山 紀 行
白峰三山(北岳・間ノ岳・農鳥岳)

1北岳 南アルプスの白根山の最北部に位置するので北岳といわれる。日本第2の高峰。全山古生層の水成岩で、南北から見ると三角錘状をなしている。」
「間ノ岳(3189m)南アルプス、白根三山の中央にある日本第4位の高峰。山頂の東側に大きなカールがあり、大井川・早川の水源。」
「農鳥岳(3026m)南アルプスの一峰で、白根三山の一つ。山名は、残雪によって現れる山肌が鳥形をし、その現れるころを農耕の節としたのに由来する。また、秋には農牛の形が現れるという。頂上部は、西農鳥岳(3051m)と農鳥岳に分かれる。白根山の南端に位置する。」(コンサイス日本山名辞典)

第1日目
下丸子で始発電車に乗り遅れる。朝は電車の間隔が長いだけに間に合うかどうか心配だ。目黒では順調にJRに乗り継いで新宿に到着する。心配した時間にはゆうゆう間に合う。中央線のホームに行くと、あちらこちらから登山者が集まってくる。皆さん大きなザックを背負っている。4番線は7時発の特急あずさ1号だ。間もなく5番線に6時40分発の臨時特急あずさ81号が入線してくる。新宿から甲府まで特急で1時間35分、4100円だ。

甲府に到着する。駅舎を出てバス停に行く。途中で呼び止められる。タクシーの相乗りで行けばバスより安いとのことだ。しかし、バスも経験しておきたいので、とにかくバス停に行き並ぶ。もう既に何人か並んでいる。広河原行きのバスが来るが小さなバスで満員だ。辛うじて座れるが全員が座れるという訳ではない。かなりの人が中央の通路に座り込んでいる。今時珍しい事に女性の車掌さんが同乗している。走り出して間もなく車内で切符を売り出す。終点の広河原までの料金は2040円だ。芦安村の集落を最後に道幅が狭くなり、バスが小さな訳が納得される。夜叉神峠でかなりの登山者が降りる。鳳凰三山の登山か。ここで全員座れる。バスの幅やっとの長いトンネルを抜けると山岳道路だ。このあとは山肌を縫いバスは走る。下を見れば見ればかなりの高度がある。タクシーや自家用車が行き交い、すれ違うのには恐ろしいくらいだ。車窓から正面に北岳が見える。陽に照らされたバットレスが荘厳な感じで心をときめかす。

広河原のアルペンプラザに到着する。ここで身仕度をする。辺りには客待ちのタクシーの運転手が何人もいて、通い慣れた丹沢といささか雰囲気が違う。
この先の林道にゲートがあり、見張小屋がある。ここからは一般車は進入禁止だ。挨拶をしてゲートの脇から入り、すぐの吊り橋を渡る。登山口の右手に広河原山荘が有り、覗いて見る。山荘の前のベンチで靴紐を絞め直して歩きだそうとすると、若い人の一団が年配の人を先頭に行列を作り登って行く。この最後尾に付き登り歩き出すと、お先にどうぞと道を譲られる。テント泊のようで全員かなりの大きさのザックを背負いゆっくりした足取りで登って行く。静高の文字が見える。高校の登山部か。先生のザックは昔懐かしいキスリングだ。沢沿いの道を次第に高度を上げて行く。左岸の斜面が大きく崩壊している。この所で以前落石事故があったようで、道は崩落箇所を避けて右岸に移り小さな尾根を乗り越すようだ。ここで後ろから来た関西弁の女性グループが追い越して行く。しかも先頭は小学生のようだ。

