山 紀 行

162.1997/7/19〜21
 槍ケ岳・北穂高岳縦走(日本百名山)

「富士山と槍ケ岳は、日本の山を代表する二つのタイプである。一つは斉整なピラミッドで悠然と裾を引いた富士型であるのに反し、他の一つは尖鋭な鉾で天を突く槍型である。この二つの相対するタイプは多の地方の山々に多くの「何々富士」や「何々槍」を生んだ。
私たちがどこかの山に登って、あ、「富士が見える!」と喜ぶのと同様に、あ、「槍が見える!」という叫び声を聞く。実際そのユニークな岩の穂は見紛うことはない。ひと眼で認め得るのである。どこから見てもその鋭い三角錐は変わることがない。それは悲しいまでにひとり天をさしている。
 槍ケ岳は東西南北四つの山稜を引き、それが痩せて険しいところから鎌尾根と呼ばれている。双六に続く西鎌、穂高に連なる南鎌(とは普通言わない)が初めて歩かれたのは、明治も終わりになってからである。中でも悪いのは北鎌で、今でもこの尾根を登るのは熟練者に限られている・・・燕の方から槍に向かったが、まだ喜作新道(即ち東鎌)は拓かれていなかった。
 一生に一度は富士山に登りたいというのが庶民の願いであるように、いやしくも登山に興味を持ち始めた人で、まず槍ケ岳の頂上に立ってみたいと願わない者はないだろう。富士山が古い時代の登山の対象であったとすれば、近代登山のそれは槍ケ岳である。」
(深田久弥「日本百名山」)

第1日目(7/19)
新宿−−松本−−新島々−−上高地

 11時50分新宿発の急行アルプスに乗るべく、9時40分家を出る。予想に違わず新宿駅のホームは登山者でごった返しだ。最初から席に座ることなど考えていないから気楽なものだ。グループで来て先着組が席を取り後から仲間が合流する。こんな様子を見ているとなまじ席に座ろうと考える方が腹が立つ。前に並ぶご夫婦は初めてとかでずいぶん驚かれた様子だ。電車が入ってくる。ドアが開くと案の定、大変な騒動だ。最後尾の車両の更にその最後尾だ。椅子と壁の間の空間の床に持参した新聞を敷いて座る。これも束の間ドンドン乗り込んでくる。立錐の余地もないとはこのことだ。皆さん持っているザックが大きいだけに大変だ。甲府まで行けば何とかなるだろう。2時間の辛抱だ。とにかく山に登る前に疲れる話だ。昨年は何とか床に新聞紙を敷いて眠れたのだが、今回は満員でそれさえままならない。床に座っているだけで立っている人から白い目で見られるのだからたまったものではない。

 甲府だ。かなりの登山者がおりる。ここでおりるとなると南アルプスの甲斐駒、千丈、鳳凰三山だろう。やっと横になれる。この後、小淵沢、茅野、辰野と登山者がおりて行く。小淵沢、茅野は八ガ岳、辰野は中央アルプスの木曽駒、宝剣岳、空木岳だ。少し車内が空いてきた。通路に寝ている人も多い。こちらも眠気を感じると思う頃、4時10分松本だ。このホームも大変な人だ。考えてみれば東京からばかりではない。名古屋、大阪と列車を乗り継いでくるのだ。さすがは北アルプスだ。跨線橋を急いで松本電鉄のホームに向かう。ホームの端では切符を買う客、JRの精算をする客と大変な混雑だ。「押すな」と怒声まで飛び交う。新島々行きの電車も満員だ。関西弁がやけに耳に付く。田舎の二両連結の電車はクーラーも無く蒸し暑く汗びっしょりだ。席に座っている連中は窓も開けず居眠りをしている。なんだか八つ当たり気味だ。

 今度は新島々でバスに乗り換えだ。ここは全員席に座れるので慌てることもない。バスが一台二台と出発して行く。席に座ってやれやれと思う。バスが走り出すや猛烈な眠気に襲われる。ふっと目を覚ましてあたりを見渡すと大半の皆さん寝ている。話し声が聞こえることもない。気が付くと釜トンネルの前でずいぶん長く停車している。

