追憶の北アルプス(1996/7/20)
燕岳・大天井岳・常念岳・蝶が岳縦走
  岳から大天井岳へ向かう稜線て歩いてきた道を振り返って撮りました 写真の女性は長野県飯田の方で燕岳燕山荘で1か月アルバイトをする大学生のお嬢さんを残して帰宅するということでした
経営学を学ぶ(2021/2/20)
 
 私は経済学部を卒業しましたが大学で経営学に関連する科目は受講していません。当時、大変な人気を博していたドラッカーの名前は知ってはいましたが読んだことはありませんでした。

 会計事務所に勤めてから試験のこともあって初めて桜井信行編「現代経営学入門」(有斐閣)を読みました。この書は「経営」という概念を動態的な機能として理解して、「経営をする」という機能が「PLAN・DO・SEE」という過程から成り立っているという立場から理論を展開します。いわゆる「経営過程論」の立場からの経営学の入門書でした。新しい学問を学ぶのはとても新鮮で面白かったので同じ桜井信行著「現代経営学」(東洋経済社)、クーンツ=オドンネル著(大坪訳)「経営管理の諸原則](ダイヤモンド社)を読みましたがこれらはいずれも経営過程論の立場に立つものでした。

 桜井信行「現代経営学」では企業における意思決定の問題にも論究じていてこれまでドイツの経営経済学を通して感じていた経営学に対する見方が一変した感じがしました。

 経営学の学問分野としては生産販売財務労務等々細分化された分野があるのですが、これらの分野の上位に経営体という多面的で複雑な組織体での非日常的非定型的な分野での「選択と決断」をしなければならない重要な機能があるのです。この機能を担うのが経営者と云うことになります。

 私はこの経営体での複雑で多面的非日常的非定型的な分野の意思決定の過程に関心があるのです。

 私の勤めている会計事務所が主なクライアントとしている中小企業では税金の問題は勿論大きいのですがそれだけに限られないのです。税金の問題にとどまらず経営全般にわたる雑多な分野での経営者の相談相手、ブレ−ンとしての役割が非常に大きいのです。経営者が規模の大小にかかわらず「選択と決断」をしなければならないのは企業が存在する限り避けることの出来ない役割なのです。

 桜井先生の前掲書を読んでとても興味をそそられたのが意思決定論でした。そういう意味でドイツの経営経済学は経営を静態的な側面から把握して考えているので私には関心が薄いのです。私自身が人員で云えば30名止まりの規模で専門知識を提供する会計事務所にしか勤めたことがないのですから組織論的な面などには体験が少なく、もともとそういう組織に所属することが嫌いなのです。個人的には会計事務所等では一般的な形態での部だ課だという垂直型の組織形態は向かないと考えています。

 経営体の非日常的非定型的な分野での「選択と決断」という機能を担う人材を如何にして養成するかです。組織体が大きければ大きいほどこの側面での人材の重要性はないがしろには出来ないのです。

 ご承知のようにアメリカの大学は幅の広い基礎的な教養教育が目的であり、専門的な教育は大学院やロ−・スク−ル、ビジネス・スク−ル、メデイカル・スク−ルが受け持っています。経営を担う経営者を養成するのがビジネス・スク−ルなのです。

 その数あるビジネス・スク−ルのなかでも有名なのがハ−バ−ド・ビジネス・スク−ルです。日本では内部から時間うぃかけて経験を積ませて昇進させて経営者を育てるという途をとっていますので、土屋守章著「ハ−バ−ド・ビジネス・スク−ル にて」(中公新書)が出版されたときは興味津々で読みました。

☆企業において生起した様々な事例を題材にして討論を行い問題点を見つけ出し解決案を考えるというケ−ス・メソッド教育です。
 いわば「企業における問題解決の専門家」を養成するわけですが、こういう教育を受けた能力はあっても人生経験には未熟な人達が第一線にでて行動をした場合には俗に言う「寝た子を起こす」ということもあり、問題解決どころか会社を潰してしまうと云う笑い話もあるというのです。

☆桜井先生の前掲書を読んだ折、サイモンの「意思決定論」を読みましたが難解で中途で投げ出したことがありました。この「ハ−バ−ドビジネススク−ルに」を読んで安心しました。というのもサイモンの意思決定論等の著作はアメリカの経営学者でも部分的な引用や参照にとどまっているという下りではほっとしたのです。

 意思決定に於ける過程では考えついた事柄を整理する手法としてこれらを紙上に書き出して問題解決の手掛かりにすることが大事です。川喜田二郎「発想法」「続発想法」(中公新書)がとても役に立ちます。

 その後試験も止めてしまったので経営学の学問的な本は手にしたことはありません。現実に職員数も30人以内で関係する仕事先の規模も大きくなれば関与する仕事も税金や会計と云った本来の業務に限られることになります。そうなると経営学書で言う組織論など読んでも何ら実感はわかないし、所詮無理というものと思ったのです。

 ただ事務所の職員数も10人を超えると報酬の管理を始め経営上の雑多な問題が山積して来ました。片手間では閧ノあわなくなったのです。見かねた原先輩から仕事は僕が引き受けるから事務所の経営管理に専念して欲しいと云われました。本来の仕事から離れることはジレンマがありましたが事務所の経営管理に専念することになりました。

 私一人が独断で全てを決定したのではありません。1968年に計理学校の紹介で古い歴史のある事務所に就職が出来たのですが計理学校同窓の縁で原先輩の下に配属をされたのです。それ以来一緒に仕事をしてきたのです。最初から二人三脚のような形で仕事をしてきたのです。ただ人員が増えて私が主として事務所の全般管理の窓口を担当することになったというわけです。

 そういう雑多な仕事の合間にコンピュ−タ−にも取り組みましたし、週刊東洋経済誌を始め雑多な経営に関する書(学問書ではありません)を読みました。私は経営上で生じた問題は、適宜、川喜田二郎先生のKJ法を多用して原先輩と協議をしました。先輩は寡黙な人でよく耳を傾けてくれました。判断も的確でした。まさに将に将たるにふさわしい人でした。私はこういう先輩と50年近く仕事をしてしてきたことが誇りです。齢八十となると過ぎ去った日のことを思い出してはこういう一文を書いて時間つぶしをしています。

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