追憶の百名山 白山(2010/87)
日本経済の行方を考える2(2021/7/27)
2020年東京五輪・パラリンピックが始まった。新聞は新型コロナ感染者数が、連日千人台と報じていて無観客での開会式となった。開催を巡っての混乱を報じる新聞記事を読んでいてふっと1980年代の英国の首相であったサッチャ-元英国首相のことが思い浮かんだ

 私は新聞、週刊東洋経済誌、故森嶋通夫先生の「サッチャー時代のイギリス――その政治、経済、教育」(岩波新書)を読んだ程度で専門に勉強をしたした訳ではないのですが、森嶋先生はサッチャ-政権に手厳しい批判をしておられた。こういう厳しい批判は森嶋先生に限らずイギリスの知識人や教育関係者の間では一般的で有ったようです。そのサッチャ-元英国首相が、現在、イギリスで評価が高くなっているということを知りました。

 イギリス経済は第2次世界大戦後、ずっと「高い失業率とデフレ」に悩んできました。イギリスはラドクリフ委員会報告もあって「財政の規律」を守り日本のように景気後退のたびごとにむやみやたらと国債を発行することはしませんでした。勿論、歴代の政権が手をこまねいていたわけではないのですが、いずれも中途で腰砕けになっていたのでした。そういう切羽詰まったところに「鉄の女」と評されるサッチャ-女史が登場し「私は女ですから殿方のように後ろを振り返ったりはしません」と云って首相として1980年代のイギリス政治を担ったのです。
 酷評が新聞を賑わしていましたが、そういう政治を支えた国民もいたのです。「大英帝国衰亡史」(中西輝政)を読んだとき、ロンドンの下町の老婆達が「こういう時はサッチャ-に任せなければだめだ」と親たちが言っていた」というエピソ-ドが紹介されていたのが印象的でした。

 翻って日本はどうでしょうか。大正から昭和前期の昭和史を読む限り、幾人かの政治家の名前が思い浮かびますが残念ながら歴史から消えてしまいました。この背景には国民の政治的な成熟度も関係していたと思うのです。とにかくイギリスのチャ-チル、アメリカのル-ズベルトのような傑出した政治指導者が登場することのなくあの不幸な戦争を迎えてしまいました。

 現代の日本はどうでしょうか。日本国民の政治的な成熟度は何も変わらないようです。選挙が近くなって予算の歳出圧力が増大していると新聞の記事は報じています。景気後退が少しでもあると国民は辛抱できないのです。それを支えたのが財政投融資計画でした。

 朝日新聞の社説「政府予算編成 補正の乱用に歯止めを」(2021/7/17)を読みましたが、補正予算の乱発で「財政の規律」はどこに有るのか分からない状態に重大な警告を発していました。とにかく金をばらまいて選挙を乗り越えようという算段ばかりのようです。その結果がどうなろうと知らないという訳です。そういう金をばらまいて一時しのぎをしてきた結果が膨大な国債残高です。どうするつもりなのでしょうか。朝日新聞の社説「財政再建目標 虚構の議論を改めよ」(2021/7/26)を読むと甘い見通しで何とかなるというようなことのようです。いい加減に成長神話を卒業しなければならないのです。

 齢八十となる老人が分不相応な心配をしたところでどうなるわけでもないのですが、少子高齢化を迎える日本が取るべき方策は成長神話を脱して所得が少しくらい下がっても心豊かに安心して暮らせる社会を目指すべきではないかと考えます。

 政治の方策については日本記者クラブのシリ-ズ「官僚と政治」を聴いていてなるほどと思うことがあります。経済の方策については経済学者を始め専門家の意見がなかなか聞こえてきません。私如きがおこがましい次第ですが、現在、漠然と考えていることを書き上げます。
予算の歳出構造の見直し、金融所得課税、所得税率の累進税率アップ、法人税率の引き上げ、法人税特別措置法の見直し、消費税率の引き上げ等々、思い切った政策を検討することが大事ではないかと考えるのです。勝手なことを書きましたが、ご容赦下さい。 
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