山 紀 行

134.1996/7/13〜14 黒川鶏冠山&大菩薩嶺

山歩きを始めた頃,何故か大菩薩嶺に登りたいと思った。中里介山の小説[大菩薩峠]はあまりにも有名である。しかし、小説は読んだことがない。なかなか機会がなく行かれないでいた。丹沢山域も何度も歩くとどこか遠くに行きたくなる。月に1度位は別の山域に行くのも悪くはない。そんなことで先月は三ツ峠山に出かけたが今月は長い間の懸案であった大菩薩嶺に出かける。ここは少し中途半端で日帰りではきついし小屋泊まりとなると時間が余る。そんなことで行きがけの駄賃とばかりに柳沢峠から歩き出し黒川鶏冠山に登り、丸川荘に一泊し翌日余裕で大菩薩嶺を歩いてみようというわけだ。

第1日目
6時20分下丸子を出て、新宿7時5分と乗り継ぎ高尾発8時21分の電車に乗り込むが大半の乗客は相模湖駅で下りて車内はガラガラだ。車内でのんびり朝食のパンを食べる。塩山には9時36分に到着する。閑散とした駅前でタクシーに乗り込むとなんと運転手さんは中年の女性だ。道も閑散としている。車中、運転手さんと四方山話で退屈をしない。柳沢峠に10時25分に到着する。タクシー代は5,030円だ。

ドライブインに入りジュースを飲み、水をお願いすると店内の水道で汲んで下さいとのことだ。有り難く水を頂く。お金を出すも受け取られない。ならばともう一本ジュースを買い求めザックに入れる。ドライブインの前の階段を上がり歩き出す。整備された遊歩道だ。目立つ大きな木には名前が記された札がかけられている。緩やかな道を気持ちよく歩く。あっと言う間に六本木峠だ。左は黒川鶏冠山、右は丸川峠だ。行って戻るとなると少しでも軽いことに越したことはない。藪をかき分け斜面を少し登る。木の根元に頂いたばかりの水2gとコッヘルやらの荷物をデポする。身支度をしていると若い男女二人が登ってくる。その後、中年男性が来る。結構登る人ともいるのだと意を強くする。いよいよ出発だ。ザックも軽いし足取りも軽い。少し下ると林道に出る。ここからまた樹林の中の道に入る。遊歩道のような感じの道だ。山登りの感じがしない。このあたり一帯は東京都の水源林で、この道は巡視路だ。先程の人達を追い越す。まだ後半の歩きがあるとなると自然と足が速くなるのかもしれない。

少しづつ傾斜がまして行くがとにかく歩きやすい道だ。山道にしては驚くくらい平坦な道だ。登り切れば左に5分の文字が見える。地図にある見晴台か。ここを登れば黒川山の標識がある。ここは周りは樹林で展望も利かない平凡なピークだ。さらに西に細い道が見える。ガイドに記載のある展望台だろう。ここを行けば上から人声が聞こえる。見晴台だ。ここは西にのびる尾根の頭だ。先着の中年のご夫婦がおられる。さすが眺めはよい。ここでひとしきり景色を眺める。南には大菩薩嶺の稜線が、北には丹波の青梅街道がこの山塊を東から迂回するかのように回り込んでいる。この先をたどれば柳沢峠のドライブインの前に出るのだ。

元の道を戻り鶏冠山に行く。分岐から少し先は山道らしく急に険しくなる。10分も歩けば鶏冠山だ。先程下で会った若いカップルが先着している。一段上にがったところで写真を撮ってもらう。さあいよいよ下りだ。こうなると一目算だ。六本木峠に戻る。デポした荷物を回収し歩き出す。この道も東京都の水源林の巡視路だ。とにかく歩きやすい道だ。大きない岩が幾重にも重なり、その隙間から冷たい風が吹き出している。天庭峠の大きな岩の上でひと休みをしていると上から人声が聞こえる。ご夫婦に女性一人の中年パーテイだ。横浜から来られたとかで奥さんは鍋割山のロゴマーク付きのTシャッツを着ておられる。丸川荘にザックをデポして来られたようでここから引き返される。一緒に出発だ。途中歩きながら花の話をしながら歩くので退屈をしない。丸川峠に出る。今夜の丸川荘での宿泊者は先着の家族連れ3人、先程の3人、年輩の人と都合8人だ。小屋の主は只木貞吉さんだ。以前、「富士の見える山小屋」(工藤隆雄著実業の日本社)を読んで一度は泊まってみたかった。この中に紹介されている只木さんのお母さんが訪ねてこられた話には何とも名状しがたい気持ちとなる。

