山 紀 行
 
富士山(3776m)
 「この日本一の山について今さら何を言う必要があろう。かつて私は「富士山」という本を編むために文献を漁って、それが後から後から幾らでも出てくるのにサジを投げた。おそらくこれほど多く語られ、歌われ、描かれた山は、世界にもないだろう。・・・・・・一夏に数万の登山者のあることも世界一だろう。老いも若きも、男も女も、あらゆる階級、あらゆる職業の人々が、「一度は富士登山を」と志す。これほど民衆的な山も稀である。というより、国民的な山なのである。日本人は子供の時から富士の歌をうたい、富士の絵を描いて育つ。自分の土地の一番形のいい山を指して何々富士と名づける。最も美しいもの、最も気高いもの、最も神聖なものの普遍的な典型として、いつも挙げられるのは不二の高根であった。・・・・・・八面玲瓏という言葉は富士山から生まれた。東西南北どこから見ても、その美しい整った形は変らない。どんな山にも一癖あって、それが個性的な魅力をなしているものだが、富士山はただ単純で大きい。それを私は「偉大なる通俗」と呼んでいる。あまりにも曲がないので、あの俗物め!と小天才たちは口惜しがるが、結局はその偉大な通俗性に甲を脱がざるを得ないのである。小細工を弄しない大きな単純である。それは万人向きである。何人をも拒否しない、しかし又何人もその真諦をつかみあぐんでいる。」
(深田久弥著「日本百名山」)

新幹線を利用して新横浜から三島まで行き、三島から富士宮口の新五合目まではバスを利用する予定だ。三島駅では北口に出て、もう一度、駅員さんから通行証を貰い南口に回る。おかげで10分位時間をロスし、残念ながら9時30分発のバスには間に合わない。次は11時発だ。止むを得ず駅前でぶらぶらする。1時間以上も時間をつぶすのも大変と思いきや、知らないところでは時間が経つのが意外と早い。30分前にバス停に並ぶが、登山姿は少なく、簡単なザックで軽装の人ばかりだ。バスが発車してからすぐ信号で停まる。駅前の案内員が運転手を制して、更に4、5人乗せる。一日4本のバスともなればやむを得なし。富士宮口が4時間半で山頂に立てる一番の近道なのだ。市街地は時間が遅いせいかバスは順調に走る。富士スカイラインは週末は一般車は通行が制限されているせいか道を行き交う車はタクシーとバスのみだ。運転手さんの話しでは昨年までは大渋滞でニッチモサッチモいかなかったそうだ。夏の一時期はやはりこういう制限を取らなければならないと、バスの最前列に座り独り納得だ。新五合目口でバスを降りて登山口に行くと人で一杯だ。あいにく霧と時折の小雨で売店はごった返しだ。ビニール製の雨具や、簡易酸素ボンベまで売っている。登る人の服装も足元も様々だ。これまでの山歩きとはなんとなく調子が違う。雨具を着て1時10分歩き出す。天気が悪く視界は利かないので、ただ黙々と登り出す。とにかく人が多い。色とりどりの服装で、とにかく勝手が違う。普通、山道で登山者同士がすれ違えば、「今日は」と挨拶を交わすが、ここばかりは誰も無言だ。もっともこんなに人が多ければわずらわしい事この上もないだろうと思う。また山道では登りが優先で原則として道を譲るのだが、ここではお構いなしに下りて来る。おまけに時間が遅いせいか登り出す人よりは下りて来る人の方が多い。何時ものようにゆっくり、ゆっくりと登って行く。森林限界を越えているので火山の山特有の岩と砂礫の道だ。しかし、思った以上に道は歩き易い。さしたる急登も無い。登って行けば所々の狭い登山道の片側に張り付くように小屋がある。この前で一息入れると、見知らぬ人同士の弾んだ話し声が耳に入る。九州から来たとか、神戸から来たとか、富士山が日本一の山であることを改めて実感する。ゆっくりゆっくりと登って行く。さしたる疲れもない。少し雨もあがってきたようだ。いよいよ最後の急登だ。4:54富士宮口の山頂だ。山頂に出ると急に風が強く、横殴りの雨だ。左手の富士館に入り宿泊をお願いすると予約でなければ駄目だと言う。小屋はさほど宿泊者が多そうな様子もない。反対側の吉田口に行って聞いてくれと言う。納得しがたい気持ちで、やむなく歩き出す。次の銀明館でも宿泊をお願いするが、ここも同じでつれない返事だ。風と雨で見通しが悪く、鉄製の柵を伝い登って行く。