山紀行
三ツ峠山
 山の名前に峠とは不思議な感じがする。これはミツドッケに由来するようだ。このドッケとは突起を意味する。その突起が三ツある山と言うことだ。それぞれに木無山、開運山、御巣鷹山と名付けられている。登山道ツある山名説明板によれば山中至る所に湧水があるところから水峠と言われ、これが転じてミッドッケとなり、三ツ峠山というとある。それにしても峠とは辻褄が合わない。やはり三つの突起という説が妥当な気がする。奥多摩から富士山を望むときこの三ツ峠山が見える。この山に登ることが長い間の懸案であった。第1日目

 新宿高速バスセンターに行く。待合室に掲げられている掲示板を見ると7時30分発の河口湖行きは満席であったようだ。7時40分だ。不安になり急いで切符売場に行くと8時発には余裕があり大丈夫だ。やれやれだ。行き当たりばったりで出かけるからこんなことになるのだ。西桂まで料金は1550円だ。意外に安いのに驚く。途中、渋滞があるが15分前後の遅れで9時45分西桂バスストップに降りる。降りるのは吾一人のみだ。田舎の田圃沿いの道を歩く。途中で会ったおばあちゃんに道を教えてもらう。右に右に行けば良いとのことだ。やがて川沿いの道に出る。柄杓流川だ。向こうには三ツ峠グリーンセンターの建物が見える。右手には公園がありここで身支度を済ませる。ついでに水を頂く。いつものように水の補給は早め早めだ。この後、沢沿いの道をどんどん登って行く。あたりに人影はない。所々標識があるので助かる。ここも幾つも堰堤が造られているが、少しこれまでの殺風景な工事現場とは様子が違う。庭園が造られていることだ。東屋もあり、西桂町の公園施設のようだ。まだ一部造成中だ。林道の終端が近くなる箇所で左手の沢の左岸に三ツ峠登山口の標識がある。ここの沢をすこし上がってみると右岸の斜面に塩ビの管が見える。ここから水が勢いよく流れている。ここでポリタン水筒を満たす。二組の夫婦が相次いで登って行く。ここを上がるとガイッドブックにある達磨石だ。この石の中央に刻まれている文字が梵字でアークと読むそうだ。大日如来を意味するという。この後、ゆっくり登って行く。歩きやすい道だ。次第に風が冷たくなるが、歩くのには最適だ。途中で軽装の若い人達4、5人に追い抜かれるが今夜は泊まりだ。焦ることもあるまい。  斜面に八十八体の石仏を見る。実際は八十一体だそうだが、誰がこの石仏を担ぎ上げたのだろうか。鳳凰三山の地蔵岳の前の鞍部にも幾つもの石仏を見たが、結構な重さの石仏を背負って担ぎ上げて何を祈ったのだろうか。こういう石仏をモノクロで90mmのレンズで写真に撮るというのはどうだろうかと、このアイデアがふっと脳裏をかすめる。しかし、持っているG1のフイルムはカラーだ。上が緑の葉に覆われているせいか暗い。ストロボが必要だ。それがない。初めての所はこうして気持ちばかりが急いで歩くことばかりを考えている。  この斜面の左を巻いて行くとガレ場だ。右手の上を眺めればかなり斜面一帯が崩壊して所々大きな石がある。素早く通過するにしくはない。ここを過ぎれば白雲荘跡だ。小屋が倒壊したままの廃墟だ。屋根や柱の木材が散乱している。時間が経てば朽ち果てるのだろうがわびしい光景だ。  賑やかな声が聞こえ出す。屏風岩だ。沢山の人が岩を登ったり降りたりしている。三、四十代と見える女性もいる。見上げる様な岩壁の下は廊下のようになっていてここを登山道がある。しばし足を止めて眺める。信仰の山がスポーツの山に変わる。  斜面を少し登ると「四季楽園」の前のテラスの横に出る。先ほどの屏風岩が一望できる。この「四季楽園」は山小屋の感じがしない。民宿の感じだ。ジープまで見える。なんだか場違いな所に出た感じだ。電波塔が幾つも見える。宿泊を申し込み、ザックを置いて空身で開運山の山頂に向かう。一応これが三ツ峠山山頂と言うことになっている。NHKの電波塔の横を通り山頂に出る。ガスで展望は利かない。この後、あたりを歩き回るがこれだけ電波塔があれば興趣を欠くこと甚だしい。表登山道からの登りで満足しなければならない。  テントが幾つも張られている。ここはロッククライミングのゲレンデだ。河口湖側から登りロッククライミングを楽しむ。これが三ツ峠山の一番のセールスポイントか。単独行の四人には二階の富士の間が割り当てられる。四方山話だ。一階の食堂に降りて横浜から来たという人とビールを飲んでひとしきり話し込む。この後食事だ。

