追憶の丹沢 表尾根で出会った鹿 (2006/2/12)

丹沢冬景色
 丹沢は冬がベストシ-ズンだと思います。雪はそれほどでもありませんし、山襞に雪が入り、景色が一変します。富士山が稜線のいたるところで見れます。

日本経済の行方を考える(2021/4/24)
 
 私はフイルムの時、カメラはキャノンEOS、コンタックスG1を使っていましたが、デジカメが登場してからリコ-、ミノルタと買い替え、最終的には交換レンズを幾本か所有していますのでキャノンEOS5DMarkⅢ、EOS Rを使っています。デジタルになってから写真は1998年から2021年の現在までHDに保存しています。

 暇な身になってホ-ムペ-ジの写真欄の整備に取りかかっていますが、「2010_11_27」のフォルダ-を見ていて新島襄、山本覚馬の墓所の写真に当たりました。

  新島 襄 山本覚馬 両先達の墓所

 京都には何回か行っています。このうち2回ほど若王子神社の横からイノシシ除けの柵を開けて山道を辿り新島襄、山本覚馬の墓所を訪ねたことがあります。2度目の時(2010/11/27)、墓所はずいぶん整備されていました。正面に新島襄の墓、左手に少し小さめの山本覚馬の墓があります。

 その後、この墓所を訪ねたことを高校時代の友人に話ました。彼は同志社出身です。彼からこの墓碑銘の題字が勝海舟の筆になり、新島の島の字の横棒が欠けているということを教わりました。2回ほどこの墓所を訪ねているのですがこのことには気がつきませんでした。新島蘘のことは大概の皆さんがご承知のこと思いますが、山本覚馬のことを知る人は少ないと思いますのでご紹介します。

 私は経済学部の学生の頃、3、4年次のゼミの指導教授山口正吾先生の論説が紹介されているということで「戦後日本のインフレーション」(都留重人著)を読みました。都留先生によれば日本の近代経済史上、デフレ政策は3回行われたというのです。明治期の松方正義による日露戦争後の財政改革、昭和初期の井上準之助による金解禁に伴う緊縮財政、大平洋戦争後のドッジラインの3回だというのです。いずれも大変な痛みを伴う政策で井上準之助は凶弾に倒れ、ドッジラインは朝鮮戦争の勃発で中途で終わりました。デフレ政策が遂行されたのは明治期の松方正義による財政政策だけということになります。

 明治政府は日露戦争の戦費をまかなうため膨大な国債を発行しましたが、戦後、松方正義は大蔵大臣として財政改革(デフレ政策)を行いました。松方はこの改革案を持って京都に住んでいたかねてからの知己の山本覚馬(元会津藩士。「禁門の変」で薩摩藩に捕らわれ、京都の薩摩藩邸に保護されていたことがありました。硝煙で盲目になりましたが、京都の地方政界でで活躍し、同志社の設立等で尽力しました。この人の妹八重が新島襄夫人です。)を訪ねて意見を徴しました。「この通りやれば改革は出来るが、おぬしの命はないぞ」と山本が言ったところ、「もとより国家に捧げた命、覚悟の上」と松方が答えたというのです。

 コロナ禍対策を始め様々な要因が挙げられますが、2020年度の国債発行額は前年に比して3倍の約90兆円となりました。また2021年度の予算規模は100兆円超となりました。国債残高は遠からず数年後には1000兆円になるものと予想されます。これらのことは日本経済に大きな影響を与えるものと考えられますが、今日の日本で明治期の松方財政のごとく税収を引き上げて国債残高を減じたり、予算を縮小するというデフレ政策を取ることは不可能だと思われます。

 現代貨幣理論の提唱者のステファニー・ケルトン教授は政府債務が内国債であればなんら問題はないと言いますが、はたしてそうだろうかと疑問に感じています。

 3/30付朝日新聞のインタビュ-で黑田日銀総裁は「金融緩和、物価2%アップの目標は堅持」と語っていました。これらの政策は安倍政権時アベノミックスとはやされ経済を成長させることで問題を解決するものと理解されていました。しかし、残念ながら経済の下支え効果は認められましたが何らの根本的な解決の目処は立たないようです。

 私はアベノミックスを行きはよいよい、帰りは恐いインフレに誘導するだけの政策であり、実質的に経済を成長させることは無理な政策と理解しているのです。インフレは国家の債務を実質的に低下させますが、制御に失敗したら国民経済に与える影響は想像を絶します。ここのところ日本経済の将来がどうなるのだろうかと「東洋経済誌4/10号」の特集「マルクスvsケインズ」、4/14付朝日新聞「金利よさようなら」に掲載されている野口悠紀雄一橋大学名誉教授の談話、東洋経済誌4/24号に掲載されている「日銀緩和の正常化「取りあえずの着地点」(早川英男元日銀理事)、「米国でインフレの加速は起こるのか」(森田長太郎SMBC日興証券)等を読んでいます。読むとこの後の日本経済がどんな方向に向かうのか予測がつかないようです。もっともっと勉強しなければならないようです。取りあえずここまでとします。

 当初、この新島の島の横棒がかけていることから「コンピュ-タ-と漢字」のことを書こうと考えていましたが、年度末で国債発行額の膨張などの記事を読んでいて「青年の血」が騒ぎだし、この一文を書き出したのです。
学生の頃、都留重人先生の何かの著書を読んでいた折、「商学や法学を学ぶことは役に立つが経済学を学んでも何にも役には立たない。それでも経済学を学ぶことは大事だ」と書いておられました。またまた「青年の血」が騒いで分不相応なことを書いてしまいました。齢八十となる年寄りの暇つぶしです。ご容赦願います。
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