追憶の丹沢 シロヤシオとトウゴクミツバツツジ(2005/5/22)

写真集 丹沢の春4

 丹沢の5月下旬はシロヤシオとトウゴクミツバツツジが見事な花を咲かせます。表尾根の木の又小屋の前からキュハ沢に延びる支尾根、丹沢三峯の人影のない稜線等で観たシロヤシオとトウゴクミツバツツジはいまでも目を瞑れば鮮やかに思い出します。丹沢山から宮ケ瀬までの11キロの長丁場をお付き合いください。

リベラルで保守 日本の行方を考える(2021/5/22)
 
 このHPに度々書いていますように私は暇つぶしもあって熱心にYOUTUBEを視聴しています。視聴しているジャンルは様々ですが、その中でも日本記者クラブでの各界有識者の講演はとても有益です。来るべき都議選、衆議院選を控えていますので、少し時間が経ったものですが有益な講演をご紹介します。

☆中島岳志東工大教授「2019年参院戦後の日本 民意を読む」(2019.8.1)

 新進気鋭の政治学者中島教授は左翼だ、右翼だという従前の基準とは別に平面上に「価値とリスクのマトリックス」を設定し、Y軸を「リスク」として、上に「リスクの社会化」(セイフテ-・ネット)、下に「リスクの個人化」(自己責任)として対比させます。次にX軸を「価値の問題」として、左にリベラル、右にパタ-ナルと対比させます。そうすると第1象限、第Ⅱ象限、第Ⅲ象限、第Ⅳ象限という四つの平面が出来上がります。この道具立てで田中内閣から安倍内閣までの歴代の自民党政権下の政治家達がどの象限に位置するかを考察します。その結論として、第Ⅰ象限に位置した田中内閣から始まって第Ⅱ象限、第Ⅲ象限、現在は第Ⅳ象限に位置する安倍内閣へと1回転したと結論づけるのです。

☆リベラルに保守を対比させることは間違いであり、リベラルにはパタ-ナルを対比させるべきだと云うのです。リベラルという概念は「30年戦争」の結果として生成しました。ルタ-没後100年後の1618年ドイツで起きたカトリックとプロテスタント(主にカルバン派)の対立から全ヨ-ロッパを巻き込んだ戦争(「30年戦争」といわれます。)が起きました。この戦争は1648年ウエスト・フア-レン条約の締結で終結しましたが、30年にわたる永い戦いに辟易したヨ-ロッパの人達は思想、信条や宗教の相克に基因する争いは暴力では解決出来ないと云うことを知ったのです。ここから「寛容の思想」が生まれたのです。全体主義だとか共産主義に真っ向から対立するのがリベラルの思想なのです。リベラルを左翼と解することが全くの誤りであることがおわかり頂けたと思うのです。こういうリベラルという考えが日本においても特別なものではないことは言うまでもないことです。

 夏目漱石が1914年に学習院で行った講演「私の個人主義」がここでリベラルと云われている概念と一致するのです。また「独立自尊」を標榜した福沢諭吉はリベラル派を代表する思想家ではなかったかと考えるのです。

☆保守という思想はイギリスの思想家エドモンド・バ-クが、フランス革命について書いた「フランス革命についての一省察」から生まれたのです。バ-クはフランス革命を進めている人達の人間観がおかしいと難じたのです。人間は決して無誤謬ではありえないないと云うのです。どんなに知能が優れていると思われる人間でも、絶対に間違えないと云うことはないのです。だからこそ他人の意見も聞かなければならないし、漸進的に物事を進めなければならないということなのです。

 笠信太郎(元朝日新聞論説主幹)が「ものの見方考え方」でド-バ-海峡を隔てたフランスで進行している革命の成り行きを冷静、客観的に観察しているイギリス人の思想を「歩きながら考える」というイギリス流の思想と述べています。イギリスでは「微調整」をしながら一歩づつ漸進的に確実に社会を変革して行ったのです。これこそが保守の思想なのです。

☆大きな政府か否かは次の三つの指標で判定されると言われています。
①租税負担率
②歳出のGDP比
③国民1000人当たりの公務員数  です。

 この講演を聴いて驚いたのは③の指標です。スエ-デン等の北欧諸国が100、フランスが80、イギリスとアメリカ70、ドイツ50、日本30と世界でも最低順位に位置しているという指摘は意外でした。何故こんなことになったかは政治学や経済学の観点から深く考えなければならないのです。後日に取り上げたいものと考えています。

 中島教授が講演で枝野立憲民主党党首が「我々は「リベラルで保守」だ」と述べたと紹介をしていましたが、保守ということが微調整の思想であれば残念なことがありました。石原信雄元官房副長官が日本記者クラブでの講演で話されていましたが鳩山内閣発足時に事務次官会議を即廃止してしまったことでっした。これが民主党政権の混迷の始まりだったのです。消費税の3%から5%への引き上げ、実施したのがたのが野田内閣だとしても2年前に合意を取り付けた村山元首相のように成熟した政治判断を取らなければならないのです。

