山 紀 行
両神山(日本百名山)


「上野から高崎まで、関東平野を縦貫する汽車の窓から、この平野を囲む多くの山を見ることができる。赤城、榛名、妙義の上州三山や浅間山は、誰の眼にもすぐわかる。注意深い人は更に多くの山を見出すことが出来よう。
私がいつも気をつけてみる山に、両神山がある。それは秩父の前山のうしろに岩乗な岩の砦のさまで立っている。大よその山は三角形であったり屋根形であったりしても、左右に稜線を引いて山の体裁を作っているものだが、両神山は異風である。それはギザギザした頂稜のー線を引いているが、左右はブッ切れている。あたかも巨大な四角い岩のブロックが空中に突き立っているような、一種怪異なさまを呈している。古くから名山として尊崇されているのも、この威圧的な山容からであろう。それはどんな山岳重畳の中にあっても、一と目で直ぐそれとわかる強烈な個性を具えている。」(深田久弥「日本百名山」)

第1日目
池袋から西武秩父行きの7時3 0分発のレッドアロー号に乗る。これはなかなか快適だ。車中で朝食のパンを食べる。朝が早いせいかうとうと寝てしまう。 気がつくともう西武秩父で皆さんが下りて行くではないか。あわてて下りる。
西武秩父駅の構内では地元の観光協会の人達が埼玉県の観光地図やゴミ袋が配っている。駅前のバス停では登山者がずらりと列んでバスを待つ。バスが来て乗り込むが全員座れる。皆さん両神山に登るのだろう。これは小鹿野町役場前で両神村営バスに乗り換えだ。皆さんとー緒に日向大!谷行きのバスを待つ。ここは小鹿野町の観光案内所た。 お茶の設備や観光案内のパンフレットがあり退屈をしない。
バスを降りて日向大谷から川沿いに歩き出す。先頭だ。日向大谷口に到着する。ここは車道の終端だ。民宿があり車がたくさん駐車している。身支度をして早々に歩きだす。今日は泊りでそんなに急ぐわけではないが歩きだせばついつい先行組を追い越してしまう。やがて会所だ。見上げると大きなザックを降ろして5人組の女の子が休憩している。あの大きなザックの様子を見るとテント泊なのだろう。会所とは言っても格別さしたるものはない。ここは滝沢から産泰尾根への道の分岐だ。ここを下って沢を渡る。沢の岩のあちらこちらに座って大勢の人が休憩をしている。皆さん泊まりだろう。のんびり歩いた方がいいだろう。しかしどんどん歩いてしまう。歩きだしたら止まらない。 中年男性がー人、足がつったとかで、休んでいる。さっすたりもんだりで心配そうだ。助けてあげるわけにも行かない。ただ時間が早いから大丈夫だろう。 ー休みして暖めれば治るのではないか。痙攣は塩分とかカリウムが不足をして起こるのだろうか。幸いこういうことを経験したことがない。ただ予防策は考えて置かなければならない。やがて「弘法ノ井戸」の標識を見る、ふつうは斜面と斜面から水が出ているのだがここは比較的平らなところにある地面に差し込まれた塩ビの管から水が流れ出している。こういうことで「弘法ノ井戸」とでも名付けられたのかもしれない。水脈というのは本当に不思議なものだ。
ここから少し歩くと清滝小屋だ。なかな洒落たログハウスだ。受付を済ませる。今日は宿泊者が多く布団一枚に2人だとい)。2年ほど前に新聞で管理人の黒沢和士雄さんが事故で亡くなられたのを知ったが、新しい管理人が入られたようた。小屋の外にザックを置いて建物の内部を覗いてみる。入り口の土間にはストーブが有り赤々と燃えている。それほど寒いわけではないがだんだん火が恋しい季節になった。ここは水場もあるしベンチにはターフも張ってあり、自炊組には有り難い。お手洗いも別棟だ。古くはなっているが、なかなかしっかりした造りだ。皇太子様が昔、登られたおりに造られたとか言う声が聞こえる。成る程納得だ。雲取山荘の水洗トイレ、白根御池小屋と皇太子様が登られると地元の市町村もそれなり整備されるようだ。白根御池小屋に泊まったおり、道路ばかりでなく山小屋にお手洗いくらい造ってほしいと女性が言っているのが聞こえたが本当に同感だ。皇太子様が登られることもそれなりに効果があるのであろう。それにしても情けない話だ。暗くなるとランプが点けられ寝場所が決まる。これがひと騒動だ。お隣は小学生2人を連れたお父さんだ。話をすると40歳代か。中学生の時に登ったそうだ。こちらはおじいちやんに連れられた小学生だ。2年生だそうだ。一枚の布団に2人と言うが両隣は小学生で気楽は気楽だが、寝相が悪くて閉ロする。ソュラフカバーで寝るのでさほど気にならない。夜中目が覚めて隣を見ると布団からはみ出している。布団を掛けてやる。こんな経験も珍しい。

