山紀行
中央アルプス北部縦走(木曽駒ガ岳&空木岳)

今夏のハイライトは新田次郎の小説「聖職の碑」の舞台となった中央アルプスを桂小場から歩いてみようという訳だ。普段は丹沢山域で足腰を鍛え、夏には遠出をして南アルプス、中央アルプスを歩くのだ。これがこの数年の私の夏のスタイルだ。7月に大学に求人で行った折り後輩のIさんのところに寄る。最近、山登りをしていると言うと、彼は学生時代ワンゲルに所属していたという。そういえば1、2年次同じ藤塚ゼミに所属していたW君もワンゲルだ。W君のことを知っているか尋ねると知っている。おまけにIさんが息子さんに「空木」という名前を付けたという話しを聞き驚く。百名山も85座登っていると言う。話してみなければわからないものだ。後日、「私の山行記録」を送る。そんなことで今回は空木岳に何とかして登りたいものだ。

第1日目(8/4金)

新宿7:30==高速バス3H25M==10:55伊奈市BT==タクシー20M==桂小場11:20ーー(水場ぶどうの泉)ーー展望台野田場ーーー馬返しーーー2:10大樽小屋(泊) 

新宿のバスセンターは登山の客や帰省の学生で大変な賑わいだ。早朝のせいか中央道は渋滞もなく予定どうり伊那に到着する。時間が早いので駅前で果物でも買うつもりでいたが、目の前にタクシーが停まるので乗り込む。桂木場に行く前にコンビニに寄ってもらう。昼食のおにぎりやらバナナを買い求める。運転手さんの話しではこのコースから登る人は少ないそうだ。ロープウエイが出来てからは千畳敷に直接登る人がほとんどのようだ。地元の人は登る人もいないという。さもありなんとおもう。先週は同じ会社の運転手さんが客の登山者を間違えて別の登山口に降ろし、大騒ぎになったそうだ。 桂小場でタクシーを降りる。辺りに人影はない。信州大学演習林の寄宿舎の前に置かれた登山届箱に用意した登山計画書を入れる。ここから少し歩くと登山口の標識がある。食事は最初の水場でと早速歩き出す。緩やかな登り道だ。最初の水場「ぶどうの泉」で昼食だ。おにぎりを食べる。ここで水筒を満たす。いよいよ歩き出す。歩き出してから間もなく登山道の傍らに高度の標識があることに気がつく。高度50m毎に標識がある。この道は本当に歩く人もいないようだ。出合ったのは家族連れ4人だけだ。2時10分には大樽小屋に到着する。ここからさらに西駒山荘まで登ると2時間30分かかる。翌日も中途半端で、そんなことならこの小屋でのんびりとしたほうがよいというわけだ。ここは無人の避難小屋だ。今夜泊まる人はいるのだろうか。未だ寝るのには早いし時間をもてあます。小屋でノートを読む。これがなかなか面白い。外で物音がするので出て見ると2、3人下山してゆく後ろ姿を見る。辺りは森閑としている。明るい内に夕食だ。アルファ米のご飯にカレーだ。6時にはシュラフに潜り込む。ラジオを聞く。時間の長いことこの上もない。それでも何時の間にか眠り込む。

第2日目(8/5土)

