回りして帰るのも一つの山歩きでは有るが、食料と水を担いで登り山頂の山小屋でこんな光景を見て一晩過ごすのもわるくは無い。  



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