山 紀 行

乾徳山&黒金山
「乾徳山は、笛吹川の上流の2000bをわずかに越える山であるが、森林、草原、岩稜の三拍子揃った山岳美を誇る。」(山と渓谷社ガイドブック「奥多摩、奥秩父、大菩薩」)

新ハイキング誌11月号の山行計画欄に井の頭支部合同ふみあと30「乾徳山−西沢渓谷」を見ていて、国師ケ原高原ヒュッテ(泊)、避難小屋の文字が目に留まる。昭文社の地図では使用不可とあるのに避難小屋とあるではないか。こうなるとここに一泊して乾徳山から西沢渓谷だ。

第1日目
 塩山駅におりてバス停に向かう。山梨貸切自動車と書かれたバスが停車している。運転手さんに乾徳山登山口を寄るか否かを尋ねる。少し前に出たと言う。これは西沢渓谷行きの臨時バスだそうだ。乗客が集まり次第、発車するという。そうなると徳和から車道を小1時間近く歩かなければならない。仕方がない。今夜は避難小屋に泊まるだけなのでタクシーに乗るまでもない。乗客が少し集まりだすと、今度は5人位タクシーの乗り場に向かう。いつ発車するのか。いらいらするばかりだ。運転手さんにワゴンタクシーのように少々バスより料金が高くてもよいから臨機応変に運行できないものかというと、人件費ですよと言う。向こう側のタクシーは5人乗せてはどんどん出て行く。赤城山は大洞までのバスの運賃は1500円で、タクシーに単独で乗ると6000円くらいか。あの時はタクシーに5人乗せられたので7500円だ。時間は早いし運転手さんは1500円余計に売上が増えたというわけだ。利用者も喜びタクシー会社も喜ぶというこんな簡単な話が何故分からないのだろうか。塩山のバス停で運転手さん相手に規制緩和を話しても仕方がないと思うが小1時間も歩くとなるとついついこういう不平が口をついて出る。