大樺沢二俣に到着する。この沢の上部に雪渓が見えるが純白とは言いがたい。左に道をとればバットレスを通過して北岳山荘に行き、右に道をとれば肩ノ小屋に至る。さらに斜面を巻けば白根御池小屋だ。今夜は御池小屋泊まりなので右手の道を取り、樹林の中を巻いて行く。ひとしきり歩き、視界が開けると平坦地に出る。小さな池がある。この池の回りにテントが幾つも張られている。写真で見る御池小屋が見える。なかなか立派な小屋だ。この小屋の前に以前使用されていたプレハブの小屋が二棟あり、一つは管理棟だ。もう一つは緊急時の時にでも使用するようだ。受付けを済ませる。指定された寝場所は新しい建物の2階の8番だ。早速に建物の中に入り、垂直の梯子をあがって見ると、1枚の布団に2人だ。建物は新しいモダンな作りだ。ザックを置くと小屋の回りの探検だ。ウッデイーな新しい小屋だ。年金積立てかなにかの低利融資で建てられたようだ。それにしてもトイレの粗末さはどうだ。プレハブで小屋はかしがり沢に垂れ流しだ。だれか女性が道路ばかりでなくお手洗いを作って欲しいといっているが、同感だ。少なからざる人間が山に登る時代だ。贅沢は言わないが、こんなささやかな願いもままならないで、経済大国の名が泣こうと言うものだ。小屋の裏に炊事場がある。小屋の主人森本富盛氏(ガイドブックの写真で見ているのですぐにわかる。)が大きな岩の上にしゃがんで向かいの鳳凰三山を眺めておられる。右から薬師岳、観音岳と見えるが、地蔵岳はこの尾根の陰で見えない。まるで雪に覆われているような様子だ。実際には花崗岩なのだ。小屋の主人森本富盛氏の許可を得てプレハブ小屋に移る。ここは土間で中二階に古い毛布がある。シュラフカバーを持っているので苦にならない。ここなら一人で悠々休める。若い女性が到着する。小屋番の奥さんが、「先生が夕刻到着する」ので、「ゆっくり休んで下さい」、と話している。小屋の若い男が缶ビールを運んでくる。夕刻、小柄な老人が何人かの若い人と到着する。ヤマケイで見た北岳山荘の昭和大学医学部診療所の小林先生のようだ。すると先程の女性は診療所の看護婦さんか。結局、この小屋で休むのは10人位か。設備は悪いが悠々と休めるのがいい。夜中寒さで目が覚める。通路の向かい側では咳をしている。毛布を何枚か取りシュラフカバーの上から掛ける。また眠りにつく。

第2日目
4時頃目を覚ます。朝食は弁当を御願いしていたので、身仕度が終われば直にでも出発出来る。慌てることもあるまいとお湯を沸かしココアを入れてクラッカーで朝食だ。弁当はお昼にまわしてザックの上に載せて出発だ。5:00小屋を出る。御池の脇を歩き、山道に取り付く。肌寒いが気持ち良い。大きな声がするので見上げれば、昨日の関西の中年女性グループだ。リーダーが大きな声で高山植物の名前を教えている。関西の人は物怖じをしないせいか、どこでも賑やかなことこの上もない。「草すべり」に取り付き、折り返し折り返し登って行く。早朝のせいか気温が低く余り汗もかかない。しかし、ガスで西側の展望が利かないのが残念だ。昨日は鳳凰三山が見えただけ、よしとするか。樹林地帯を抜けて、程なく、小太郎尾根分岐に到着する。先着のグループが幾組も休憩している。秋田弁が聞こえる。見ると中年の5、6人のグループだ。南アルプスとなると全国区だと思う。アルプスとなると普通の登山者にとっては夏にしか登れないのだ。アルプスの冬山は余ほどの経験と装備がなければ困難な山域となる。それだけに嬉しくてついつい大きな声になるのだ。静高のパーテイーが到着する。気持ちに余裕があれば小太郎山まで往復をするのだが、初めてで気持ちがせくせいかとにかく山頂を目指す。

北岳肩ノ小屋に到着する。標高3000bだ。小屋を覗いて見る。休憩をしている老人がいる。年齢を訊ねると78歳だという。この人はここから下山する。この後、斜面に取り付く。ゆっくり、ゆっくり登るせいか格別息は上がらない。北岳頂上に到着する。沢山の人が休憩している。見渡せば若い人が多い。ここでも西側の展望はないが、東側はまあまあだ。とにかく皆さん興奮気味で、あちらこちらで写真を撮っている。かく言う私も何枚かシャターを押してもらう。いよいよ下山だ。下るに連れて稜線から北岳山荘の赤い屋根が見える。立ち去りがたいが出発の時間だ。右手に仙塩尾根の長い稜線を見ながら降る。途中、関西組の女性に頼まれてカメラのシャッターを押して上げる。

10:25北岳山荘に到着する。山荘の中を覗く。今夜は一枚の布団に4人ですと、貼り紙して有る。水は1g100円だ。桃缶500円を買い食べる。かなりの大きい缶で朝食か昼食の代りに全部食べてしまう。満腹でメシバテはなさそうだ。もう一度山荘に入り、ミカン缶500円を買い、用意して来たタッパーウエアに移す。夕食時のデザートだ。

