★「増税是非首相どう判断・・分析会合終了経済認識割れる」という朝日新聞の記事を読む( 5/20
  この記事自体は読んでも、これまで散々議論されていることだから目新しさがないが、この下段の記事には驚いた。
「「10%」提言へ首相に近い議運」の見出しに「安倍晋三首相に近い自民党議員でつくる「アベノミックスを成功させる会」は19日、消費税を来年4月に予定通り引き上げる一方、影響を緩和するため、3年間で最大37兆円規模の財政出動を行う提言案をまとめた。近く首相に提出するという。これまで消費税増税反対を訴えてきた同会が方針転換したことで、首相官邸の意向を受けた動きではないかと憶測を呼んでいる。」とあり、財源は原則として国債でまかなうとある。ただただ驚きで言葉も出ない。

 私は経済学部の学生の頃、ゼミの指導教授山口正吾先生の論説が紹介されている「戦後日本のインフレーション」(都留重人著)を読んだ。都留先生によれば日本の近代経済史上、デフレ政策は3回行われたという。明治期の松方正義による日露戦争後の財政改革、昭和初期の井上準之助による金解禁に伴う緊縮財政、太平洋戦争後のドッジラインだ。いずれも大変な痛みを伴う政策で井上準之助は凶弾に倒れ、ドッジラインは朝鮮戦争の勃発で中途で終わった。デフレ政策が遂行されたのは明治期の松方正義による財政政策だけである。

 明治政府は日露戦争の戦費をまかなうため膨大な国債を発行したが、戦後、松方正義は大蔵大臣として財政改革(デフレ政策)を行った。
松方はこの改革案を持って京都にすんでいたかねからの知己の山本覚馬(元会津藩士、硝煙で盲目になり京都の薩摩藩邸にかくまわれていた。この人の妹八重が新島襄夫人)を訪ねて意見を徴した。
「この通りやれば改革は出来るが、おぬしの命はないぞ」と山本が言ったところ、「もとより国家に捧げた命、覚悟の上」と松方が答えたという。

 京都には何回か行っています。2回ほど若王子神社の横からイノシシ除けの柵を開けて山道を辿り新島襄、山本覚馬の墓所を訪ねたことがあります。2度目の時(2010/11/27)、墓所はずいぶん整備されていました。正面に新島襄の墓石(友人の同志社を出た畠山君から教えて貰ったのですが、この題字は勝海舟の筆になり、新島の島の字の横棒が欠けているそうです。私は気がつきませんでした。)、左手に山本覚馬の墓石があります。人影のない墓所で明治の先人達は大人物であったのだ思いました。(’16/5/22記)
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