柳瀬和之のホ−ムペ−ジです

追憶の百名山 白山(弥陀ヶ原)(2010/8/6)

私の近況報告(2020/7/30)


 暇に任せてYOUTUBEで山本周五郎、池波正太郎、藤沢周平、野村胡堂だと朗読を聴いていたが聴くものがなくなった。ネット上にこのところにわかにNHKが朗読、歴史再発見、文化講演会、カルチャ−ラジオ、ラジオ文芸館等々をアップし出した。膨大な文化音源資産を抱えるNHKならではとの試みと感心する。残念なのは例えばNHK文化講演会とあるだけで講演の題目や講演者名の表示が分かないことだ。欄外に小さな文字で記載されているようだが私のような目の悪い年寄りには分かりにくい。スマホの利用が多いと思われるのだから表示には一工夫を要するのではないか。選択と検索に手間取って腹立たしい限りだ。

 NHKラジオア−カイブスもアップされている。クリックするとなんと私の敬愛する「長谷川如是閑」だ。司会は宇田川アナ、解説はノンフィクション作家の保阪正康氏だ。これは第3回で、あらためて第1回から第5回まで聴いた。元々は昭和37年にNHKラジオで放送されたものだ。
私は昭和36年に2年遅れで大学に入ったが、その4月新宿の紀伊國屋書店でたまたま手にした岩波新書の「マックス・ウエ−バ− キリスト教ヒュ−マニズムと現代」(青山秀夫)が私の大学生活の出発点となった。このマックス・ウエ−バ−を学んでの延長線上に長谷川如是閑がいるのだ。詳しくは私の読書備忘録2http://taiyohdoh.net/book/book35.htmをお読みください。

 この放送で語られていることは活字で読む以上に鮮明に如是閑の思想、大正、昭和(戦前期)の日本が直面した問題を教えてくれる。

1.「日本」を決して「ニッポン」と発音してはならない。「ニホン」と発音しなければならないという。ここにはドイツ文化に傾斜した大正、昭和(戦前期)の日本への戒めがあるのだ。如是閑は言う。明治を生きた人は「ニホン」と言って、決して「ニッポン「とは言わなかったという。この「日本」の読み方にこうも拘るのは大正、昭和(戦前期)の「軍国日本」(グンコクニッポン)と読み上げさせられた暗い記憶があるからであろう。

2.如是閑がイズミストという造語を使って伝えたいものはハ−バ−ト・スペンサ−やバ−トランド・ラッセルを読んで身に着けたアングロサクソンの思想でありものの考え方だった。専門家でない常識人の立場で物事をとらえるという考えからジャ−ナリストを志した如是閑の深い思いが語られている。

3.日本の文化の基盤が極めて民主的であり社会階層間の区別が付けられていないことを指摘する。

4.文化の質的面が実践的実利的であることを指摘する。如是閑が東京深川に生まれ育ち、父親が江戸城の修復にも関わった大工(棟梁)であったことが大きな影響を与えているかもしれない。如是閑はドイツと本来の日本は全く異なる精神風土にあつたのだと言っているのだ。身の丈に合わないドイツ文化に傾倒した大正、昭和(戦前期)を批判するのだ。

 私は如是閑の「日本的性格」「続日本的性格」「日本さまざま」等の著作を読んで如是閑に傾倒していたのです。この放送で生身の如是閑の声を聴くことが出来て本当に良かった。

 この放送で初めて知ったことが幾つかある。

1.雑誌「我等」の廃刊が官憲の圧力によるものでないことを知った。
河上肇、大山郁夫達と三人で発刊した雑誌「我等」だが、如是閑の言う実践活動に入るべく河上が欠け、大山が欠け、如是閑一人となり昭和9年に廃刊するのだが、この間、一度も発行停止処分を受けたことがなかったこと、特高が自宅に書籍を押収に来たが形だけであったこと、内務省警保局の高等文官(注高文合格の上級役人)にも良識のある人がいたこと

2.この放送で如是閑が幾つかのスク−プ(白虹事件、甘粕事件)に関わっていたことを知った。こういうジャ−ナリストの一面があることは始めて知った。

3.全国高等学校野球選手権大会のこと
如是閑が大阪朝日新聞の社会部長の時、大阪毎日新聞との競争上から彼の発案で万朝報から専門記者を招聘し全国中等学校野球優勝大会(1915年)が始まったという。

 マックス・ウエ−バ−はドイツの精神的な基盤を危惧していたのだが、大正、昭和(戦前期)の日本は不幸なことにこのドイツをお手本にしてしまった。
 戦後は手のひらを返したごとくアメリカにお手本をとっている。戦争に負けて占領をしたアメリカに要求されたとはいえ、文明史観的にみればバイアスが掛かってはいるが本来の日本の固有の道に戻った言えるかもしれない。しかし、全てアメリカの真似をしているわけでもないであろうが、日本なりの途を歩くにしても立ち向かう壁はとてつもなく大きく感じる。

柳瀬和之(やなせかずゆき) 東京都大田区在住
yanase@taiyohdoh.net