時間が時間で気持ちばかりがあせる。とにかく風と雨が激しい。この後、少し雨が止むと今度は霧で視界が利かない。柵沿いにとにかく下る。地図を見る余裕が無い。ここから下った所でやっと風も雨も止む。登山道に出る。道端の板切れに御殿場の文字が見える。どうも御殿場登山道に出たようだ。あたりは暗くなるが、この下に小屋の屋根らしき物が見える。とにかく下る。赤岩八合小屋だ。宿泊をお願いする。ゴアテックスの雨具を着ているが、防水が利かなくなったようでシヤッツもズボンも濡れている。大柄で背の高い年配の小屋の主人がズボンを貸してくれるので助かる。発動機のある小屋で濡れた物を乾かす。下りて来た道のことを話すと、小屋の人の話しでは登山道ではなく富士山測候所の人が冬山に使うルートで下りて来たようだ。暖かい缶コーヒーを買い、蜂蜜をしみ込ませたフランスパンをかじる。食事が終わればもうする事もないので、割り当てられた2段目の蚕棚のような寝床に潜り込んでお隣さんと話しをする。しかし、なかなか寝付かれない。消灯の後、一度お手洗いに行く。空は満天の星だ。はるか下に御殿場の街の明かりが見える。明日は間違いなくお天気だ。何時の間にか、うとうとする。こんなすし詰めで熟睡するのは無理と言うものだ。明け方、人の声で目を覚ます。時計を見るとまだ2時50分だ。静かにしてくれよと、文句も言いたくなる。また一寝入りだ。すこしうとうとするが起き出す人で寝ていられない。窓から見える空も朝焼けで明るくなって来る。4時半頃起きだす。ご来光はまだだ。何人も小屋の前で待っている。太陽が雲の上に顔を出す。小屋の主が、「山は昨日のようなこともあれば、今日のようなこともあるよ。」と、いう。本当にそうだ。片意地をはる訳ではないが雨もよし、晴れもよしだ。小屋で簡単な朝食だ。夕食で食べた同じ蜂蜜をしみ込ませたフランスパンだ。固くてあまり食欲が湧かない。傍らでは小屋の娘さん、お皿に盛った山盛りのミニトマトを自家製です、どんどん食べて下さいといっている。こんなことなら朝食を頼むんで有ったと、いささか後悔する。出発前に小屋の前で雪につけて冷やして有ったオレンジを2個買い求め食べる。食欲がないときには果物が一番だ。5時40分、もう一度、山頂を目指すべく出発する。今回は登山道をゆっくりゆっくり登り出す。昨日下りて来た柵が見える。かなりの高度がある。やがて御殿場口の山頂だ。銀明館の前に出る。こんなに天気がよければ、充分、時間もあるし、山頂を一巡し、展望を楽しめる。最初、富士館に行き、巧子に電話をする。このあたりは人で一杯だ。渋谷の八チ公前の賑わいだ。郵便局の前も葉書を書く人やら大混雑だ。いよいよ外輪コースの出発だ。少し急ぐと動悸がする感じだ。やはり3776mの高度を実感する。馬ノ背という緩やかな道をゆっくりゆっくり歩いて行く。富士山は中央に大きな火口壁があり、四周を三島岳、剣ケ峰、白山岳、久須志岳、大日岳、伊豆岳と幾つかのピークが取り囲んでいるのだ。本によれば名前もいろいろ有るようだ。最初に富士山測候所に行く。ここが一番高い所で3776bだ。皆さんここで記念撮影だ。この年ともなると恥ずかしがることもない。小生もミーハー並みにカメラのシャターをお願いする。衆人監視の中、剣ケ峰日本最高所3776mの標柱を横にカメラの前に立つ。この後、外輪コースに沿って歩き出す。見晴らしの良いことこの上もない。お土産屋の賑わいとは打って変り歩く人も少ない。測候所の少し先が大沢崩れの源頭だ。下には影富士が見える。太陽が登るにつれて影は小さくなる。雲海に浮かぶ南アルプスがすぐ手近に見える。中央アルプスや、北アルプスもかすかながら望見出来る。目を右に転ずれば特徴のある山並みが八ケ岳だ。皆さん地図を片手に「槍」が見える、「穂高」が見えると山座同定に余念がない。登った山は愛着があるせいか、南アルプスの山並みに先週登った北岳、間ノ岳、農鳥岳を懸命に探す。北岳の右は甲斐駒か。さらに右手に視線を転じ、何年か前に登った八ケ岳を飽きずに眺める。八ケ岳から富士山を見た時の感激を思い出す。晴れていてもここは風が強い。岩の陰でスパッツを付ける。鞍部からひと登りだ。残念ながら奥秩父の山並みは雲海の下か。ここでも居合わせた登山者に写真機のシャターをお願いする。ここから緩やかな道を下ると吉田口だ。