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丹沢表尾根木の又小屋の薪スト−ブ(20100130撮影)
懐かしく思い出しています
私の読書遍歴第1回(2022/2/11)

 私は中学生の時、本を読むのがとても好きなりました。現在では視力が落ちてYOUTUBEで朗読を聴いていますが、年寄りの暇つぶしに読書についての思い出話しを書きます。
 
 私が中学生の時、父の勤めていた高校は定時制農業高校で4学年4クラス、校長は近くの道立高校の校長が兼務の小規模な学校です。中学校と高校が同じ校舎内にありました。中学校は広い地域に散在する小学校3校の卒業生が進学してくるのです。1学年3クラス、全校生500名前後です。ほとんどが自転車通学です。冬季には遠隔地から通う生徒のため寄宿舎か開設されました。学校は市街地からかなり距離があり、敷地は広くおまけに学校の敷地内、それも教室の窓から見えるところに中学校長宅、高校教頭宅、中学教頭宅と教員住宅が3軒並んで建っていたのです。

 学校が休みになると私は父の学校の教員室の隣の図書室から本を借りだしては自由に読むことが出来ました。学校が休みでも父は下駄履きで、自分の書斎でもあるような感覚で教員室で一人新聞を読んだりして時間をつぶすのです。

 「文芸春秋」は父が定期購読をしていましたから読み終わると私に投げ与えられるのです。かような次第で「文芸春秋」は私の愛読誌でした。この頃、読んだ桑原武夫の人物評論「西堀栄三郎論」、「三高校長森外三郎論」、吉川英治の連載、自伝「忘れ残りの記」等を思い出します。単行本では大部の「新平家物語」(吉川英治)、「源平盛衰記」、文庫本では「友情」(武者小路実篤新潮文庫)、「大地」(パ−ルバック新調文庫)等々を借り出して読みました。高校に入るとこういう雑読は自然と自粛し、「文芸春秋」を読む程度になりました。

 高校2年の時(1958(昭33)年3月)に父が亡くなり、生活環境が一変しました。東京(大田区上池上)で商売をしていた伯母の尽力で急遽、北海道から上京し、私は編入試験、弟は中三でしたから二次募集の試験を受け、1ヶ月ほど伯母の家に寄寓し、四月の半ばには現在の下丸子に居抜きで店を譲り受けて商売を始めたのです。母、私、弟、妹の四人家族、伯母の教えを受けての初めての商売です。
 
 生活環境の激変もあり学校に通うのがやっとでした。居抜でしたからそれなりにやれました。大学受験は伯父にお母さん一人でお店をやるのは無理だよと云われていましたが、入りさえすれば何とかなると考えていたのだのですが、受験は国立のみですから結果は最初から分かっていたようなものです。

 母と交代でで店番をしながら小説を読みました。夕方4時頃までは暇で仕方がないのです。店を開け商品の補充、掃除が済みひと段落すると商店街の端にある貸本屋に行き数冊借りだすのです。勿論、中学時代から愛読していた「文芸春秋」は毎号読んでいました。単行本では井上靖、大江健三郎、開高健、石原慎太郎、三浦哲郎、近藤啓太郎、有馬頼義、南條範夫、船橋聖一、三島由紀夫、海音寺潮五郎等々借りだしは読んでいました。このところyoutubeで山本周五郎の「日本婦道記」の朗読を聴いたとき、昔、貸本で読んだことを思い出しました。あの頃は漱石、鴎外は敬して遠ざけていました。

 こうして新進気鋭の小説家の小説をたくさん読みましたが、中でも大江健三郎の「死者の驕りは」は現在でも不思議に記憶に残っています。貸本屋で読む本が無くなるとご近所の出版社に勤めておられた藤井さんから伊藤整「日本文壇史」をお借りして読んだことを思い出します。「日本文壇史」で思い出すのは文芸評論家の石橋健吉の父石橋忍月のことです。彼がレッシングばかりを引用するのでレッシング忍月と呼ばれていた等です。文壇裏話をあつかったものです。

石橋忍月(友吉)(1865-1926)
文芸評論家、小説家、弁護士。ドイツ文学の素養をもとに、理想主義的、浪漫的批評を発表。

 何故か「日本文壇史」が大部であったことが印象が残っていたのでこの一文を書くためネットで調べたのですが、「1969(昭44)年伊藤整が亡くなるとき18巻まで刊行され、この後、友人の瀬沼茂樹が引き継ぎ1979(昭54)年24巻で完了したとありますので私は10巻前後しか読んでいないと云うことになります。

 当時は未だ銭湯の時代でしたから商店街で1軒だけ12時近くまで店を開け、パン、インスタントラ−メン、牛乳等を売って生活をしていました。古くからのお店を譲り受けたので幼稚園の行事や労働組合の集会などに商品を納めることが出来たこともとても助かりました。ただこの頃、ス−パ−の進出があり社会状況の変化の兆しが感じられるようになりました。

 貸本を借りて読むことにも少し飽いてきた頃、貸本屋の親父に太陽堂が一番の客だと言われた時は我ながら驚きました。こうして何とか生活が出来るようになる頃、しきりと大学に行くことを考えるようになりました。

この続木は第2回で書きます。

 いつまでも新年の挨拶を載せておくわけにはゆくまいとHPの更新で「私の読書履歴」を書き出したらどうにも1回けではおさまらなくなりました。これまで何度も積んである本の整理をしなければなならないと考えながらもとうとうこの歳となってしまいました。斯様な次第で、これまで読んだ本で記憶に残っている本のことを暇つぶしに数回に分けて載せることにしました。これぞ究極の暇つぶしになりそうです。

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