266.2001/7/19〜22薬師岳縦走
東京から新幹線と特急を乗り継いで富山に3時過ぎに到着した。昨年、雨とザックのあまりの重さにめげて平の小屋に一泊しただけでひき返した。先週は夏山シ−ズンの幕開けとばかりに蓼科山に登った。夜行で出かけ茅野の駅でコンクリ−トの床にビニ−ルを敷いて2時間ほど仮眠をした。始発のバスに乗って6時40分親湯温泉から歩き出すも寝不足がたたって調子が出ない。今回の北アルプス最深部の薬師岳縦走となるとこんなお手軽のことでは歩き切れものではないし、折角の山旅が楽しめない。そんなことで富山駅近くの安宿に泊まって朝一番のバスで出発しようというわけだ。宿を4時半に出て駅前のバス停に向かう。5時前という早朝にもかかわらず大勢の人が集まっている。朝一番の特急、急行で着いたり駅近辺の宿に泊まった登山者達だ。折立に向かうバスは5時10分発、40分発、6時10分発の3本で延べ6台のバスが登山者を運ぶのだからなかなか壮観だ。予約のキャンセル待ちでバスに乗れない人達は富山地方鉄道有峰口駅まで電車を利用してそこからバスで折立まで向かう。走り出したバスの車内は意外と静かだ。夜行組もいるから大半が居眠りをしている。有峰林道に入り曲がりくねった山道をバスはどんどん高度を上げてゆく。折立の休憩所近くの林道の片側にずらりと自動車が並んでいる。バスのなかからなんとなく驚きの声があがる。休憩所の前は大変な賑わいだ。身支度をして7時35分早々に歩きだす。この道は3年前に一度歩いているので格別のことは無い。ひと登りして樹林帯を抜ければ草原の中の緩やかな山道で振り返れば有峰湖が下に見え出す。前後を歩いている人達の今夜の泊まりは太郎平小屋、薬師沢小屋、薬師岳山荘と決まっている。太郎平小屋なら12時前後には着けるであろうし、薬師沢小屋、薬師岳山荘でも2時から3時には着くであろう。そんなせいかなんとなく皆さんのんびりとしているように見える。11時40分太郎平小屋に到着だ。ここでパックの牛乳を買う。小休止の後、木道を歩き薬師峠のテント場を見て薬師沢を登る。大きな石がごろごろした沢を詰めるのだ。豊富な水が沢を流れている。やがて平場に出ると雪渓が残っている。沢の水はこの雪解けの水だ。ここから少し歩いたところが薬師平だ。すでに何人か休んでいる。昭和38年1月愛知大学山岳部の13名がホワイトアウトに遭いリングワンデリングを繰り返し次々と倒れたところだ。生きておられたら私と同年輩の人達だ。それだけに自分の青春と重なる。あの頃は山に登るなんて想像も出来なかった。7年前に母が亡くなったが入院中も山に出かけ家内からは文句を言われた。病院では母に「あんたの学生時代は貧乏で山どころではなかったからね。私はまだ大丈夫だから山に行っても大丈夫よ。」ど言われたものだ。そんなことで山で遭難碑を見ると直ぐに事故の日時と死者の年齢を見る。同時代であれば自分の青春と重ね合わせていささかの感慨に浸る。ふっと気が付いて視線をあげれば槍ガ岳が小さく見えるではないか。私のカメラではとても写真にならない。ひとしきり眺める。ここで昼食だ。おにぎりからのりを取ってコフェルに入れて牛乳を掛けて食べる。お茶漬けのようなものだ。さらさらとおにぎり2個を食べてしまう。ご飯に牛乳に梅と妙な取り合わせだが私はこのご飯に牛乳をかけて食べるのが気に入っていて家で時々食べるか家内はあきれ顔だ。皆さんどんどん登ってゆく。くだってくる人も多い。太郎平小屋に2泊して薬師岳を往復し翌日黒部五郎岳から三俣蓮華岳、鷲羽岳、双六岳、槍ガ岳と向かうのだろう。一昨年、一日目は太郎平小屋に泊った。二日目は黒部五郎岳に登り、歩きに歩いて三俣山荘に泊った。三日目は鷲羽岳、水晶岳と登り、野口五郎岳を経て烏帽子小屋に泊まった。翌日、ブナ立尾根をくだった。緩やかなのぼりで振り返れば黒部五郎岳が望める。前後に人影は無いが時間も早いしのんびり登ってゆく。薬師岳山荘に1時44分到着だ。割り当てられた寝場所は二階だ。垂直の梯子を上ってみれば二階とはいっても中央部でやっと立てる位の屋根裏でびっしりと布団が敷詰められている。寝る場所が決まればあとは小屋の前でのんびり時間をつぶすだけだ。薬師岳方面からくだって来る人、薬師沢から登ってくる人とどんどん人が増えだす。大変な人だ。のんびり小屋の近辺を歩き回って時間を潰す。やがて何人かが呼ばれる。もう食事のようだ。人数が多くて4時30分から何回にも分けて始まり7時過ぎまでかかる。わずかな通路から乾燥室の空いているところ全てに人が詰め込まれる。