上高地−−明神−−徳沢−−横尾−−槍沢ロッジ−−槍ケ岳山荘

 上高地に6時20分到着する。こんな早朝にかかわらず大変な人だ。自家用車や直通バスで来た人達だろう。お手洗いまで長蛇の列だ。売店でおにぎりを4個とゆで卵を買う。ベンチに戻り早速おにぎり1個を食べる。今日は槍沢ロッジまでだ。時間もあるし天気も良い。眠くなったら徳沢か横尾のベンチで一眠りだ。

 6時50分上高地バスセンターを歩き出す。大変な人だ。ぞろぞろつながって歩き出す。明神、徳沢とまるで公園の中を歩いているようだ。ところどころ梓川の左岸から澄み切った青空をバックに明神岳が圧倒するような姿をみせる。

 横尾山荘前のベンチで一休みだ。ここも人が多い。どこかで昼寝をと空いているベンチを探すが人が大勢でみつからない。おまけにざわざわしてとても寝れるような雰囲気ではない。気合いが入っているせいかさほど疲れは感じない。ここは涸沢から北穂高岳、奥穂高岳方面、また蝶ケ岳方面、槍沢から槍が岳方面と道が三つにわかれる分岐だ。一休みの後、出発だ。

 ここから山道の様相となる。山道と言っても緩やかな沢沿いの登り道だ。沢も水流がおおいのには驚く。雪解けの水なのだろう。どんどん歩く。先行する人達をどんどん追い抜く。ひとりで歩くとなるとどうしても早くなる。

 二ノ俣の吊り橋だ。吊り橋を渡り少し歩くと11時30分槍沢ロッジだ。最初の予定ではここに2時頃到着して一泊する予定だったが、こんなに早い時間からのんびりとするわけには行かない。後から来た皆さんもどんどん登って行かれる。小休止して水を頂いた後出発だ。

 ここから多少山道の様子だ。石ころだらけの沢を横断して樹林帯を抜けると昔の槍沢ロッジの跡だ。今は幕営の指定地となっている。ここから展望が一気に開ける。カールの端に出たようだ。左手には槍からの雪渓が見える。何万年も前にここに氷河が存在したのだ。月並みな表現だが空は抜けるような青空だ。完全に梅雨が明けたようだ。気分は最高だ。

 大曲、天狗原分岐を見て順調に歩く。しかし暑い。とにかく歩くしかない。殺生ヒュッテへの分岐を見てからが次第に足が重くなる。顔をあげれば槍が岳山荘が見えるのだが、40分とは言え足がとにかく重い。休み休み登って行く。4時40分槍ケ岳山荘に到着だ。上高地から10時間あるいた。今日は素泊まりで宿泊だ。受付のところで陣頭指揮を執っておられる方は小屋の主の穂刈さんだ。若い方で三代目だ。急に登山者が増えて穂刈さん始めスタッフの皆さんてんてこ舞いの様子だ。梅雨明け10日とかで皆さん一斉に登ったようだ。かくいう私も梅雨明け10日のタイミングを狙っていたのだ。万歳と叫びたくなる。

 案内されたのは自炊小屋だ。案内してくれた若い方は、急に登山者が大勢登られたので布団を干す間もなく、湿気ていて申し訳ありませんと言っている。でもここなら気兼ねなく食事の支度もできるし寝る場所も広く確保できて嬉しくなってしまう。おまけに炊事場には水も出るので言うことはない。寝る場所も確保出来れば暗くなる前に食事だ。味噌汁を作りおにぎりを一つ食べる。これに蜂蜜をぬり込んだフランスパンを食べるので充分だ。あたりを見回すと皆さんの食事もいろいろのようだ。

 お隣さんのグループと話をする。Kさんとおっしゃるそうだ。地元長野の山岳会だそうだ。どうりで年齢も様々で幅がある。食事の後、山荘の前をぶらぶらする。この調子では明日も晴天だろう。梅雨明け十日とはよく言ったものだ。夕暮れに溶け込んで行く槍が岳を見ていささかの感慨に耽る。あたりが暗くなればもうすることもない。雨具を着てシュラフカバーの中に潜り込む。布団が湿っていてもこれなら大丈夫だ。昼間10時間も歩くと疲れてぐっすり寝込んでしまう。

第2日目(7/20)
槍ケ岳山荘−−槍ケ岳−−北穂高岳(北穂高小屋(泊))