大樽小屋6:00ーーー胸突八丁ノ頭ーーー伊那市西駒山荘ーーー濃ガ池分岐ーーー木曽駒ガ岳(2958m)ーーー中岳(2925m)ーーー宝剣山荘ーー木曽頂上山荘 

 目が覚めると5時17分だ。早く寝た割には寝付きが悪く遅くまでラジオを聞いていた。起き出して身仕度をする。昨日のバナナを食べて6時には歩き出す。朝は涼しくて気持ちが良い。静かな樹林帯の登山道を鳥の声を聞きながら登る。登りきれば胸突八丁ノ頭だ。稜線に出たようだ。将棋頭山の肩だ。少し登ると道は西側と東側と二通りある。東側は冬道のようだ。水場で一休みをしたいので西側の巻き道を歩く。程なく西駒山荘が見える。山荘の下の水場天命水の前でまた食べる。起き抜けは食欲が無く、丁度、この位のアルバイトでエンジンがかかる感じだ。天気はいいので見晴らしが良い。本当にいい気分だ。山頂からこんな近くで湧水とは珍しいことだ。冷たい水で喉を潤す。水筒の水も入れ替える。小さな板切れに水場の維持のために利用者は50円とある。この後、西駒山荘を覗いて見る。信大の学生がひとり小屋の番だ。ジュースを飲み、水の代金50円を支払う。昨夜は宿泊者は二人で、今夜は予約が40人だそうだ。森林限界を抜け出しているだけに、展望は良いし気持ちの良い稜線歩きだ。やがて大きな石に刻まれた「聖職の碑」を見る。碑の説明文によれば大正2年8月26日に箕輪村立箕輪尋常高等小学校の赤羽校長他学童11名が台風の中、避難した伊那小屋(現宝剣山荘)が荒廃していて、やむなくこの地点までくだり、力尽きてこの地で遭難したという。長野県は昔から集団登山が盛んなようだ。目的は青少年の心身の鍛練だ。碑文によればこの事件の国内外に与えた反響は大きく避難小屋の建設が進み大正期の登山ブームを起したと言う。もって瞑すべかき。この後は稜線漫遊だ。濃ガ池分岐あたりから千畳敷から登って来たハイカーに会う。稜線を登るにつれて下に濃ガ池が見え出す。池の近辺を散策するハイカーの姿が小さく見える。次第に高度をあげるがさしたる急登でもない。しかしガスがてくる。視界が利かなくなる。やがて人影が多くなるので山頂が近いことは分かる。ひと登りで木曽駒ケ岳山頂だ。人の多いのに驚く。山頂の神社にお参りをする。神社は二つあり、それぞれ木曽側と伊那側に向かって建っている。優劣をつけるのもおかしな話しだが、木曽側が立派だ。霧で展望が余り利かない。山頂からくだり、巻き道コースで宝剣山荘まで下る。宿泊を申し込むと予約でなければ駄目な由、木曽頂上山荘まで戻ることを勧められる。やむなく中岳コースで木曽頂上山荘まで戻る。ここは大丈夫だが、そうとうに混みそうだ。2階の部屋に行くと清水から来られたという中年夫婦の3人組と大宮から来られた年配の老人だ。皆さんはケーブルを利用されて登って来たようである。私のような桂小場か登る人間は皆無のようだ。時間も早いのでもう一度山頂に向かう。今度は南側の巻き道を歩き、木曽側の登山道から山頂を目指す。木曽頂上小屋だ。やがて山頂だ。今度は少し視界が効く。ガスが流れ宝剣岳が姿を見せるがあっという間に姿を隠す。写真を撮るのが大変だ。タイミングを見てはシャッターを押す。小屋に戻る。部屋も満室で寝る場所はなさそうだ。時間をつぶすのが大変だ。所在なげにぶらぶらする。小さな子供を連れた夫婦も多い。千畳敷までケーブルを利用するので皆さん軽装でこんな3000mのところまで気楽に登って来るのだ。やがて食事の時間だ。食事の後であればこの食堂を使っても良いそうだが、大半の自炊組は小屋の前で食事だ。私はお雑煮だ。これがなかなかうまい。思わず、うまいなんて独り言をするものだからお隣で自炊をしている若いご夫婦がこちらを見る。おせっかいにもお餅のことを教えて上げる。暗くなるにつれて風が強くなる。ガスも猛烈に湧いて来る。ぎゅうぎゅうづめの部屋ではとても寝れない。ザックを2階からおろす。食堂のテーブルの下にシュラフを持ち込み寝る準備だ。ここで寝るのは4人だ。外は以前風が強く、硝子戸をがうるさい。起き出してみて見ると外側の窓が開いているではないか。閉めると音が幾分違う。やがて寝付く。

