山 紀 行

黒部五郎岳、鷲羽岳、水晶岳、野口五郎岳
「黒部五郎は人名ではない。山中の岩場のことをゴーロという。五郎はゴーロの宛字で、それが黒部川の源流近くにあるから黒部のゴーロ、即ち黒部五郎岳となったのである。北アルプスには、ほかに野口五郎岳(柳瀬注.山域が長野県野口村に属する)がある。二つのゴーロの山を区別するため、黒部と野口を上に冠したのである。...

黒部五郎は大好きな山である。これほど独自の個性を持った山も稀である。雲ノ平から見た姿がもっとも立派で、中村さん(清太郎画伯)の表現を借りれば「特異な円錐がどつしりと高原を圧し、頂上のカールは大口を開けて、雪の白歯を光らせている。....  黒部と言えば、その谷の深さと険しさと美しさとで有名だが、その黒部川が産声をあげるのが鷲羽岳である。この山の頂に立つと、黒部川の幼年時代の発育ぶりが手にとるようにわかる。源流は一跨ぎ出来るささやかな流れである。その水がやがて切り立った絶壁の間を、たんとなり淵となり滝となって、猛々しく流れて行くのである。.... 

鷲羽乗越はハイ松で覆われた広い台地で、その緑の中に埋もれたように山小屋がある。そこから鷲羽岳の登りが始まるが、小屋の前から仰ぐ鷲羽の姿は雄雄しく美しい。急坂を登ってゆくと稜線の右側にスリバチ形の火山湖があって、その底に水を湛えている。これが旧称竜池、現在の鷲羽池である。ここから第一等の眺めは槍が岳で、槍を望む所は方々にあるが、ここほど気品高く美しく見える場所は稀だろう。その遥かな岩の穂がこの池まで影を落としにくる。.....

水晶岳(黒岳)は南北二つの岩峰から出来ていて、その北峰にある三角点の2978bが、この山の高度と見なされている。しかしその三角点から眺めると南峰の方が優に20bは高い。すると黒岳の最高点は3000bを超えていることになる。...高さだけではない、また一番奥深い山でもある。大ていの山は、その頂上から俯瞰すると、平野か、耕地か、煙の立つ谷か、何か人気臭いものを見出すが、黒岳からの眺めは全くそれを断っている。四周すべて山である。文字通り北アルプスのどまんなかであって、俗塵を払った仙境にすむ高士のおもかげをこの山は持っている。」(深田久弥「日本百名山」より)

第1日目

私の今年の夏山シーズンの幕開けは北アルプス南部だ。今回は11時3分上野発特急「北陸」を利用して富山から入る。寝台車の利用は何十年かぶりだ。なかなか寝疲れないが何時の間にか寝込んだ。目が覚めると列車は日本海側を走っている。車窓の外は水田が広がり朝日に輝く緑が見事な光景を見せる。富山駅に5時36分到着だ。早朝にもかかわらず駅前には登山者の姿が多い。バスも来ているが予約を入れているので安心だ。バスの前でザックを計量する。14キロだ。10キロを越えると超過料金を払うのだ。思ったほどではない。小屋泊まりだが自炊の予定なのでザックは次第に軽くなる筈だ。  バスは富山駅前を6時10分出発だ。車内は意外と静かだ。夜行列車で到着したせいか居眠りをしている人が多い。それにしても登山口の折立まで意外と長い。バスは集落を抜けてゲートで手続きをしてから曲がりくねった山道を上がって行く。いくつもの小さなダムを車窓から見る。やがて有峰湖だ。ここばかりはさすがに大きい。ダムの堰堤上の車道を渡って急な道を少し上がれば有峰記念館に着く。誰も降りる人はいない。気持ちは皆さん折立にあるようだ。やがて折立に到着だ。道の両側は車で満杯だ。休憩所の前でマイカ‐での先着組も含めみなさんそれぞれ身支度やら食事をするなど賑やかだ。今夜は太郎平小屋泊まりなので気分は楽だ。出発前に休憩所の中をのぞいてのんびりと歩き出す。さしたる急な登りもない。それでも次第に高度があがり樹林帯を抜けると有峰湖が下に小さく見え出す。三角点で展望が開ける。剣岳、立山、薬師岳が見える。途中のんびりと昼食を食べて時間調整だ。小屋には2時少し前に4時間で到着だ。寝る場所を割り当てられた後はすることもない。小屋の中の自炊場を覗く。流し台もあるし、水も自由に使える。これならゆっくり食事ができる。山小屋の中には自炊組を冷遇する小屋が多いなかこれはいい。部屋の中ではもう酒を飲んでいる人たちもいる。この後、小屋の外を散策したりで時間をつぶす。この小屋の表札の「太郎平小屋」なる文字は田部重治の筆になるものだ。枯れた感じのする書体だ。