中白峰で小休止だ。若い人が二人休んでいる。甲斐駒ケ岳や、千丈ケ岳が見える。とりわけ千丈ケ岳からの長い尾根筋が低く延びている。あれが天下のバカ尾根、仙塩尾根だ。ここでも6、7人の男女のグループのカメラのシャッターを押して上げる。

間ノ岳山頂だ。頂上は広く、ガスでも出れば方角が判らなくなるはずだ。
目の前には西農鳥岳、農鳥岳が見える。今夜、泊まる農鳥小屋はこの鞍部だ。ここで1時間近く休憩する。大きなザックを背負った登山者が登って来て残念がっている。聞くと例年ならこの西斜面には雪田が残っているそうだ。この後、関西組の女性3人とガラの斜面を降る。関西組の小学生と女性4人はすでに先発している。三国平への分岐を通過する。もう小屋はすぐだ。

農鳥小屋に到着する。この小屋は尾根上の鞍部にあり、石垣で周りを囲んでいる。到着すると一人の宿泊場所は手前の小屋だ。小屋の主人深沢糾さんが来て、何故か年齢を尋ねられる。ノートに住所、名前を記入する。この後、お手洗いの使用上の注意やら水場の場所を説明される。

今日は宿泊者が多いそうで1枚の布団に二人で休んでくださいとのことだ。シュラフカバーを持っていること、荷物を軽くしたいので自炊の旨申し出る、と寝る場所は通路の真ん中だ。場所も決まり、することもないので水場に行く。小屋番の深沢さんは往復に10分と言う。深沢さんが立ち去った後、アルバイトの学生が来て往復20分だと言う。近いつもりで降りて行き、遠いので文句を言われるとのことだ。斜面を折り返し折り返し降りて行く。斜面は高山植物のお花畑でなかなか楽しめる。しかし、本当に距離はある。黒いホースで沢から水を引いているようで手が切れそうな冷たさだ。顔を洗い汗を拭う。水を汲んで小屋に戻る。アルファ米を炊き、缶詰を開ける。結構いける。食後のデザートは北岳山荘で買った缶詰のミカンだ。6時を回る頃はあたりは暗い。もう宿泊者は来ないようだ。小屋の若い人が来て一部寝場所の最配置だ。布団や毛布が一組余る。ヤレヤレだ。毛布をニ、三枚無断で借用する。早々にシュラフカバーに潜り込む。夜中は雷鳴が鳴り、雨が降る。ラジオの天気予報では明日は大丈夫のようだ。

第3日
3時を少しまわった頃から起き出す人で寝ていられない。3時半には小屋番が名前を呼び出しに来る。ここは着いた順番に食事のようだ。今日は天気がよさそうだ。4時半頃(?)か太陽が昇り始める。5:00小屋を出る。風が冷たくて気持ちが良い。30分位の歩きか。西農鳥岳の山頂に立つ。360度の展望だ。東側はガスつて展望は良くない。それでも北岳の横に八ケ岳の主峰赤岳が頭を覗かせている。東南の方角の一段と上の所に富士山のシルエットがぼんやりと見える。しかし、西側は塩見岳、千丈ケ岳に続く稜線がすっきりとした姿を見せる。この稜線が大倉尾根と並ぶ天下のバカ尾根仙塩尾根だ。この稜線から少し下がった処に熊ノ平小屋が見える。この後、農鳥岳を登れば長い下りだけだ。つい立ち去りがたく時間を潰す。皆さんどんどん出発して行く。関西組みが到着だ。リーダーの渡辺さん(?)に赤岳を教える。来年は八ツ岳(赤岳)と言っている。さあ、いよいよ出発だ。稜線の西側を巻く道だ。ガレ場の連続で気が抜けない。注意してペンキの印を辿る。

農鳥岳に到着する。白根三山縦走もいよいよ最後かと思うと、ここもなかなか立ち去りがたい。山頂に大町桂月の御影石の歌碑があるが、草書体で読めない。この後、時間も早いのでゆっくり歩く。なんだか早く歩くともったいない気持ちがする。