 10時10分徳和でおりる。一人だけだ。バスの運賃は560円だ。見上げると道路の右肩に大きな乾徳山登山口の標識がある。緩やかな登り道となる車道を歩く。途中、西沢渓谷行きのバスに会う。集落が見えだす。道沿いに結構人家がある。川沿いに山登旅館がある。この旅館は乾徳山を世に出すのに力のあった坂本松霞さんが昭和の初めに始められたもので、坂本さんは徳和のオババと慕われたそうだ。今、代が変わっているようだ。こんなに車で簡単に来れるとなると宿泊する人はいるのだろうか。民宿の看板も見える。緩やかな登り道を歩くと、白い洋館風のペンションが目にはいる。今昔の感拭えず。
 11時12分乾徳山登山口に到着する。入り口で標識を見る。国師ケ原高原ヒュッテは括弧して避難小屋とある。大丈夫だろう。廃屋であれば戻って徳和の民宿に泊まればよい。民宿にも泊まったことがない。一度くらい経験しても良さそうだ。そんなことを考えて山道に取り付く。人影はない。ゆっくりゆっくり登って行く。さほどの急な登りではないし歩きやすい道だ。次第におりてくる人に会い出す。ふっと顔をあげれば木の枝に銀晶水の標識がある。少し登ってのぞいてみると水は細いが出ている。水筒を満たす。
 少しザックが重くなった感じだ。しかし緩やかな道をひとしきり登ると、3,4人の人が休憩している広い地点に出る。錦晶水だ。ここはかなり冷たい水が流れている。ここらあたりから降る人が多くなる。広くススキに覆われたところに出る。国師ケ原分岐だ。直進すれば扇平、乾徳山、右は道満尾根で徳和峠、左は乾徳山からの下山道だ。左の道に入り少し歩くと国師ケ原高原ヒュッテが見える。1時25分国師ケ原高原ヒュッテに到着だ。すっかり新しくなっている。太平荘から買い上げて避難小屋にしたのであろうか。ザックを置いて小休止をしていると下山の人がどんどん多くなる。皆さんここで小休止だ。中年男性氏二人組に「今夜は泊まりですか」と声を掛けられる。新ハイキング誌11月号の山行計画欄を見て来たこと、また、今夜、泊まることを話す。この二人とも新ハイキングの会員だという。この小屋のことが掲載されていたことに気が付かなかったそうだ。二人が下山されて行く。あたりを散策だ。下山道のほうを登って行く。さほどの登りはない。女性のグループも多い。途中から引き返す。分岐のところから乾徳山を見上げる。草原にススキの穂が揺れて、なかなか風情がある。北の肩は草原で扇平と言う。下から見上げれば成る程、扇のように草原が広がっている。名前がぴったりだ。乾徳山の山頂部が陽に照らされて見えるがなにやら岩がごつごつした感じで心がときめく。山腹もいい色に染まっている。休んでいる中年男性とひとしきり話だ。海老名から車で来られたとかで山の話だ。丹沢は自分の庭のようなものと聞くと、新ハイ12月号に拙稿「ホソノノ尾根を歩く」が掲載される旨を話し、新ハイの購読を勧める。小屋に戻る。だんだん人影は少なくなる。今夜の泊まりは一人かもしれない。林の中を歩いて枯れ枝を集める。かなり集まる。ただしこれは火は直ぐに付くが火持ちが悪い。4時頃男女四人組が到着する。仲間が来たかと迎えるとテント泊のようだ。小屋の前にテントを張る。一人がなにやら教えている。テントには遊歩登山学校の文字が見える。お金を払ってまでこんなことまで教えて貰うのかといささか驚く。適当に何泊かしてみればテントの張り方など見よう見まねで覚えられるのではないかと思う。
 ストーブに枯れ枝を入れて火をつける。小屋の中が少し暖かくなる。味噌汁を作っておにぎりを食べる。ぬか漬けのキュウリが意外とうまい。食事が終わればもうすることもない。ひとしきりストーブの炎を見ている。あたりは次第暗くなってくる。ストーブに涸れ枝を補給してシュラフに潜り込む。いつの間にか眠り込む。

第2日目
 着いたぞ着いたぞ、との声がして戸が開く音で目を覚ます。ラジオの音やら鈴の音やら、とにかく騒々しい。腹が立つが避難小屋となると致し方ないが、非常識な連中だ。時計を見ると11時だ。小用を足すべく外に出てみる。満月でライトもいらないくらい明るい。この後、シュラフに潜り込んで一寝入りだ。一度目が覚めるとなかなか寝付かれない。うつらうつらしている。かなり冷え込んでくる。寒い寒いと話し声が聞こえる。がたがた音を立てる。それにしてもこの人達はどんな神経をしているのだろう。どうしようもない連中だと、思いながら昼間の疲れでまたうとうと寝てしまう。下からの寒さで目を覚ます。温度は5度だ。時計を見ると4時だ。明け方にはそうとう冷えるようだ。起き出して火を付ける。2人組も起き出してくる。一人は60歳代でもう一人も私と同年輩か。甲府から来たそうだ。悪気はないのだろう。無邪気なものだ。ほんとに社会的な常識が欠けているのだ。言ってみても仕方がない。枝を集めてくるという。林の中にあることを教えて拾いに行かせる。どんどん枯れ枝をストーブに入れる。勢いよく枝が燃える。小屋の中がやっと暖まる。暖かくなると気持ちも穏やかになる。2人組は連中はお雑煮のようだ。ストーブの上に鍋を載せてお餅を煮ている。この後、火を付けてくれたお礼だと言ってお餅をくれる。これは素直に頂く。早速、味噌汁にお餅を入れて食べる。とにかく腹を立てるだけ馬鹿馬鹿しい。