第3日目(8/6日)

木曽頂上山荘ーー宝剣岳(2931m)ーーー極楽平ーーー濁沢大峰ーーー桧尾岳(2728m)桧尾避難小屋(水場あり渇水注意)ーー熊沢岳(2778m)ーーー東川岳(2671m)ーーー木曽殿越木曽殿山荘(泊)

 管理人に起こされる。朝食の準備で起きて下さいとのことだ。時計を見ると5時10分だ。外は快晴だ。あわただしく身仕度をして5時30分には出発だ。食事はどこか一休みの後食べれば良い。そんなことで早々に出発だ。中岳の巻き道から振り返ると御岳山が姿を見せる。朝日を浴びて神々しい。宝剣山荘の裏手から宝剣岳の岩場に取りつく。昨日の中年夫婦三人組と一緒だ。慎重に登る。天気がいいからいいもの、雨や風が強ければ危険なところだろう。山頂直下の岩の上で写真を撮ってもらう。鞍部で一休みだ。ミカンを頂く。もうひと登りして稜線にでると西風が強い。沢から霧と一緒に猛烈に吹き上げてくる。極楽平だ。ここから千畳敷のロープウエイ駅にくだる三人組と分かれる。稜線から東側におりた斜面でひと休みだ。山では行動食を用意して食べれるところで食べるのが大事だ。ここでおもいもかけず若いご夫婦にコーヒーをご馳走になる。山での人の触れ合いは嬉しい。後日、紀行文を送る約束をする。年配の女性が登って来る。食事の後、いよいよ縦走の開始だ。稜線は風が強い。雨の心配はないがこの風の強さはどうだ。息が出来ない。この縦走路にテントが張られアンテナが見える。無線をしているようだ。稜線から東側に少しおりると途端に暑くなる。次第に風が納まる。濁沢大嶺で一休みだ。この辺りから木曽殿越から来る人達とすれ違い出す。  丹沢の後山乗越の標識に「苦あれば楽あり山の道」といたずら書きがしてあったが、本当だ。辛い登りが続けば次は展望が開けて疲れを忘れてしまう。桧尾岳山頂だ。ここは陳腐な表現だが360度の展望台だ。北の方角をみれば、今歩いて来た稜線が連なる。少し左に木曽駒ケ岳、中岳、宝剣岳がはっきり認められる。北西の方角には谷を隔てて三ノ沢岳が大きな山容を見せる。南西の方向に特徴のある尾根を延ばしている。北東に目を転じると黒川渓谷に続く稜線が見える。伊那前岳か。東には桧尾根が延びている。特徴のあるかまぼこ型の避難小屋が見える。森林限界を越えている尾根の頭に建てられているだけに風当たりはどうなのだろうか。いよいよこれから歩こうという南には空木岳がどっしりとした姿を見せる。堂々とした雄姿だ。さらに右奥には南駒ケ岳が顔を覗かせる。立ち去りがたい。くだりだ。また登りだ。その度に、「苦あれば楽あり山の道、苦あれば楽あり山の道」とひとり言い聞かせる。長い登りとなると、下を見て上を見ない。数を数え出す。1、2、3・・・・100を数えると指を折る。これで1000まで数えると一休みだ。かなりの急登では500で一休みだ。こんなスタイルで一心に登る。顔をあげると熊沢岳の肩だ。登りきったところに大きな石がごろごろしている。ここは稜線上の庭園を思わせる。肩に起立している手前の大石に登れば上はかなり広く、絶好の展望台だ。稜線上の西側はなだらかな斜面でハイマツの間には休憩するのに都合の良い大きい石があちこちにごろごろしている。ハイマツの上に寝てみると馥郁とした香りだ。のんびり時間をつぶす。早立ちの人達は皆さん一様に思い思いの休憩を楽しんでいる。一人だと2、30分の休憩が永く感じられる。疲れている訳ではないが、この位のんびりしないともったいない。  熊沢岳からの緩やかな稜線をくだり登り返せば東川岳だ。ここで最後の一休みだ。ここを20分もくだれば木曽殿越だ。ここでも時間も十分あるのでのんびり出来る。今日は朝から贅沢な気分だ。ここからは正面に空木岳がさらに大きく迫って来る。圧倒されるような気分だ。ここをくだった鞍部が木曽殿越だ。この鞍部に木曽殿山荘がある。建物は赤く塗られたプレハブの小屋だ。小屋で受付けを済ませて、お茶を頂き雑談だ。今朝、極楽平でみかけた年配のご婦人が到着される。暗くなる前に水場に行く。「義仲の力水」と標識がある。小屋に戻る。到着する人で小屋は次第に満員だ。2階で大阪から来た人達と雑談だ。大阪や名古屋から来た人が多い。混雑する様子に大阪から来たと言う人がもうひと頑張りして登るんであったと言っている。確かに2時前からのんびりするには惜しい気持ちだ。でも小屋で知らない人達と話しをするのも捨てがたい。念願の空木岳だ。余裕で登るのも悪くはない。ああ、ハムレットの心境か。夕食の声がかかる。こちらは外の入り口の横のひさしの下で自炊だ。食事が終わり小屋に入ると布団を敷きはじめている。寝る場所があるのだろうか。結局、寝る場所が無いではないか。こうなると皆さんに声を掛けてザックを外に出してもらうしかない。やっとこの端に寝る場所を確保する。 