大門沢降下点に到着する。鉄塔が建っている。中に鐘が釣り下げられていて、下山して行く登山者は鳴らして行く。銘板が有る。字が薄れていてよく読めない。かすれた字を読めば、冬山であろうかこの降下点の位置が分からずに遭難した25歳の青年のご両親が建立したようだ。思わず南無阿弥陀仏と念仏を唱えて鐘を撞く。ここからは本当に長い下りだ。ラジオを聞きながら降る。広島の原爆慰霊祭の様子を伝えている。今日は8月5日だ。広島に原爆が投下された日だ。そして来年は敗戦50年目を迎える。昭和16年1月にうまれ、12月には太平洋戦争の開戦だ。その私が今こうして、山を歩いている。歩きながら戦争で死んだ人のことをしきりと考える。どんな思いで死んでいったのだろうか。いまでも出陣学徒の「わだつみのこえ」(岩波文庫)を読むたび涙が出る。小林秀雄は、吉田 満著の「戦艦大和の最期」(創文社)の推薦の序文で「僕は簡単に反省なぞしない」と、言った。氏一流のアイロニーだと思うが、簡単に反省して簡単に忘れる日本人、なんとも名状しがたい気持ちだ。

大門沢の水音が聞こえ出す。思わず足が早くなる。水量の多い沢だ。冷たい水が勢いよく流れている。顔を洗い汗を拭う。いい気持ちだ。沢沿いで格別のことはないがとにかく長い下りだ。しかし、車の行き交う神ノ川林道や早戸川林道を歩くことを考えればまだましだ。

大門沢小屋に到着する。ここまで来ればヤレヤレだ。一応小屋を覗く。下山する登山者の何人かが民宿の予約をしている。小屋番が携帯無線で下の民宿と交信している。しかし、ここからでも3時間の行程だ。沢沿いの山道をひとり黙々と下る。所々、枝沢で先行する登山者が休憩している。とにかく長い下りだ。それでも丹沢の神ノ川林道を歩くこと考えればましだと思う。吊り橋で右岸から左岸に渡る。床板が壊れたか所があり、揺れるしスリル満点だ。この後、左岸から右岸に、右岸から左岸に2回、同種の釣り橋を渡る。
12:40登山口に降りる。中年の登山者が一人休憩している。白根館に宿泊の予約をしているが連れが仕事の関係でキャンセルだという。予約客の送迎バスが1時にくる。運転するは白根館の主人のようだ。予約でなければ宿泊は出来ないが、同室でよければと言う。先着の登山者(Fさん)に同宿をお願いする。行き当たりばったりの山行きはスリルがあってとにかく面白い。宿に着くとすぐに入浴する。入浴後、Fさんと早川町の「南アルプス邑ーー奈良田の里」を見学に出掛ける。この中には、白旗史朗山岳写真館や早川町歴史民俗資料館がありなかなか楽しめる。電源開発でダムが出来るまでは、さびしい山村の集落であったようだ。この後、宿に戻り、また入浴だ。風呂から出て、部屋で、Fさんと山の話しだ。学生時代から随分山を歩いているようだ。

夕方、浴衣姿で散歩がてらバス停に行く。バス停では登山者同士の話しが弾む。46歳の横浜のサラリーマン氏、新宿を12時2分に出て、甲府に2時30分到着。タクシーで広河原に入り、3時30分から登りだし、午後4時に奈良田に到着したと言う。話しを聞くと本当に軽装だ。靴はジョギングシューズで、持ち物は雨具、地図とコンパス、ヘッドランプ、飴10個という。ラインホルト・メスナーではないが装備を軽くしてスピードと体力で歩けば歩けない訳ではなさそうだ。あまりにもいろいろな装備を持ち込んで、結局、使いもしないで大変な思いをする事を考えればこれも一つの山歩きの方法と言えるかもしれない。大変参考になる話しだ。

翌朝、起きて、また入浴だ。お風呂に入るとあの関西組の小学生が入っている。聞くと3年生だそうだ。この子はとてもおとなしい子供で、山中でも黙々と歩いていた。脱衣所で、余計なことながら、「君は本当によくやったよ。夏休み中に、今度のお母さんやおばさん達と歩いた山のことを作文に書けよ。」と、勧める。この後、ロビーを通ると、お風呂から上がってさっぱりした関西組のご婦人達がおられる。昨夜は大門沢小屋に泊まり、今朝、奈良田に下りて、バスに乗る前に入浴したと言う。

身仕度をしてバス停に行くと登山者で一杯だ。今日は臨時のバスが出るそうだ。1台目は満員だ。運よくというか、2台目に乗れて、おまけに坐れる。バスは2台ともノンストップで走り、渋滞もなく順調に身延駅に到着する。急行で三島に出る。三島駅で何時の日かの再会を約してFさんと分かれる。新幹線で新横浜経由で明るい内に帰りつく。

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