少しでもスペ−スを確保するためザックは小屋の軒下に出してくださいという。夜はシ−トを掛けて雨が降っても濡れないしますといっている。5時頃小屋の前でコ-ヒ-を沸かしてパンとクラッカ-を食べて簡単な夕食を済ませる。デザ−トは乾燥したパイナップルだ。乾燥果物等食料は一杯有る。小屋の食事を食べてなるべくザックを軽くと考えていたが、結局、何かのことがあればと考えてついつい食料を持ってきてしまった。そんなことでどんどん食べなければザックが軽くならない。やがてガスが湧き出し冷たい風が吹き出す。夏とはいっても高度2500を超えるとなるとかなり冷えだす。小屋の2階で横になって聞くともなしに皆さんの話しをきていると山頂を往復する人が大半のようで、縦走する人は少ないようだ。

3時を回る頃からガサガサしだす。まだ早い。どうしてこんなに早いのだろう。もう少し静かに寝かせておいて欲しいものだ。少しうとうとする。起き出して見るとかなりの人が出発した後だ。小屋の前のベンチでお湯を沸かしてレモンティ―でパンとクラッカ−を食べる。5時30分薬師岳山荘を出発だ。どうも最後尾のようだ。登りは緩やかで登るにつれてくだってくる人が多くなる。山頂でご来光をみるために4時前に登った人達であろう。緩やかなのぼりで、格別変化のある道ではない。やがて薬師岳山頂だ。残念ながら展望は利かない。ひとしきり時間をつぶすも状況は変わらない。昨日あんなに晴れていたのにとなんとなく未練が残る。もう少し、もう少しと思うが次々と出発してゆくので落ちついていれなくなる。北薬師岳山頂も展望は利かない。ここからはゆるやかにくだりとなる。のぼりといいくだりといいこの山体の大きさを物語っている。振り返れば斜面にはかなりの雪が残っている。黒部五郎岳から薬師岳を見たときは大きな山体で茫洋とした感じがしたが、登ってみてもくだってみてもそんな感じだ。やがて間山だ。先着の若い人が休憩をしている。斜面には大きな雪渓が残っている。やがて樹林帯にはいる。樹林帯とはいっても矮小なものだ。やがてスゴ乗越小屋だ。小屋の少し上のタンクに黒いゴムホ−スで水が引かれていてどんどん溢れている。小屋の前のベンチで一息入れる。冷たい水で喉を潤し水筒の水を入れ替える。大助かりだ。目の前にはスゴの頭が、さらに左に越中沢岳に連なる稜線が見える。

ひとしきりくだるとスゴ乗越だ。ここから登りだ。スゴの頭の少し手前でバテ気味で岩陰にへたり込む。小屋を4時に出発していればとか、万一の場合はビバ−クかと、不安が頭を掠める。ひとしきり休むと気持が少し落ち着く。どうもピッチが早すぎたようだ。落ち着け、まだ時間も早い。ゆっくり、ゆっくり、と一人言い聞かす。今度はゆっくりと登ると、やっと何時ものペ−スを取り戻す。やがてスゴの頭の肩に出る。なんと大勢が休んでいるではないか。皆さんは逆コ-スの人達でスゴ乗越小屋に泊まるようだ。一緒に小休止をする。一人で歩くとなんとなく気持に余裕がないせいかピッチが早すぎるのだ。この薬師岳縦走は三泊四日が標準でそれを二泊三日でこなそうというのだから落ち着いて自分のペ-スを守らなければ先ほどみたいなことになってしまう。こんどはくだって登りだ。ガスがどんどん流れている。前後に人影は無い。とにかくペ−スを守ってゆっくりと歩かなければならない。ふっと気が付くと登山道の直ぐ下の雪渓に雷鳥の親子を見る。雪渓の上を小さな雛が二羽チョコチョコ歩いている。ひとしきり眺める。スゴの登りではあごをだして少し取り乱したが、雷鳥を見たりしたせいか気持が落ち着いてこんどは無心に登る。やがて越中沢岳山頂だ。人はいない。でもここまでくるとなんとなんとなく安心だ。ここもガスが流れて展望もあまり無い。くだると広い越中沢乗越だ。どうも道の様子が違うのに気が付いた。直進をしたようだ。少し戻って注意をしてみると右斜めにくだるようだ。ここはガスが深ければ道を見失いそうだ。やがて樹林帯となる。樹林帯とは云っても矮小なシラビソの疎林だ。やがて今度は登りだ。見上げるとなかなか高度がある。でもこれが最後の登りとなるとなんとなく気持ちは落ち着く。とにかく薬師を越えるこの縦走は登ったりくだったりとかなりのアルバイトを強いられる。昨年あまりのザックの重さにめげて平の小屋から引き返したが正解だった。余分なものを持たず三食小屋のもを食べなければ歩けそうにも無い。それなのについつい食料を余分に持ってしまう。そんなことを考えながら無心に登る。人の声が聞こえる。鳶山だ。先行していた若い3人組に追い付いた。北東の草原に残雪が幾筋もひろがり五色原山荘が望見できる。ここまで来ればもう安心だ。スゴの登りであごを出していよいよになればビバ−クだなどと考えていた事が嘘のようだ。自分で思っていたほど遅れた訳ではなさそうだ。こうなると余裕だ。足取りも軽い。五色原山荘に3時30分到着する。クラッカ−やういろうを乾燥果物と水で食べていたのでとにかく今夜はご飯が食べたい。夕食をお願いする。割り当てられた部屋は1号室で当然相部屋だ。一人はなんとなく気後れがするがとにかく皆さんにご挨拶をしてお仲間に入れてもらうことだ。ご挨拶をすると皆さんは舞鶴から来られた中年男女の5人組だ。夕食まで皆さんと四方山話だ。夜雨が降り出す。これで明日は快晴だ。