第2日目
4時頃起きる。あたりはまだ薄暗い。管理人が来てストーブを点ける。小さな枝を入れて火を点ける。大きな木片を入れる。この後、上から灯油を少し振りかける。なんだか乱暴な扱いたち食事の用意が出来たとの声がかかり皆さん別棟の食堂に行かれる。 ストーブの上にコッフェルを載せてお湯を沸かして味噌汁を作る。ストーブの前に座ってりパンを食べる。こんなことをしているのは私一人だ。いよいよ出発だ。身支度をして小屋の裏の道に取り付く。朝は少し冷たいが登りやすい。鈴ケ坂を登って産泰尾根に出る。会所からの七滝沢コースと合わさる分岐の標識を見るとやがて神社だ。これが両神山神社だ。ここを少し歩くと休憩舎がある。登山道の真ん中に建てられている。夏ならここのベンチで寝ることもできるだろう。このあたりからはさしたる急な登りもなく山頂だ。山頂には祠があり狭い。この山頂は細長い尾根上の突起だ。西側、東側は急に落ち込んでいる。北に尾根が続き、前東岳が起立している。西側に南に伸びる尾根がつながる。梵天尾根だ。朝日に照らされて山襞が微妙な陰影を見せる。南には奥秩父の稜線が重畳に重なり、一番落ち込んだところが雁坂峠化。 西から北に掛けてアルプスかしかとはわからない。分岐まで戻る。ここから梵天尾根に向かう。このまま白井差におりても時間を持て余す。折角ここまで交通費を掛けてきたのたら いつもの帰りがけの駄賃で予定変更た。 人影はない。緩やかな道を下って行く。やがて鞍部でここをひと登りすると岩場に出て急に視界が開ける。ミヨシ岩だ。若い人がひとり休憩している。ここはなかなか展望がいい。両神山の稜線がギザギザの凹凸を見せ、垂直に切れ落ちている感じだ。のぞき岩が大きく見える。紅葉が大きな岩壁に散開して成る程百名山の名に恥じない。大峠だ。按部にベンチがある。ここから白井差小屋におりる道と尾根の道と分かれる。中双里への道には、「これより悪路」と書かれた小さな注意書きを見る。緊張気味に斜面に取り付くが落ち葉で道が見えないだけでさしたる悪路とも見えない。楚天ノ頭だ。新しい標識がある。ここでー休みだ。ここも人影はない。 先程の若い人は大峠から白井差におりたようだ。この尾根は所々に見上げるような巨岩があり、登山道は右に左に巻いている。このニカ所させ間違えなければ心配するところはない。葉が落ちたとは言っても枝だが邪魔をして展望は今一歩た。 日向大谷口、白井差口の人の多さに比べれば人影はー切無い。それだけ静かな山歩きが楽しめる。やがて白井差峠だ。ベンチとテーブルあり先着の中年男性が休んでいる。この稜線であった2人目だ。この梵天尾根はあまり歩く人のいない道のようだ。出発するのを見送った後、抹茶ミルクを飲んで最後の休憩だ。ここからはどんどん歩き出す。先ほどの人を途中で追い越す。やがて中双里の集落に出る。中津川沿いに歩き橋を渡り車道に出る。時計を見ると11時54分だ。バス停で時刻表を見ると三峰ロ駅行きは11時5 2分ではないか、通過したばかりだ。次は2時4 5分だ。なんたることか。残念だ。おまけに目の前を車がどんどん走り去るの見て情けなくなる。こうなるとあきらめが肝心だ。少し先にある人家の前の自販機でコーンスープ缶を買って飲む。ギザギザの稜線を眺める。こちら側は日陰で寒ささえ感じる。パーカーを着てベンチでー眠りか。いまらくすると目の前を中津川行きの満員のバスが通過する。この便は時刻表に載っていないではないか。紅葉の時期だ。臨時バスが出ているようだ。先程追い抜いた方が来る。この人は終点の中津川まで渓谷の紅葉を見ながら散策されると言う。ここらは自由乗降区間だ。手を挙げればどこででも乗せてくれるのだ。私はのんびりここでー休みをすることにする。のぼりもくだりもとにかく車が多い。1時間位したであろうか音楽を流しながらバスが来る。やれやれだ。乗ってから2,30分走ると今度は渋滞た。 やつと事態が飲み込める。これは臨時便ではない。52分のバスが大幅に遅れているのだ。狭い道にマイカーがどんどん乗り入れるのだ。こうなると入口の大滝村で車両規制をして村営のマイクロバスでも運営しなければならないのではない化。秩父鉄道三峰口駅まで大渋帯た。 1時間30分の遅れだという。駅前のそば屋でソバを食べて電車を待つ。電車の中は蒸気機関車を写真に振るカメラマニアでー杯だ。秩父鉄道花畑駅から西武鉄道西武秩父駅に乗り換える。レッドアロー号は全席満席だ。やむなし。 帰りは急ぐわけではない。急行で飯能に出て池袋に帰り着く。

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