ここの賑わいはどうだ。お祭りの縁日の如き様子だ。下を覗けば登山者がアリのように山腹に取り付き登って来る様子が見える。目線を上に転ずれば残念ながら丹沢も東京も雲海の下だ。登ったり降りたりしながらNTT小屋の前まで来る。左手に鉄柵が見える。やっと納得する。昨日はここの地点から左に歩かなければならなかったのだ。鉄柵に沿ってそのまま長田尾根を下りたのだ。昨日は小雨、霧と風が強く、少し降りた地点で地図を見るつもりだった。赤岩八合の小屋の屋根が見えたので降り切ったが位置の確認を怠ったのが残念だ。反省しきりだ。このNTTの公衆電話からまた家に電話をする。この後、銀明水のの前で身仕度をする。名残惜しいがいよいよ下山開始だ。もう一度長田尾根を降る。この道を降る人はいない。ここでなにやら山に登った気分になる。この後、登山道に出て歩き出す。道は歩き易いがとにかく単調だ。七合目から砂走りを降りれば早いのだが通常の登山道を降る。独りでどんどん歩いて来たので分岐が分からず下りて来たようだ。次郎坊小屋を通過した所から砂走りの道に入る。この道は降るには早いがそれなりに足に応える。ふんばるので太股に力が入る。時間をロスしたが、かえって良かったかもしれない。しかし、振り返れば砂礫の長い道で、とても登りに使う道ではなさそうだ。はるか下に御殿場口の新五合目のバスセンターの屋根が見える。しかし、そこまでが長い。見渡す限り砂礫の原だ。次第に下の方から植生が回復しているのが分かる。背は低いがカラマツのようだ。森の中を歩けば涼しいのだが、こんな平坦な原っぱでは近い距離も遠くに感じる。砂漠の中を歩いているようなものだ。この道を登りに使うことは大変だろうな、とそんなことばかり考えながら下りて来る。大石茶屋に到着する。汚れた顔を洗い、富士の冷たい水を飲んで100円と書かれた看板が出っている。休憩しようかどうか迷うが、通過だ。バスセンターに到着すると、11時40分発の御殿場行きのバスが待っている。次は2時50分発だからこれに乗るほかあるまい。急いでスッパツをザックに仕舞いバスの列に加わる。バスは満員だ。30分で御殿場駅に到着する。時刻表を見ると国府津行きは38分だ。接続が良すぎて一休みも出来ない。ここでもあわてて切符を買いホームに出る。やっとホームの自販機で冷たい缶のお茶を飲みホット一息入れる。帰りの電車の車中で、「ついに富士山に登った。登れた。」と、ひとしきり感慨にふける。それにしてもこれまで、何度、富士山を仰ぎ見たことだろうか。飛行機の窓から雲海に浮かぶ富士山を眺めたこともある。新幹線の窓越しに白い雪を被った富士山を見たこともある。何時だったか、出張で沼津駅に降り立ち見上げた富士山、とりわけその裾野の雄大さに感嘆した事を思い出す。これまで登った丹沢でも雲取山でも八ケ岳でも南アルプスでも、富士山が見えれば居合わせた登山者は一様に歓声を上げる。そのくせ一度でも登った事のある人は一度登れば充分と言う。富士山は見る山で登る山ではないとまで言う人もいる。富士山、長く雄大な裾野を持つ堂々たる山容はちっぽけな人間が登れば単調で苦ばかり、楽を感じせしめない。しかし、登り切れば360度の大展望を見せてくれる。大きく打てば大きく応える。小さく打てばそれなりだ。やはり富士山は偉大な俗物の名前に恥じない。何時の日かかかるダイジエスト版でなく、家から歩いて山頂まで登るとか、海の水に手を浸してから歩き出すとか、そういう富士登頂をやってみたいものだ。今回は剣ケ峰からは雲海に浮かぶ南アルプス、中央アルプス、北アルプスが、白山岳(釈迦ケ岳)からは八ケ岳、そして奥秩父の山並みが見えたが、残念ながら雲が厚く久須志岳(薬師ケ岳)からの展望は利かない。大菩薩嶺や雲取山が、そしてその先には上信越国境の山が見えるはずなのだが。そして大日岳(朝日岳)、伊豆岳(阿弥陀岳)からは東京が、成就岳、浅間ケ岳、三島岳からは駿河湾が見えるはずだが、これまた雲海に遮られ残念ながら見えなかった。雲の切れ目からは裾野に広がるゴルフ場が緑の湖のように見えたが、一回登っただけで全部見ようなんて欲張り過ぎだと思う。登り切った満足感と充足感に充たされて家に帰りつく。

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