第4日目(8/7月)

木曽殿越ーーー空木岳(2864m)ーーーヨナ沢ノ頭(迷い尾根)ーーー池山小屋分岐ーーー空木岳登山口

 朝から風が強い。おまけに霧で見通しが利かない。岩陰で風を避けてバランスアップを4、5個水で食べる。この後、二、三の岩場を越えるとあっという間に山頂だ。しかし、山頂は見通しが利かない。残念だ。何たることだ。山はこういうことがあるのだと一人慰める。立ち去りがたくたたづむ。未練だ。意を決していよいよくだる。東側は次第に風は弱くなる。ハイマツの茂る緩やかな稜線を下る。駒石だ。見上げるばかりの大きな石だ。ここから急な斜面を下る。振り返りもう一度眺める。空木避難小屋への標識を見る辺りから樹林帯だ。どんどんくだるだけだ。若い人が登って来る。このロングコースを登りにとるのは大変だろうと思う。少し下ったところで一休みをしていると一人登ってくる。昨日、名古屋から入られて池山小屋(避難小屋)に泊まったそうだ。迷い尾根とあるが本当だ。枝尾根があちらこちらに延びている。注意を促すロープが張られているので踏み込むことはないと思うが、地形が複雑なことを教えてくれるようだ。登山道も随分整備されている。しかしこの池山尾根は長い。カラマツの林に水場がある。先着の数人が休憩している。高度が下がるにつれて暑くてたまらない。池山小屋の標識を見る。沢筋に50m位くだるようだ。立ち寄り一休みをしたいがおりたところで一浴する予定で着替えを持参しているので先を急ぐ。単純なる道を暑い暑いと思いながらくだるので一層暑い。車道に出るが夏のカンカン照りだ。少し歩くとすぐに林の道を選ぶ。何軒か旅館が集まっている地区のようだ。看板を見ると大沼荘だ。入浴をお願いする。入浴前にバスの予約を入れる。この後、お風呂場に案内される。時間が早いので誰もいない。本当にいい気分だ。冷たい水を被るのも気持ちがいい。入浴後、ロビーでビールを飲みいい気持ちだ。もうこうなると歩く気持ちが起きない。タクシーを呼んでもらい駒ケ根バスセンターに行く。3時の発車時間まで市内をぶらぶらして時間をつぶす。中央道は渋滞で定刻より1時間遅れで新宿に帰りつく。


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