追憶の穂高連峰 槍ヶ岳山頂から1997/7/20撮影
日本の財政は破綻するか
矢野財務事務次官の論を考える(2021/11/29)
 
 財務省の矢野康治事務次官が、「財務次官、モノ申す:このままでは国家財政は破綻する」と題する論考を『文藝春秋』11月号に寄稿した。この論考をめぐって繰り広げられてきた政策論争は、あらためて現在の日本の財政状況について激しい意見対立があることを多くの人々に印象づけた。

 そんなおり東洋経済オンラインで、「矢野財務次官の「財政破綻」投稿を考える  国家財政は破綻するのか、神学論争回避への提言」(2021.11.02)と題する齊藤 誠(名古屋大学大学院教授)の一文を読みましたので私見を交えてご紹介します。。
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斎藤教授の提言の要旨

★矢野氏をはじめとした人々の主張
「財政規律を守らなければ、国家財政は破綻する」
自民党の高市早苗政調会長)の主張
「財政規律を棚上げにしても、国家財政は破綻しない」。

2つの主張は、まさに真っ向から対立している。

★規律順守や規律棚上げを選択できるのか
実は、「財政規律を守らなければ、国家財政は破綻する」と「財政規律を棚上げにしても、国家財政は破綻しない」という真っ向から対立する主張には、共通の了解が2つある。

第1に財政規律が守られるかどうかは、政府や日銀の政策決定に完全に委ねられている。

第2にどちらの陣営も財政破綻の回避を政策目標としている。

★政府は現在から将来に向けて、税収を確保しながら財政支出を節約し、膨れ上がった国債の元利返済を着実に履行していくことが「財政規律を守る」の意味である。

★規律順守派の矢野氏が、バラマキ政策や消費税減税の提言を厳しく批判したのも当然であろう。一方、規律棚上げ派は、国民のニーズに見合った財政支出の充実を、国債の元利返済に優先させようとしている。

「経済規律を棚上げにできる」経済環境であれば、財政支出の大盤振る舞いをして、増税どころか減税によって有権者の歓心を買おうとするのは、とりわけ政権与党にとって当然の判断であろう。後述のように、日本経済はいま、まさにそうした経済環境にある。
一方、「財政規律を順守せざるをえない」経済環境では、いくら国民が反対しようと、どんなに経済が混乱しようと、政府や日銀は財政規律を守らざるをえない。あるいは財政規律の順守こそが、安定した経済環境を回復させる大前提となる。
★矢野氏は国民負担の内実について沈黙している。これでは、矢野氏の論考が「看板に偽りあり」と批判されても仕方がない。

★規律棚上げ派は、財政破綻の意味を非常に狭く捉えている。すなわち、「国債の元本と利息が返済されない状況」と財政破綻を形式的に定義している。

★「自国通貨建て(日本であれば円建て)の国債の元利返済は、中央銀行(日銀)の通貨発行でつねに賄うことができる」と主張する。

★第2次世界大戦(正確には日中戦争と太平洋戦争)の最中や敗戦直後の財政金融政策を振り返ってみると、「財政規律を棚上げにできる」環境や「財政規律を順守せざるをえない」環境の具体的な姿が明確に見えてくる。

★戦中に発行された莫大な国債は敗戦後のハイパーインフレで紙切れになったといわれるが、敗戦直後の物価高騰はハイパーインフレではなかった。物価水準は年2倍強で高騰し、1940年代後半全体でようやく100倍程度だった。

★ハイパーインフレとは物価上昇が年100倍以上に達する状態を指すが、敗戦直後の物価高騰はハイパーインフレにはるかに及ばなかった。

★政府が敗戦と同時に財政規律を順守して将来の財政余剰を確保したからこそ、物価高騰はハイパーインフレに転じることがなかったのである。もし敗戦直後の日本経済がハイパーインフレに見舞われれば、1950年代以降の戦後復興はずっと先のことになっただろう。