「「小屋と木彫りが大事で故郷に帰らないでいたら、七十も過ぎたおふくろが裂石からの山道を登ってきて私に会いに来るのですよ。冬の寒さより辛かったですね。そして、帰る後ろ姿を思い出すと、しばらく彫刻刀が握れなくてね。....」
只木さんは空を仰いだ。しかし、只木さんは山から下りることもせず、「おふくろさん」のためにもよい仕事をしたい、と自分に誓ったのだという。その結果、仏像を故郷の寺に寄進することになったのである。」(「富士の見える山小屋」)

山小屋の小屋番になるにも人それぞれの思いや事情があるのだろう。家族連れはHさんとおっしゃる。国立で居酒屋を経営されているとかで多芸多才な方だ。食事の後、ランプの下で橋本さんはギターで弾き語りをされる。お嬢さんはSちゃんといい、小学校4年生だそうだ。志保ちゃんがタンバリンで合いの手をいれられる。私よりは5、6歳下で、この世代は新宿にあった歌声喫茶の世代かもしれない。月に1度は泊まられるそうだ。こういうファンで山小屋は持つのだろうか。ただ山小屋でのこういう経験は初めてだ。

「丸川峠賛歌(作詞作曲橋本良春)
一 峠を渡る風さやか   二 空青く鳥は行く    三 山なみに陽は落ちる
  揺れて可憐な白い花    咲いて招くよ夏の花    染めてくれ行く茜雲
  雲は流れて泉水谷へ    辿る尾根道ひたすら行けば 山は黄昏ランプの灯り
  心通うよこの草原に    心安らぐこの草原に    心憩うよこの草原に
  今日も来ました丸川峠   今日も来ました丸川峠   今日も来ました丸川峠

歌の後は皆さん外に出られて星空を眺める。東京ではこんなには星が見えない。人工衛星の軌跡が見える。星座のことなどなにも知らないが、とにかく山に来て一番驚くのはこんなに空に星があったのかということだ。この後、部屋に戻り布団に潜り込む。先ほど頂いたワインのせいか頭がずきずきするがいつの間にか眠り込む。

第2日目
目を覚ます。しばらくうとうとしている。目を覚まし、見渡すと皆さんすでに起きられていてまだ寝ているのは志保ちゃんだけだ。皆さん食事をしておられる。いつものように起き抜けでは食欲がない。歩き出して1時間もすればお腹が空くだろう。無理をして食べることもあるまい。オレンジを食べ、抹茶ミルクを飲んで、出発の準備だ。
横浜から3人組、年輩の人と相次いで出発される。窓越に見る年輩の人の歩く様子はなんとなく腰が悪そうだ。これを見て只木さん小屋にあったストックを持って追いかけられる。バス停前の松葉屋さんに届けて下さればいいと、言っているのが聞こえる。こういう親切さがこの人のすべてを物語っている。出発前に橋本さんの作詞作曲のテープを買う。家でもう一度ゆっくり聴いてみたい。小屋を出て歩き出すと橋本さんご夫婦が空身で先を歩かれている。朝の散策か。取り付き口まで一緒だ。南アルプスの山並みが見える。この後、お二人にに見送られて歩き出す。ここは気持ちの良い歩きやすい道だ。途中で先発された同宿の3人組に追いつく。木々の緑が鮮やかで朝のすがすがしい空気を肺一杯に吸い込みながら歩く。1時間近く歩く頃から下ってくる人達に合い出す。やがて緩やかな広い道を登ると思いも掛けず大菩薩嶺の山頂だ。樹林に囲まれて展望は利かない。写真を1枚撮り早々に出発だ。山頂から2、3分歩いて樹林帯を抜けると急に展望が拡がる。ここが雷岩だ。大勢の登山者が思い思いに休憩している。横浜から来られた3人組が食事をする。その横でこちらも食事だ。この時間となるとお腹が空いてくる。晴れてはいるが遠くはもっやて良くは見えない。到着時には富士山も顔を少し覗かせていたがもう雲の中だ。