 4時頃目を覚ます。昨夜は疲れで熟睡をしたようだ。炊事場でお湯を沸かし、味噌汁を作る。昨夜と同じメニューだ。蜂蜜のぬり込んだフランスパンはもそもそするうえに甘みが強すぎて水でも飲まなければとても食べられない。食事もそこそに外に出る。
陽も上がり始めたようだ。空身の人達が沢山おりてくる。第一陣がおりてきたようだ。日の出を見る人で山頂は足の踏み場もないくらいであったそうだ。慌てることもあるまい。いよいよ5時30分第2陣で登る。

 最初は難コースを予想していたが登ってみれば意外と簡単だ。しかし、油断は禁物で三点支持、三点支持と自分に気合いを掛けて登る。一部登る道とくだる道が交差するが最後の15、6段の鉄梯子を登り切れば山頂に出る。槍ケ岳山頂だ。山歩きを始めた頃、いつの日にかと心に期していた山頂に今いる。意外や標識もない。他の山では各種の山岳会や大学のワンゲル部の持ち込んだ小さな登頂記念の標識を見かけるがここにはそれがない。北に小さな祠があるだけだ。

 北鎌尾根、東鎌尾根、西鎌尾根、穂高連峰と見渡せる。東鎌尾根の向こうには三角錐の常念岳が見える。写真を数枚撮ったところでカメラの電池が切れる。もう少し写真を撮りたい。いったん山頂から下る。そんなに登れるところではない。もう一度登りゆっくりと写真を撮ればよいだろう。ザックを調べると予備の電池がある。富士山では電池が切れて無念の涙をのんだが今回は大丈夫だ。電池を入れて再度登る。今度はスイスイだ。山頂から条件を変えてフイルム一本分を撮る。下手な鉄砲も数打てばあたるだ。出来上がりが気に掛かるが帰ってからのお楽しみだ。

 7時20分出発だ。二度も登ったりで遅くなってしまった。歩き出せば早い。9時20分天狗原分岐でおおいに迷う。上高地で出した登山届では天狗原におりる予定だ。そんなに歩けるわけではない。この機会を逃せば永遠に歩けないかもしれない。しかし、山荘の出発時間が遅くなっただけ大丈夫であろうか。予定ではここから氷河公園をまわり写真を撮る予定だった。南岳を遅くとも10時に通過しなければならない。ここから南岳まで20分だ。かろうじて大丈夫だ。60歳代の年輩の方と30歳代の女性が行くのを見て突如決心は決まる。穂高に向かおう。こうなると早いものだ。どんどん歩く。大喰岳で振り返れば青空をバックに槍が見える。南岳小屋だ。小屋を覗く。この後緩やかな斜面をひと登りすると獅子ノ鼻ノ頭だ。先発組が大勢いる。大半の先発組に追い付いたようだ。

 一息入れて出発だ。いよいよ大キレットの通過だ。最初から急降下が始まる。大キレットの通過は緊張の連続だ。三点支持、三点支持と自分に言い聞かせて登る。ここばかりは声も出ない。下を見れば断崖絶壁だ。慎重に慎重に足を移動させる。緊張しているせいか、気合いが入っているせいか疲れは感じない。長谷川のピークだ、飛騨泣きだなどガイドブックや地図と突き合わせている余裕など無い。前後の人達に遅れないように必死に歩くだけだ。朝の青空が嘘のようにガスにおおわれ出す。西側の飛騨側から吹き上げてくる。高度計を見れば2800bだ。100b前後の誤差を見込んでももう直ぐだろう。登り斜面だ。時間も早いし、こうなると気分もルンルンだ。ガスの切れ間から横に並んだタンクが見える。北穂高小屋だ。1時30分北穂高小屋に到着だ。奥穂に向かうかどうか大いに迷う。3105bの稜線にある小屋だ。今日はこういうところでゆっくりして写真を撮るのも悪くはない。同じものばかり食べているので夜は食事付きでお願いする。巧子に電話して予定変更を伝える。3105bの山頂にある小屋から電話が出きるのだ。新しい建物が二日前に出来上がったとかで小屋の人達は古い建物から引っ越しの最中のようだ。小屋の前のテラスで一休みの後、食事をして山頂を散策する。あたりの景色を眺めるが次第にガスに覆われ出す。天狗原分岐で見かけた60歳代の年輩の方が到着だ。1時間以上の遅れか。夢中で歩いただけにかなりの人達を追い抜いたようだ。普段、丹沢で足、腰を鍛えているだけのことはあると一人自負する。