★敗戦直後の日本政府は国債元本のほとんどを償還した。その意味では財政破綻に陥らなかった。

★第1に、1995年秋以降、短期金利が年0.5%を下回る水準となり、21世紀に入ると、短期金利がほぼゼロ水準となった。

★第2に、長期金利もゼロ水準に向かって低下傾向にあった。その結果、投資家や金融機関は、キャピタルゲインを期待して(長期金利が低下する過程で国債価格が上昇していく)、積極的に国債を保有するようになった。

★第3に、日銀もゼロ水準をわずかに上回る金利を付すことによって民間銀行から準備預金を集めることができ、それを原資として国債を買い取ることができた。

★第4に、国債を発行する政府の側から見ても、金利水準がゼロ近傍まで低下すれば、国債の元利返済を先延ばししても債務が雪だるま式に膨らむことがなくなった。

★物価が安定、あるいはマイルドなデフレ状況にあれば、国債や貨幣の実質価値は目減りすることがなかったからである。

日本銀行の金融緩和により、国債や貨幣に対する旺盛な需要が支えられてきた

★「旺盛な国債・貨幣需要は、いつか消えてしまう」となる。

★感染対応の財政支出の相当部分は家計や企業の貯蓄に回り、財政支出規模の拡大に見合って国内貯蓄規模も増大した。

★現在までに積み上げてきた日本国債の実質残高のうち、将来の財政余剰に支えられているのはせいぜい3割。残りの7割は、いつかは短期間で数倍の物価高騰と財政規律の回復でまかなわざるをえない。

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 斎藤教授の論考はなかなか狷介であると感じました。結論から言えば斎藤教授ば規律順守派、規律棚上げ派のいう財政破綻はないというこです。いろいろなプロセスが考えられますが、日本の自国通貨建の国債であれば日銀が日銀券を増刷して対応すれば済む話だし、国債もかなりの額を市中から買い上げているのです。ただ問題はこの先です。大企業はかなりの金融資産を保有し、家計の個人貯蓄も相当なる金額となっているのです。

 ただ常識的な考えるならばインフレの気配が一寸でも感じられれば遠からざる将来に貨幣市場(為替面)では円を売ってドルを買う円安が進むでしょうし、また現に大都市圏の実物市場では不動産等への需要が増える兆しが感じられるのです。自国の通貨建てであれば国債発行は問題ないとして少しでも景気後退があれば国債発行に頼ったのは日本だけのように思います。口幅ったい言い方ですが、ここに政治の問題があり、ひいては国民の成熟度というか、そういううことを感じるのです。

 新聞で35兆円の補正予算だ、国債発行残高1000兆円超になった等の見出しを見たときはこれらのことが脳裏をかすめましたが金もない年寄りにはなすすべもありません。


何年か前に新聞でドイツの財政相が隣り合わせた麻生財務相にかってのドイツでのインフレの話をしたところ、麻生財務相が自分の目の黒いうちはそんなことはさせないと大見得を切ったという記事をよみました。

 ドイツは戦後財政規律にはことのほか国民が敏感であるようです。ドイツでは第一次大戦後の賠償などからとてつもないインフレを招き、社会不安の中からヒットラ-の台頭を招き第2次世界大戦に至った苦い体験からインフレにはとても敏感であるのではないかと考えます。 日本でも第2次大戦で「欲しがりません勝つまでは」のスロ-ガンで膨大穴国債を発行し戦費を調達しましたが、戦後のインフレで紙くず同然になりました。

 私の個人的な意見では戦前への反動が大きすぎて太平洋戦争に至る歴史の検証が不十分であったと思うのです。ドイツでの対応と比較すると際立っていると思います。とにかく太平洋戦争というと真珠湾だ、ゼロ戦だ、とばかりが喧伝され、そこに至る政治や経済への視点が欠落しているのではないかと思うのです。

 齢八十を超える年寄りが今回もこんな分不相応なことを書き込みました。私の生きた証として載せる次第です。
 
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