朝食は小屋の前のベンチで紅茶を沸かしこれに干し葡萄を沢山入れて食べる。さらにクラッカ−やういろうを食べて終わりだ。この種のものばかり食べていると段々と飽きが出てくる。ザックを詰め直す。随分軽くなった。玄関前は記念写真を撮る人達で大賑わいだ。同室の舞鶴から来られた皆さんも朝食が終わって出てくる。皆さんは室堂に戻られるそうだ。挨拶をしてから出発だ。人影の無い木道を正面の鷲羽岳、水晶岳から連なる稜線を見ながら足取りも軽く歩く。一際目立つのは赤牛岳だ。草原の白い花が朝日に照らされている。もう一日余裕があればと思うがなんとなく里心がついて風呂に入ることばかり考えている。それでも満足感で一杯だ。やがて草原の端にきた。振り返れば山荘の白い建物が朝日に照らされて小さく見える。今日は絶好の写真日和だが帰らなければならない。いよいよくだり始める。やがて刈安峠だ。途中、何組かの夫婦組やパ−ティ−を追い越す。皆さん小屋を早く出発されたようだ。人がいないと思った道もかなりの人達が下っていたようだ。ただ単独で歩いている人はほとんど見かけない。折り返し折り返し樹林帯を下る。くだるとなったら早いことわれながら驚くばかりだ。やっと昨年引き返したあたりに到着だ。ザックの重さにめげてもう駄目だもう駄目だと気が滅入って引き返したのだ。やがて見たことのある水場だ。この少し先が平の小屋だ。もう安心だ。ザックを下ろして顔を洗い、スパッツを洗う。夫婦組が来る。昨日薬師岳の山頂で会ったご夫婦だ。平の小屋の前で一休みだ。この後、樹林に覆われた湖に沿う水平道歩きだ。いよいよこのコ−ス最大の悪場の中ノ谷出合だ。100段近くの垂直の丸太に針金で横木を固定した危なっかしい梯子をくだり沢におりる。相当な崩壊の様子だ。今度は続いて100段近くのこれまたほぼ垂直な梯子を登る。とにかく暑い。水平道とはいっても結構梯子の小さな登りくだりが有ってとにかく疲れた。あきあきしたころ「ロッジ黒四」に着いた。ここまでくれば堰堤は目と鼻だ。この先にあるキャンプ地の水場で顔を洗い火照った足を洗う。いい気持ちだ。観光客の多い黒部ダム堰堤を歩いて冷風が吹くトンネルを歩く。大勢の観光客と一緒にトロリ−バスに乗って扇沢に出る。大町温泉郷でバスを途中下車して大町市市営「薬師の湯」でひと浴びだ。昨年はげんなりして浴槽に浸かったが、今年は様変わりで満足感で一杯だ。四日間も着ていた下着を換えてやっとさっぱりする。この後、バス停にいた4人でタクシ‐に相乗りして信濃大町駅に出る。2人は特急に乗るべく急いで改札口に向かう。私は松本からバスで今日中に帰ればよい。まだまだやる事があるのだ。そう蕎麦処小林でビ−ルを飲んで蕎麦を食べて、茶房河鹿でコ-ヒ-を飲んで一人で打ち上げをするのだ。店に行くと今日はお休みではないか。それならば今度は茶房河鹿だ。ここは大丈夫だ。ネルドリップで淹れたばかりのコ-ヒ-を飲む。ビ−ルの代わりにコ−ヒ−で一人静かに打ち上げだ。登れた。登った。目を瞑ればスゴの登りであごを出してオ−バ−にもビバ−クを覚悟したことなど思い出して我ながら苦笑してしまう。とにかく信濃大町ではこの2軒によるのが恒例で、これで夏の一大行事を消化したという訳だ。食事は駅弁でも買えばよい。4時の松本行きの普通電車に乗るべく駅に戻ると先ほどタクシ-をご一緒した女性が待ち受けていて声を掛けられる。なんでも富山から体の調子が悪くて帰った同僚の女性の乗車券指定席特急券を使ってくださいというではないか。有り難くご好意を頂戴した。一緒に松本に出て、5時11分発の特急「あずさ」でこの女性と一緒に帰京した。この方は病院に勤めている看護婦さんだそうで、いつもは退屈する電車の旅も一緒に缶ビ−ルを飲んで駅弁を食べて山の話をしたりしていてあっという間に新宿に着いた。



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