 夕刻、雲海が眼下に拡がり北には槍が穂先を見せる。南には前穂から吊り尾根、奥穂が浮かび上がる。奥穂の右にはジャンヌダルム、ロバの耳が夕陽に照らされて刻一刻と変わってゆく。写真を何枚も撮る。絞りを変えたりで忙しい。本当に下手な鉄砲数打てばあたるだ。

 部屋に戻る。左隣は宮崎から来られた三人組だ。燕岳、大天井岳、東鎌尾根、槍ケ岳と縦走だ。しかも日向だという。今村君の田舎だ。何度か訪ねたところでもある。おまけになかの一人はKさんとおっしゃるそうだ。日向は何故かK姓が多いのだ。懐かしさに細島の話が始まる。右隣はCさんといい彦根から来られたそうだ。定年退職後は週末には伊吹山に登っておられるそうだ。山に来るとこういう人の触れ合いが楽しい。総じて関東から以北の人はおとなしいが、以西の人達は率直で明るい。

 夕食は食堂で交代で食べる。なかなかのご馳走だが、ご飯が固いのが気に掛かる。クラッシク音楽が流れている。お隣はドイツ人の若い人だ。皆さん和気藹々に食事だ。夕食後、外に出てみる。雲海の上に槍が岳が穂先をのぞかせているが光線の都合で写真は無理だ。常念や蝶は雲海の下だ。東に月があがり出す。満月だ。こんな明るくては今夜は星空は期待できない。明るくて足下を照らす懐中電灯の明かりもいらないくらいだ。宿泊者数も決まったようだ。小屋番が来て2階に余裕が出来たのでCさんと2人移動して下さいとのことだ。小屋も布団も新しくて言うことはない。これなら悠々と寝れる。

第3日目(7/21)
北穂高岳−−涸沢−−(パノラマ新道)−−徳沢−−明神−−上高地

 目を覚ますとCさんは出発されたようで布団が畳まれている。5時出発だ。1時間くらい歩いたところで丁度お腹が空くであろう。天気も良いしどこか展望の良いところでガスでお湯を沸かして朝食にすれば良い。山頂で写真を撮る。朝焼けで見事な光景だ。いよいよ出発だ。急下降して南稜にかかる雪渓を緊張気味にトラバースする。昨日ここから足を滑らせて女性が重傷を負ったそうだ。4、5階位の高度がある。山頂から見ていた感じとずいぶん違う。それにしてもこんな所ではと考えてしまう。中年女性のグループは要注意だ。話に夢中になって注意が散漫になってしまうのだろうか。

 南稜のテラスで朝日を浴びて朝食だ。お湯を沸かして味噌汁を作る。ういろうを食べる。このういろうは山の携帯食では最高だ。このテラスには3,4のテントがあり、直ぐ下では2人組がテントを畳んでいる。

 南稜をくだる。向こう側は東稜(通称ゴジラの背)だ。ロープワークや岩登りに熟達していなければ無理だ。下に涸沢ヒュッテを見ながらくだる。途中、休憩をしていると突然声を掛けられる。Mさんだ。先月、飛竜山で一緒に休憩した方だ。偶然の出会いに驚く。

 この後、Mさん、Jさんと一緒にくだる。涸沢小屋のテラスで一休みだ。テント場を横断して涸沢ヒュッテに行く。お二人はパノラマ新道でくだられるそうだ。こうなると予定を変更してご一緒させていただく。ここから普段の山歩きに戻ったような感じだ。

 雪渓を2カ所渡る。途中、稜線を越える手前の箇所で槍沢から槍ケ岳が一望できる。絵葉書に見るような風景だ。写真を撮るがこういう目に見た景色が再現できるか私の腕では無理だろう。樹林帯を抜けて稜線に出る。カンカン照りだ。直進すると屏風ノ耳だ。今日はここから上高地だ。ここからは梓川から徳沢が一望できる。

 奥又白谷、新村橋と歩きに歩く。上高地だ。大変な人だ。タクシー乗り場の行列は河童橋まで連なっている。バスも整理券を貰うが2時間待ちだそうだ。三人で梓川河畔に座って足を冷やしたり雑談だ。退屈をしない。一人ではとても時間が持たない。

 バスで新島々に出て、電車に乗り換える。Jさんは次の特急の切符をすでに買われているとかで松本駅で別れる。Mさんと2人、切符を買う時間もなく特急に飛び乗る。満員で空いている座席はない。連結部に立ったままMさんと四方山話だ。しかし新宿まではとにかく長い。

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