第2日目

 4時30分起きて自炊室で朝食だ。まだ初日で食べるものは沢山ある。とにかくガスでお湯を沸かし、味噌汁を作る。ういろうとクラッカーを食べる。朝食はこれで十分だ。やがて起きだして自炊をする人で部屋の中は賑やかになる。天気もいいしとにかく早く出発だ。廊下には朝食の順番を待つ人が長蛇の列だ。太郎平小屋を5時10分に出る。気持ちのよい朝だ。最初は太郎山の登りだ。薬師岳が大きな山容を見せる。朝は気持ちがいい。睡眠も十分で足取りも軽い。神岡新道の分岐の標識を見るとやがて北ノ俣岳だ。先行する中年女性二人組が槍だと声をあげる。槍ガ岳の先端が見える。北アルプスのどの山域にいても皆さんの関心は槍ガ岳でその姿が見えようものなら歓声があるのだ。特徴のある山容ですぐに分かる。しかし左手に見える薬師岳は大きい。なんだか茫洋とした山容だ。この山を立山室堂から縦走して超えるには五色が原、スゴ乗越と2泊3日の行程だ。のんびりすれば薬師岳山荘と3泊を見なければ成らない。右から御嶽山、乗鞍岳、笠が岳、黒部五郎岳と見える。ここから見る黒部五郎岳はさほどの山とは思えない。拍子抜けした感じだ。やがて鞍部に到着だ。テントなのだろう。大きなザックの若い5人組が休憩している。この人達は入れ替わりに出発だ。はやる気持ちを抑えてここで一休みだ。道中は長い。とにかく一定の間隔で休みを取って一定のリズムで歩くという、いつものスタイルで無心に登る。先ほどの若いグループを追い抜く。やがて黒部五郎岳の肩に到着だ。稜線に出たのだ。反対側にカールが広がる。雪田もさほど残ってはいない。ザックをおいてサブザックで山頂に向かう。左手には水晶岳、鷲羽岳、三俣蓮華岳、双六岳、正面には槍が岳、大きな切れ目は大キッレトだ。北穂高岳から奥穂高岳が、さらに右には笠が岳、乗鞍岳、御嶽山、振り返れば左手に白山、正面には能登半島、富山湾が見える。いつまで見ていても見飽きない。次々と後続が登ってくる。成る程、梅雨明け10日だ。この言葉が朝から何度口をついただろうか。写真も撮ったし、いよいよくだる。肩に戻りデポしたサックを詰め直して出発だ。カールをくだる。意外と距離がある。気が付くと腕が赤くなっている。風が冷たくて気がつかなかった。慌ててシャツの袖を下ろす。黒部五郎小舎に到着だ。時計を見ると12時15分だ。予定ではここに一泊するのだが、この時間ではここで泊まるには早すぎる。こうなると三俣山荘に向けて出発だ。小舎の裏手から急登が始まる。ひとしきり登り振り返ると黒部五郎岳が見事な山容を見せる。成る程、百名山だと感心する。登りはいわば裏手から舞台に上がり観客席を見たようなものだ。それに引き換えここは正面から舞台を見ているのだ。視線を下に移せば緑の草原が広がり息を呑むような美しさだ。写真を何枚も撮るがこの感じが出るかどうか。やがてにぎやかな一団がくる。黒部五郎小舎の泊まり組だ。このあと歩く人の姿は見えない。緩やかな登りとなる山道を一人もくもくと歩く。やがて三俣蓮華岳の肩だ。この分岐から登れば山頂だが、今回は山頂はパスして巻き道を歩く。斜面のあちらこちらには雪渓から融けだした水が出ている。やがて稜線に上がる。見下ろすと斜面には雪田が残り、ハイマツ松帯のなかにテント場がみえる。三俣山荘の屋根も遠望できる。こうなると足取りも軽い。腐った雪田の中を注意してくだる。やがてテント場を横断する。テント場はとにかく若い人たちが多い。ここに定着してこの周辺の山に足を延ばすようだ。3時少し前に三俣山荘に到着だ。山荘はハイマツに囲まれ、小屋の正面には大天井岳から常念岳、槍が岳への山並みが見える。穂高は少し槍の奥に隠れている。とりわけ手前の硫黄尾根が日を浴びて強烈な印象だ。それにしても左手の鷲羽岳が圧巻だ。明日はこっちだ、こっちだと呼んでいるような感じだ。こうなると急遽予定を変更だ。最初の計画では三俣蓮華岳、双六岳を経て新穂高温泉に行く予定だがこんな上天気は滅多になさそうだ。成るほど梅雨明け10日だと実感する。山荘から電話をして巧子に予定変更を伝える。それにしても山小屋に衛星電話があるのでとても便利だ。二階の喫茶室でコ−ヒ−を飲みながら陽が翳りだす槍、穂高の稜線を眺める。山小屋で過ごすこんな時間が一番楽しい。夕食は広島から来た若い人と二人で自炊だ。自炊で歩くと出発時間も自由が利く上、何だかベェテランの気分になるから不思議だ。赤飯にビーフシチューだ。赤飯は小屋に着いたときに水を入れておいたので袋ごとお湯に入れて暖める。ビーフシチューは真空乾燥したものをお湯を入れて戻すのだが意外と美味い。彼は読売新道を登ってきたとのことだ。このコースは12、3時間はかかるというロングコースだ。それにしても自炊組が少ないのはどうしてだろうか。寝るところは小屋の一階の右手の部屋で二段ベットの下段だ。両隣はかなり年配の人だ。寝ながら隣の福山から来たと言う人と話をする。昨日、水晶小屋で宿泊を断られて、岩苔乗越から三俣山荘に来たそうで、明日はサブザックで水晶岳、鷲羽岳と登り三俣山荘にもう一泊するという。この部屋の大半が中高年者で占められている。