 6時35分出発だ。鳥のさえずりを聞きながら登って行く。7時扇平だ。富士山が見えるがもやっている。空は青空だが気温が上がるにつれて遠くの富士はぼんやりしてくる。しかし前に広がる山並みの山肌は見事なシルエットを見せる。ここから樹林帯にはいると景色も少しずつ変わってくる。石がごろごろした樹林帯の斜面だ。山頂近くでは大きな岩が直立している。人の声がする。山頂近くで3人の姿を見る。山頂直下の岩場だ。見た目では一枚岩の感じで10b以上あるのではないか。乾徳山恵林寺の開祖夢想国師は、ひと夏、この壁に向かって座禅をされたのち、元徳2年に恵林寺を開山されたのだ。巻き道に回るのは沽券に関わるとばかり鎖に捕まってしゃにむに登る。乾徳山山頂に出る。すぐに鎖場から少し先の脇から3人組が登ってくる。一人は年輩の方で二人は若い夫婦か。早朝、自動車で来て太平牧場から登ってきたそうだ。山頂には山梨百名山の新しい標柱がある。早速、写真を撮る。絞りを変えたり露出を変えたりで15枚くらい撮る。中にはいいのもあるだろう。北にはこの乾徳山の稜線に連なる黒金山が見える。北西には国師ケ岳が、その後ろの稜線には金峰山が頭を出している。北西には三宝山から甲武信岳が見える。この山頂で40分ばかり休憩をした。甲府の二人組が来る。入れ替わりに出発だ。梯子をおりる。次ぎに少し長い梯子をおりる。樹林の中を少し歩くと分岐だ。左は国師ケ原、直進は黒金山だ。早朝で人影はない。気合いを入れて歩き出す。奥秩父らしい苔むした樹林帯だ。十文字小屋に泊まった時、小屋の主の山中邦治さんが奥秩父の良さは森林の美しさにあると、言っていたが本当だと思う。ただ奥秩父という地域名には何となくひっかかる。ここは山梨県だ。秩父多摩国立公園という名称に山梨県側から甲斐という名称を加えるべきだという声が出ているのも宜なるかなだ。あちらこちらにエフがあり、踏み跡もしっかりしている。登りとなり南の展望が開ける地点に出る。ここで一休みだ。乾徳山が大きく見える。もやってそのシルエットだけだ。成る程、評判だけのことはある。西側の眼下には徳和渓谷の沢筋が見える。堰堤が幾つか見える。少し歩くと笠盛山の山頂だ。標柱があるが展望は利かない。
 大ダウの標識を見る。ここまで来ると黒金山山頂はもう至近のようだ。緩やかな登りだ。苔むした林床に豊かな自然を感じる。西に道が変わるところで右黒金山、左西沢渓谷の標識を見る。あわてて左の道にはいると大きく展望が開ける。黒金山山頂だ。山梨百名山の新しい標柱もある。あやうく通過してしまいそうであった。北から西にかけて展望が開いている。西南の方角の下には大ダウが見える。ここでひとしきり休む。甲府の2人組は来そうにもない。緩やかな斜面をおりる。ここからは単調な尾根歩きだ。青笹の標識を見る。ここがこの稜線からのエスケープルートか。途中、3カ所笹がかぶり道が分からなくなる。尾根通しに歩けば問題はない。しかし日が暮れて来るとこういうところで下にくだり慌ててしまうのだ。笹が被って見えないうえに、足下には倒木もあり踏み跡も見えないので落ち着いて行動をするほかない。時間の余裕が大事だ。 この後は坦々とした尾根道であまり面白みはない。やがて紅葉台だ。ここで長い尾根歩きは終わりだ。展望は利かないが確かに紅葉が多い。ここからおりるようだ。だんだん疲れてくるせいかとにかく長く感じる。途中で登ってくる若い男女の2人組に会う。今日初めて会う人達だ。やっと西沢渓谷の軌道跡におりる。時計を見ると1時44分だ。この時間なら余裕で帰れる。それにしてもここはとにかく人が多い。このあと西沢渓谷におりて沢沿いに歩き出す。ここは登りに道を取らないと景色は楽しめないようだ。

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