追憶の百名山 槍ヶ岳遠望
1996/7/20早朝燕岳燕山荘出立前に撮影
「日本の政治の根底を考える」(2021/10/27)
 
 私は、最近、朝日新聞で注目すべきインタビュー記事を読みました。衆議院選挙の前ですがあえてご紹介します。

★「リベラル派が陥る独善] 政治学者・岡田憲治(2021/9/9)
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岡田インタビュ-の要旨

★野党は支持者ともども潔癖主義に陥っている。

★譲り合い、選挙区での候補者調整と比例区での統一名簿作成を進めなければ、今回も野党の敗北は目に見えていますバラバラに戦い、与党候補に議席をプレゼントしてきたわけです。自民公認、公明推薦の候補に対し野党候補が乱立していたら、最初から勝負あり。勝つ気があるのか?と有権者は萎えます」

★過半数を取れないまでも、伯仲国会を実現できれば、常任委員会の委員長ポストをかなり獲得できます。審議拒否により定足数を不足させ委員会を開かせないという戦術も使えますが、いまは交渉すらできない

★「自民党の右派と公明党の政策の方向や支持層は月とすっぽんと言えますが、彼らも政権維持のために『野合』しています。

★冷戦下のイデオロギー対立が過去のものになった現在、与野党間ですら基本政策にさほどの違いはない。共産党も、政権奪取後に日米安全保障条約破棄や自衛隊解消を実現できるなんて思っていません.。

★党の理念である綱領と、政権の座にいる数年に実現を目指すリストである選挙公約は、全く別ものです。それなのに議員も支持者も切り分けができず、あいまいな『政策の不一致』という言葉に振り回され自縄自縛に陥っている。

★リベラル勢力は原理原則に拘泥し硬直化、独善化している。寛容になれ、と不寛容に主張する。政治とは自分の信条の純度を上げてそれを実現することだと信じ、四角四面で潔癖主義のピューリタン化してしまっている。

★「憲法の問題も同じ。改憲に賛成か反対かなどと大雑把に分けられるほど、有権者の意識は単純ではない。9条に限っても、護憲派とされる人たちでも、非武装中立論者から戦力としての自衛隊を容認する人まで、かなりの幅があります。それなのに、憲法を一文字たりとも変えるなと訴える純度の高い人々を実像以上に大きな固定客だと見なし、彼らに背を向けられたら終わりだとおびえている。そのために新たなマーケットを開拓できなくなっています。

 「訴える政策の順番付けが間違っているということです。特に女性若年層の貧困は、放置を許さないレベルです。

★本来ならリベラルとは、公正な社会のために政府の適切な介入を求め、再分配政策も積極的に行う立場です。

★「リベラルも保守も、極端な固定客をつなぎ留めようとしている。その結果、中庸な人々の政治的期待は行き場を失っています。それでも、組織としては自民党のほうがよほど老練で大人です。

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 ドイツ社会の思想の硬直性をを自覚していたのでしょうかゲ-テは絶えずイギリスのことを気にかけていたようです。ゲ-テは観念論や事大主義的教条主義的なドイツ社会の精神的基盤を危惧していたのです。(エッカ-マン「ゲ-テとの対話」(社会思想社 現代教養文庫))

 第一次世界大戦後の大恐慌時にドイツの社会民主党大会でゲルハルト・コルムがイギリスでケインズが公共投資ということを言っていると財政支出の提案をしたとき金融資本論の著者ヒルファ-デングがマルクスの資本論にはそういう理論はないといって反対をしたそうだ。その後、ゲルハルト・コルムはナチスの台頭とともにアメリカに亡命をしたのだが、理論だとか論理の展開の精緻さなどばかりが先立って実証性とか有用性に欠けては何の為の社会科学かと思うのです。

 日本でも長谷川如是閑は大正期の日本がドイツの学問に傾倒したことが日本の進路を間違えさせたといって厳しく批判されましたた。長谷川如是閑の何かの著作で如是閑ががマルクス主義者の大山郁夫を「イズミスト」と揶揄したとかを知りました。こういう一つの立場から複雑な社会事象を独断的に割り切るということは問題だと思うのです。

 youtubeで日本記者クラブで行われた日本とドイツに関するシリ-ズで何人かの学者の講演を聴きました。第二次大戦後のドイツは大きな変革を遂げたようです。ドイツがアメリカ、イギリス、フランス、ソ連の連合国による占領に比較し、日本は連合国とはいってもアメリカ一ケ国だけであり、「アウシュビッツと原爆」の違いとか、その他もろもろの点から「歴史の総括」の点で大きく違ったのかもしれません。

 おまけに日本の社会は飛び抜けたリ-ダ-のいない平均的均質的な層から成り立つていいるのです。おかれた時代の状況が上昇基調の時は「ジャパン、アズ・ナンバ-ワン」ともてはやされましたが、下降基調となると主軸となるリ-ダ-がいないだけ混迷します。

 とりわけ社会の根幹にかかわるような問題となると解決は難しいのです。これはどこの国でも言えるのでしょうが、英米の場合は20世紀ではチャ-チル、ル-ズベルトと傑出した政治指導者が出て切り抜けることができたと思うのです。

 永く「デフレと高失業率」に悩まされ経済が停滞していたイギリスにサッチャ-が登場し「私は女ですから殿方のように後ろを振り返ることはありません」と言って改革に取り組みました。ロンドンの下町の老婆たちですら「こういう時はサッチャ-に任せなければ駄目だと父や母たちが言っていた」と言ったと言うのです。(中西輝政 大英帝国衰亡史)

 何年か前朝日新聞が4月1日府の記事でゴルバチョフ、サッチャ-のお二人を政府の顧問に迎えた報じていました。一瞬驚きましたが、エイプリルプ-ルのジョ-クだったのです。

 サッチャ-は10年近く政権を担ったのですが、その施策は知識僧や教育や芸術関係者から厳しい批判を受けていました。LSEのサ-・ヒックス教授職にあった森嶋先生の批判は厳しいものがありました。現在、サッチャ-は高い評価を受けているようです。

 1997年の総選挙で「第三の道」路線に転換した労働党が大勝を収め、労働党ブレア政権が誕生しました。私は「ブレア時代のイギリス」(山口二郎岩波新書)、「サッチャ-時代のイギリス-その政治経済教育」(森嶋通夫岩波新書)を読んでその政治的な背景を知りました。日本でも早くこういう現実路線をしっかりと学ばなければならないのではないかと痛感しています。

 日本では敗戦後の混乱期に吉田茂首相が登場し未曽有の混乱を乗り切りました。しかし、日本社会では「歴史の大きな総括」が不十分であったことが今日でも時々表面化するように考えています。

 立憲民主党の枝野代表が「自分はリベラルで保守だ」言ったことをネットで知りました。それにしても日本の立憲民主党の政策がどんな党内の議論を経て形成されるのかは知りませんが、選挙になって思い付きのような形で政策が報じられるような印象を受けます。日本には官僚機構が与党の一大シンクタンクのごとき感がありますが、野党には総合的な政策提言にあたるシンクタンクが皆無であるだけ心細さを感じます。ここが日本の政治の一番の悲劇だとさえ思うのです。

 齢八十を超える年寄りが、毎回毎回分不相応なことを書いて忸怩たる思いがあります。名もない平凡な国民が落ち着いて安心して暮らせる国であることを切に願うばかりです。
 
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