第2日目

 物音がして目が覚める。あたりはまだ暗い。寝ぼけ眼で見ると向こう側に寝ていた人が布団を畳んでいる。昨夜、明朝は3時半に起きて出発すると言っていたが本当に起きて出発されるのだ。信じられない。3時間もあれば下山できるし、清八峠を経由して笹子に出るにしても5時間もあれば充分だ。北アルプスとは違うのだ。早立ちが原則とはいっても、低山では例外もあるのではないか。人ごとながら余裕を持て楽しんでみてもよさそうだ。起きてお手洗いに行き、また寝込む。この後はぐっすり寝込んでしまい、残るお二人が出発されたのも気づかない。目が覚めると5時10分だ。寝ているのは私一人だ。それにしても連中は何を考えているのだ。起きて下に行く。ガスが出て見通しが悪い。6時30分食事だ。窓から御巣鷹山の方向を見るとガスが西から東に風に吹き払われて見え出す。富士が見えるとの声が聞こえる。山荘のサンダルで小屋の前のこだかいとろに出てみる。幾張りかのテントと三ツ峠山荘を前景に富士が顔を見せる。ガスが西側からどんどん流れてくる。また見えなくなる。風も冷たい。テントからは場所取りの指示の声が聞こえる。どこかの大学のサークルか。下級生が金具やロープを持って出発だ。登る山と言うより遊ぶ山か。  小屋の横の道を下る。これは山道というより林道だ。こんな山頂まで車で上れるのだ。もっとも一般車は立入禁止であることは言うまでもない。電波塔の建設で造られた道を小屋の人が引き続き利用しているのであろう。これでは気分がそがれることこの上もない。ただ今回の山登りはこの山域の調査のようなものだ。高速バスも1550円と安いので、何回かは歩いてみたいものだ。そんなことで今日は御坂山塊を歩かなければ山に来た甲斐がない。降りきったところから林道を右に歩く。これは清八峠に向かう道だ。途中から戻る。元の所だ。左手の道(西川新倉林道)を少し歩く。この先から「母の白滝」に降りる道があるようだがここも途中から戻る。  少し下ると、「御坂みち」と標識のある車道に出る。ここだ。歩き出す。ひとしきり歩くとトンネルが見えて、右手に古風なたたずまいの建物が見える。「天下茶屋」だ。あたりは閑散としている。9時10分だ。ガスで展望は利かない。観光客もいないのだろう。時折車が通過するだけだ。トンネルからうなり声が聞こえる。バイクが6、7台やってくる。この二階に太宰治が「富嶽百景」を執筆した当時の部屋が復元されているという。ここでジュースを買ってこれを飲みながらラスクを食べてひと休みだ。相変わらずガスで何も見えない。車で来た親子がガスが上がるのを待っているが短時間では無理のようだ。  石段を数段上がったところにある太宰の「富士には月見草が似合う」という文学碑を見て登りだす。階段が整備されて歩きやすい。観光客の遊歩道か。登るにつれてやっと山歩きの様子を取り戻す。ここは冬に来る所かもしれない。空気が澄んで見通しが良ければ富士山、河口湖と眺望には文句はあるまい。登り切れば右手の清八峠から来る道とあわせて御坂山、黒岳への道が続く。風が冷たいので歩くには丁度良い。気持ちの良い緑のトンネルを一人歩く。途中で写真を撮る人に会う。ガスが上がり富士が姿を見せるのを待っているとのことだ。この場所に春夏秋冬何度も来て同じ場所から富士の写真を撮っているそうだ。  御坂峠だ。一人が座って食事中だ。御坂茶屋は閉じられている。11時20分だ。藤野木側か四人登ってくる。程なく河口湖側から相次いで二人登ってこられる。ひと休みの後早々に出発だ。稜線に上がれば極端なアップダウンはない。気持ちの良い尾根歩きだ。コナラ保護林の案内板を見るともう黒岳山頂だ。広く平らな山頂だ。南東に道が続いている。若いカップルに富士山が姿を見せていると教えられ急いで行ってみる。7、8人の人達が南東に開けた斜面で食事をしている。大きく富士が顔を見せるが、見えたとのもつかの間またガスの中だ。明るいので気温が上がればガスはなくなるのだろう。木々の間から節三郎岳への稜線が見え出す。ガスが上がり始めたのだ。やがて破風山で富士山が姿を見せる。14、5人の中年男女のパーテイーが食事中だ。「寄っていって下さい」と、声をかけられる。下に河口湖も見え出す。温度が上がり始めたのであろう。1時少しだ。食事だ。急ぐ旅ではない。しかし賑やかだ。前の斜面に腰を下ろしている人達は静かに富士と湖を眺めている。  新道峠から下る。沢に降りて林道に出る。ここを下ると別荘地だ。顔を上げれば富士山が大きな姿を見せる。大きな富士だ。やがて大石の部落だ。学校の前のバス停で待つとすぐにレトロバスが来る。観光客が乗るバスに汗臭い登山者が乗るので小さくなっている。河口湖駅から新宿行きの高速バス(1700円)で帰途につく。


戻る