この後、この3人組と一緒に歩き出す。女性達は花や鳥にはとにかく詳しい。ご主人は「道草を食いながら歩くのでなかなか進みません」と、言っている。鳥の姿を見ては立ち止まっては小さな図鑑を広げられる。こういう楽しみもあるのだ。木ノ又小屋で花のスライドを見たがこういう努力をしなければとても覚えられそうもない。振り返れば雷岩からずっとこちら側の斜面は草原状になっている。風が強くて木が育たないのであろうか。明るい日差しに眩いばかりだ。下からどんどん登ってこられる。

大菩薩峠だ。昔は丹波からこの峠を越えて塩山に出た。いわば甲州街道の裏街道だ。大きな大菩薩峠の標識がある。

「大菩薩峠は江戸を西に距る三十里、甲州裏街道が甲斐の国東山梨郡萩原村に入って、その最も高く最も険しきところ、上下八里にまたがる難所がそれです。標高六千四百尺、昔、貴き聖が、この嶺の頂きに立って、東に落つる水も清かれ、西に落つる水も清かれと祈って、菩薩の像を埋めておいた。それから東に落つる水は多摩川となり、西に流れる水は笛吹川となり、いずれも流れの末永く人を湿おし田を実らすと申し伝えられております。」(中里介山「大菩薩峠」)

「江戸から奥多摩の青梅を通っていく青梅街道が甲州裏街道で、上下八里の険しい大菩薩峠越えが最大の難所だった。険しいが故に裏街道で、通行手形がなくても旅が出来たのだ。人目をはばからねばならない人は、大菩薩峠越えをしていったのである。表ばかりでなく、それを見逃す裏が必ずある。裏は人をそっと救済する制度でもあったのだ。難所のピークの大菩薩峠に上がると、富士山がよく見える。人に追われていたり、病気だったり、世間をしのぶ苦しい旅をしていた人が、天上に富士山を眺めるところだ。人を救う富士山である。この世は美しく、まだまだ捨てたものではないと、たくさんの人が癒されたのである。ここから私は何度も富士山を見た。山と山の間には透明な水のような霧がかかり、富士山はまるで天上に浮かんでいるかのようであった。天上から慈悲の眼差しをそそいでいる富士山こそ、大菩薩なのかもしれない。」(立松和平「大菩薩峠と富士山」)

ここにある山小屋が介山荘だ。大菩薩峠の標識のところで記念写真を撮る人、食事をする人ととにかく大変な賑わいだ。同宿の3人組はここから下られるとかで、別れを告げる。大半の人はここか下られるようだ。ここからの下りるのではもの足らない。小休止の後、縦走路を歩き出す。樹林帯を少し登れば熊沢山だ。一人でのんびりしていると介山荘の前にいた中学生の一団がやってきて賑やかになる。小金沢連嶺への縦走路が続いている。南側斜面はここも草原状だ、この縦走路の鞍部が石丸峠だ。ここを少し下ると樹林帯になる。斜面を下る。かんかん照りでとにかく暑い。

やがて上日川峠だ。長兵衛山荘は新しく建て替えられている。まだ営業はしていないようだ。小屋の横にある流し場では冷たい沢の水が流れている。ここで水を頂いて顔を洗う。いい気持ちだ。この後、山道を歩くがかんかん照りでとにかく暑い。車道に出てからはとりわけ暑い。ここは丹沢と同じで夏は来るところではなさそうだ。バス停に早く着きたい一心で歩く。途中、古刹雲峰寺の石段を見るが、この少し先が裂石のバス停だ。とにかくバス停でなにか冷たいものを飲みたいと急ぐ。バスの時間までは1時間以上もある。三々五々登山者が集まってくる。塩山に出て、新宿に帰り着く。


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