追憶の北アルプス(2001/7/19〜23)
薬師岳縦走
太郎平小屋から五色ケ原山荘までの長い行程
ガスにまかれ岩場の花に心を躍らせました
YOUTUBEでテレビドラマ「蔵」を観る(2021/3/20)
 
 youtubeでテレビドラマ「蔵」を見ました。テレビドラマ「藏」は 1995/6/4 - 7/9にNHK衛星第2で放映されたもので原作は宮尾登美子の長編小説「蔵」をテレビドラマ化したものです。

 あらすじ
「 大正 - 昭和初期、越後の銘酒『冬麗』の蔵元・田乃内家を舞台に、跡取り娘の盲目の美少女・烈を軸に苛酷な運命を生きる家族の愛憎と絆を描いたものです」

 田乃内家は小作人150人を抱える大地主です。こういう大地主は酒田の本間家を筆頭に全国に大勢いました。私はこのドラマを見ていて大学で日本経済史を受講した折の「明治維新」についての塙遼一教授の講義を思い出しました。

 明治維新までの日本の主なる産業は農業でした。経済成長率ゼロの停滞社会でした。そういう農業が主力の社会でいったん凶作に見舞われると農民は困窮しました。大多数の農民は自家生産できない生活必需品は町場の商店から節季払いで購入していました。従って一旦凶作となると支払いが出来なくなるのです。とどのつまり農地の所有権が財力のある農家や商人に移るという図式です。小作農形態はこうして凶作のたびごとに拡大してゆきました。当然税収が上がらないのですから支配層の武士階級も俸禄の借り上げが常態化して行きました。

 低成長下で経済が停滞する一方、商業資本、金融資本が確実に拡大をしてきます。封建制度下の江戸期末期は幕府はもとよりどの藩でも財政改革が大きな政治のテ-マでした。

 財政改革にかかわった経世家として小田原藩の二宮尊徳、松代藩の恩田木工等の名前が思い浮かびます。

 二宮尊徳はかっては小学校の校庭の隅に柴を背負って歩きながら書を読む二宮金次郎像がありましたので年配の方はご存知の方が多いと思います。
 二宮尊徳の仕法(現代風に言えば経営改善の手法)は専ら「出の面」に限られますが、尊徳はのちには「入の面」、栃木領の新田の開発にも力をいれます。どうしても大きな限界がありました。

 恩田木工はイザヤ・ベンダサンこと山本七平の何かの著作を読んだおり知りました。そこで信州松代藩の家老恩田木工民親の事跡を書いた「日暮硯」(岩波文庫)を読んだのです。

 その恩田木工の政治姿勢には大きな感動を覚えました。封建制度そのものに手を付けることは到底不可能なことですが、自ら範を示すことで家臣のモチベ−ションに働きかけるといったことですが、紹介されているエピソ-ドには現代でも通じることがあり心打たれました。

 農業を中核とした定常経済社会(経済成長率ゼロの社会)ではその制度的な大きな枠組みは変えられないないのですから改革とは言ってもどうしても限界はあります。

 ただそうは言っても上に立つ人間の姿勢が大きな影響力を持つのは当たり前のことです。私はかって丹沢の山道で繰り返し繰り返し聴いた太平記(新潮社朗読CD版)の冒頭の一節を思い出すのです。

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「太平記」(太平記巻第一序)に「蒙窃採古今之変化、察安危之来由、覆而無外天之徳也。明君体之保国家。載而無棄地之道也。良臣則之守社稷。若夫其徳欠則雖有位不持。.....
(もうひそかに古今の変化をとって安危之来由を察するにお覆ってほかなきは天之徳なり。明君これを体して国家を保つ。のせて棄てるなきは地之道なり。良臣これにより社稷を守る。もしその徳欠くば位ありといえども持たず。....)
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 これが日本の政治思想の核心であり、統治の根源なのです。ただこういう思想だけでは小さな改革は出来ても根本的な改革はできないのです。マルクス主義的な偏りがあるかもしれませんがこの根底には政治と経済があるのです。政治と経済が密接に結びついた根本的な基盤、江戸期でいえば封建制度、そのものに手を付けなければ解決できないのです。

 すべてが行き詰まる中で内なる矛盾の頂点で外からの圧力に押されて、幕藩体制の崩壊、「明治維新」となり近代社会への第一歩を踏み出したのです。司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んだ折、心が躍る思いがしました。殖産興業の旗印の下、先人達は懸命な努力を重ねましたが、一朝一夕にできる話ではありませんでした。長い時間がかかります。

 とりわけ農業部門の小作農形態の解消には政治的な抵抗も大きく、また他の産業部門の発展が必要であり内部矛盾を抱えたまま太平洋戦争の終結まで改革が出来なかったのです。これが大正から昭和初期にかけての小作争議の根本原因なのです。日本社会の底流に大きな重しとして存在したのです。大学で日本経済史を受講した折、塙教授は講座派の立場から「明治維新」を土地所有形態から「半封建的」と位置付けました。太平洋戦争敗戦後、占領軍GHQの下で「農地改革」が成就したのです。明治維新を農業経済の視点で見れば明治維新は「半封建的」ということになるのです。ただこの農地改革が占領軍の下での政治的な圧力だけで成し遂げられたのではありません。底流には内なる改革を押し上げる下からの圧力がありました。残念ながら最終段階で外からの後押しが必要だったことです。

 ある日突如として改革が出来るわけでもないと思うのです。一つずつの積み重ねが大事なのだ考えるのです。笠信太郎の「物の見方考え方」を読んで以来、私は「歩きながら考える」ということをいつも思い出すのです。

 ジェラルド・カ−テス教授のいう「勝ち馬に乗る」という日本人の悪しき国民性を矯めて主体的に考え行動するという政治的成熟さが何よりも求められるのではないかと考えるのです。日本国民がこの一点に思い致さなければ進歩はないと思うのです。

 齢八十となる年寄りがこんなことを書いてもどうなう話でもありませんが私の生きた証として書き残します。

※1「日暮硯」(岩波文庫)は現在絶版です。pdfにしましたのでクリックしてお読みください。

※2「太平記」は大部で読み切れませんが、さわりだけになりますが新潮社から朗読CD版が出ています。著作権の関係でここにリンクすることは差し控えます。お買い求め頂いてお聴き下さい。

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