第3日目

 朝4時40分起きる。食事の順番を待つ人たちを尻目に昨夜の若い人と二人で自炊だ。朝は簡単に紅茶とクラッカーで済ませる。ただ紅茶は2杯分沸かして中にレーズンを入れる。朝はこれが一番だ。廊下には食事の順番を待つ人が行列を作っている。5時40分に小屋を出発だ。今日も雲ひとつない上天気だ。ハイマツの中を通り抜けて鷲羽岳の尾根に取り付く。30分も登ったであろうか先行する人に追いつく。福山から来たという年配の人だ。自慢ではないが普段丹沢を歩いているので健脚のようだ。太郎平小屋から歩き3時前に三俣山荘に到着したことで同宿の人たちに感心される。この登りも標準タイムでは1時間40分というが1時間10分少々で登りきる。これも早朝で条件がよいことによるのだろう。途中、稜線の右下に鷲羽池を見る。次第に陽があがりだし眼下に山荘の屋根があかるい陽の範囲に入ってくる。山頂で四周の展望を楽しむ。居合わせた皆さん、お互いに興奮気味に最高ですねと挨拶を交わす。ここでもまず最初に目にはいるのは南東の槍が岳だ。その右手からは穂高連峰、さらに南西に笠が岳、北から西にかけて黒部五郎岳、薬師岳と重畳たる山並みを見つめてひとときを過ごす。さあいよいよ出発だ。今日の行程は長いのだ。山頂から北に向かって歩き出す。ワリモ岳、岩苔乗越を通過してから緩やかな登りとなる。ふっと気が付くと昨日北ノ俣岳の手前で会った中年女性の二人が先行している。この後、一緒に休憩だ。石川県から来たそうだ。水晶小屋の前にザックをデポして水晶岳に向かう。小さなサブザックで歩くとなんだか頼りない位だ。やがて山頂だ。今日もどっしりとした薬師岳を見る。左手には黒部五郎岳だ。西側一帯の眼下に広がる高天原、雲の平を目で追おう。名残惜しいが戻らなければならない。戻る途中で早いですねと、声を掛けられる。石川県から来た二人組だ。山頂を踏んだ後は雲の平のほうに回るそうだ。別れを告げて小屋まで戻る。小屋の前でジュースを飲んで一休みだ。この小屋は収容人員が20人と小さな小屋で今日はもう予約で一杯だそうだ。東側に黒部の深い渓谷越しに裏銀座の稜線が連なる。出発だ。このコースをこの方向から歩く人は少ないのだ。いわば逆コースだけに気合が入る。しかし、北アルプス三大急登のひとつであるブナ立尾根をくだりにとるのだから気分は楽だ。小屋の前から折り返し折り返し下る。振り返ると赤岳と名前があるように赤茶けた斜面が目の前にそびえている。逆コースのせいかこの時間ではまだ人の姿がない。そのうち出会いだすのだろう。東沢乗越だ。ここから登りだ。登りきったあたりから野口五郎小屋か烏帽子小屋かに泊まった人達に会いだす。天気は良いし皆さんニコニコ顔で挨拶を交わす。だんだん多くなると勝手なもので煩わしくなる。このあたりの道は意外と歩きにく。大きな石がごろごろして、その上を道を見失わないように歩くのだ。やがて真砂岳の登りだ。途中で竹村新道の分岐を見る。この道は山頂からくだるのかと思っていたがどうもこの斜面を巻くようだ。大体この道自体が巻き道のようだ。このあたりとなると人影はほとんどない。鞍部で一人休んでいると中年女性4人のパ−テイ−が通過する。こんなにのんびり歩いて大丈夫なのだろうか。水晶小屋が満員なのを知っているのだろうか。この時間では岩苔乗越から三俣山荘だ。水晶岳、ワリモ岳、鷲羽岳は無理だろう。やがて登り切れば野口五郎岳の山頂だ。人影のない山頂で槍を写真に撮る。急がなければならない。稜線の右下に野口五郎小屋を見るが寄らない。とにかく時間が気にかかる。一人で歩くとある程度の目途がつくまでのんびりするわけにはいかない。途中、斜面に雪田が残っている所で雪をタオルで包み顔や首筋に当てて冷やす。いい気持ちだ。一息入れて元気がでる。さあ最後のがんばりだ。こちらにくる若い人に会う。野口五郎小屋までの時間を聞かれる。ブナ立尾根を登り野口五郎小屋に泊まるそうだ。たいしたものだ。普通は烏帽子小屋に一泊しての道を初日で野口五郎小屋までとなると明日は余裕で三俣山荘まで行けるだろう。やがて三ツ岩だ。北側から少し雲が出て、ガスも出てくる。東側の真下にちらりと高瀬湖の湖面が見るがすぐに見えなくなる。あと小1時間だ。疲れただのバテタだの云っておれない。ガスの出てきた斜面を飛ばす。そんな感じだ。さすがテント場を通過するあたり殻は足取りが重くなる。烏帽子小屋に3時30分に到着だ。 割り当てられた部屋の隅で皆さんと話をしていると5時近くにひとり40歳代の男性が到着だ。同じコ−スを歩いたようだ。ここでも感心される。ザックの中にはまだまだ食料がある。小屋の入り口の土間にあるテーブルで自炊だ。ラーメンを食べた後、この汁の中に餅を入れ食べる。残った汁に別のコフェルで湯がいた餅を入れのが私の専売特許でこれが美味いのだ。ラーメン組も多いが皆さんは最初から餅を入れてしまう。それでは美味しくないと口を出したところだが人のことだ。お節介はやめておこう。