 野党を「タクシ-に乗って行き先を告げない乗客」みたいと中島教授は述べています。いきなり大きな政策を打ち出すことことなど出来るはずがありません。片山善博元総務相が日本記者クラブでの講演「公文書管理を考える」でで指摘されていた幾つかの点は野党の皆さんによく考えて頂かなければならないのです。こういうことを着実にこなすことで国民の信頼を得ることができるのです。また中島教授の指摘にあるように選挙での基礎票は自民3、野党2、浮動層5で小泉元首相は自民3の一部を捨てても浮動層の5に照準を合わせたといいいます。安倍前首相は選挙の争点を曖昧にすることで投票率を下げることで浮動層5の比率を下げ自民3で選挙に臨んだということです。こうい政治の技術も野党は学ばなければないと思うのです。私は与野党が競い合い適度なタイミングで政権を交代することが政治に必要だと考えます。

 そこで私の具体的な政策提言となります。私は多少ですが経済学や昭和史を学んだ者として憲法九条の改正には一言いわずにはおられないのです。
1.内閣官房機密費の支出明細を30年後には公開する。

「内閣官房機密費は、領収書を必要とせず、官房長官の判断で支出できるブラックボックスのお金だ。赤旗が情報公開で手に入れた文書によると、菅義偉首相が官房長官在任中の2822日間に支出した総額は86億8000万円に上る。. これは1日当たり平均307万円を使い続けていたという途方もない額だ。. 政府には一定程度、機密性が高いお金は必要だと思うが、全くチェックされずにこの金額が支出されているというのは許されない。」(NETからの引用)
 片山氏が民主党政権で総務相を務めていた折、内閣官房機密費について直ちに内容を公開することは出来ないだろうが、30年後に情報公開をするようにしてはどうかと提案したが聞き入れられなかったということでした。自分たちが政権についたのだから今度は自分たちが使う番だという理屈なのでしょう。

2.議員の口利きなどは情報公開を通して行政の透明化を図る。
 議員の口利きを情報公開することで行政の透明性を確保した鳥取県知事時代の政治経験を語られていました。公益に資するような口利きであるならばともかく公営住宅の入居だ、公務員への就職の斡旋等々諸々の頼み事を如何に処理するかが国、地方議員や議員秘書の仕事であることは広く知られていますが、森友学園や加計学園問題に至っては一国の首相が自ら、あまつさえその夫人までもが関わり、ことが明るみになると「自分は知らない、役人が勝手にやったこと」などいうに至っては論外だと思います。

3.憲法九条の改正反対を価値の面(「平和を希求する」等)からではなく経済の面から国民に訴える。
 憲法9条の改正反対をを経済の面から考えるべきだと云うのは改正をした場合これまで以上に増大すると予想される膨大な防衛費の負担に国民が耐えられるかどうかなのです。自衛隊が実質的に軍隊であることは間違いないことです。経済的な側面、歴史的な側面を考えるならば改正することはないと考えるのです。法制上の大きな歯止めが必要だと考えるのです。自民党の保守本流と云われた政治家達が考えていたのはこういう実利ではなっかtのではないでしょうか。さらにもっと重大なのは軍人出身のアイゼンハワ-米国大統領が退任演説で米国民に「産軍複合体」の脅威を警告したことです。もしもこういう産軍複合体が日本経済にビルトインされたらと想像するだけ恐ろしくなります。

 講演の最後の質疑応答で安倍前首相が保守派などとでは全くないということであり、あれほど中国を嫌悪していたのだが一番中国共産党に近いのが安倍首相ではなかったかと皮肉られたのが印象的でした。
 菅首相の政治手法が官僚の人事権を握り、内閣官房機密費を使って官僚・政治家・マスコミを忖度させるようなことがあれば私は日本の政治の悲劇だと思うのです。とにかく菅首相が保守本流の政治家などとは到底考えられないのです。

 ここからは蛇足となりますが、私の人生の最期に書き残したい二つのことを付け加えさせ頂きます。

☆安倍前首相が尊敬しているという祖父の岸信介元首相のことですがこういう機会ですから岸信介元首相のことで私の知っていることを書き残しておきます。
  昭和43年だと記憶していますが、安保の騒動が収まりNHKラジオで岸前首相の政治回顧のような番組がありました。その中でインタビュ-ア-のどんな人が首相にふさわしいかという問いに「晋太郎や六助などではなく大きい新聞社で国政全般を観てきた人物」と答えられたことが印象に残っています。私はこの放送を聴いたとき緒方竹虎(元朝日新聞社社長)のことをすぐ思い浮かべました。晋太郎とは娘婿の安倍晋太郎(元毎日新聞政治部記者、六助とは田中六助(元日経新聞政治部記者)のことです。

☆このリベラルということでは私の個人的な思いもあります。私が高校を卒業した1959年当時学校教育に道徳教育という科目を導入するという議論が巻き起こっていました。私は高校卒業後、店番をしながら小説や「文芸春秋」等雑多な読書に耽っていました。学校で弁論大会があることを弟(高校同窓です)から聞いて二人で議論をしました。私が「道徳教育に反対する」という一文を書いて弟が弁論大会で論じたのです。

 私は審査に当たる社会科の先生方、世界史担当の夏目先生(大学で1,2年次のゼミの指導教授藤塚知義先生から雪谷には夏目先生がおられますね。先生は旧制武蔵高校の卒業生ですとお聞きしたとき何故か嬉しかったことを覚えています。)、日本史担当の児玉先生、一般社会担当の原口先生(「政治学入門」という著書がありました)を何となく意識していたのです。私の読みが当って弟はⅠ等何席かとなりました。

 齢八十の年寄りが暇をもてあまし1ヶ月近く掛かって書き上げました。あまつさえ自分は「リベラルで保守」なのだと他愛のない自己PRの話も書きました。老化防止に最良の効果があると信じています。ご容赦願います。
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