第4日目

6時に烏帽子小屋を出発する。今日も天気がよい。3、4時間もみれば烏帽子岳を往復できるのであろうが、もう里心が出てきたようで下山するにしくはないようだ。この時間なら余裕でブナ立尾根をくだれる。足も軽い。どんどんくだる。クラッカ−、ういろう、ラ−メン、餅、アルファ米の赤飯と食事もいろいろ工夫したがいよいよ飽きがきたようだ。歩いていても、ひと浴びして、蕎麦だ、ビ−ルだ、コ−ヒ−だと、そんなことばかりが頭に浮かんでくる。大きなザックを背負った若い人たちのグループが登ってくる。なかには女の子もいる。そんな連中がどんどん登ってくる。普段歩いている丹沢や奥多摩とは違って若い人たちが多い。中高年の人たちもいるが小屋泊まりのようだ。おはよう、頑張ってくださいなどとこちらは道をあけて余裕で声を掛ける。登山口に到着だ。水場に行き顔を洗い嗽をする。不動沢の川沿いに歩く。振り返ると空は雲一つない快晴で不動沢の左岸の大きな崩れが印象的だ。ここで右岸から左岸に渡るが、何年前か大雨の後だろう。この付近で若い男女が濁流に流されて行方不明になっているのだ。ここまでおりてきてまた5時間近い急な登りとなると無理をしてでも濁流を渡ってしまったのかもしれない。キャンプ場を通って最後の釣橋を渡るのもなんだか惜しくなってしまう。長いトンネルを抜けてダムの堰堤に到着だ。タクシーの運転手さんの話では下山一番乗りのようだ。とにかく一刻も早くひと浴びして、蕎麦だ、ビ−ルだ、コ−ヒ−だと、そんなことばかり先ほどから考えている。タクシーで大町温泉郷の薬師の湯に向かう。ここも3回目となると勝手知ったるところだ。96年五竜岳から鹿島槍が岳へと縦走して扇沢におりたとき初めてここに来た。98年剣岳に登った時にもここに来た。湯船につかって今年も元気で登れたとひとり満足感に浸る。4日間も風呂に入っていないので本当にさっぱりした。バスで駅に出て、駅前の小林でビールを一本飲んで蕎麦を食べる。いい気分だ。急ぐ旅ではない。特急に乗るまでもないだろう。快速で松本に出て、松本バスセンターから高速バスで帰ればよい。時間がまだ充分ある。もう一箇所だ。茶房「かじか」でコーヒーを飲む。とにかく美味い。これで夏の前半の恒例行事を消化したわけだ。 



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