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 最近、ネットの東洋経済オンラインで小西美術工芸社社長デービッド・アトキンソン氏(David Atkinson)(1965/5/10生)へのインタビュ-記事を読みました。

 氏がインタビュ−でオックスフォ−ド大学の入学者選考基準が単純な成績順ではなくクリテイカル・スイキング(物事を深く考える力とでもいう意味であろうか)を有するかどうかだと語っていました。ふっと、昔、読んだLSEでサ−・ヒックス教授職を務めた故森嶋通夫先生の著書「イギリスと日本−−その教育と経済」(岩波新書)、「学校・学歴・人生−−私の教育提言」(岩波ジュニア新書)に書かれていたイギリスと日本の教育の対比が頭に浮かんだのです。

 戦前の日本の教育制度は複線コ-ス制、6・5・3・3制を取っていましたが、一部の教育分野では早くら狭い分野に偏りがちで、視野に欠ける等の弊害があったと云われています。このため戦後はアメリカにならって単線コ-ス制、6・3・3・4制に大変革を行いました。しかし、故森嶋先生は前記の著書でこの戦後の日本の教育でとりわけ高等教育(大学大学院)をイギリスと比較して厳しい批判の目をむけているですが、デービッド・アトキンソン氏も同じくクリテイカル・スインキングという観点から日本の高等教育の問題点を指摘しています。こういう指摘はお二人に限らず東洋経済オンラインでしばしば散見されます。

 東洋経済オンラインで氏の政策提言記事を読みましたのでこの機会にとネットで氏のことを検索してみました。

「オックスフォード大学で日本学を学び、アンダーセン・コンサルティング、ソロモン・ブラザーズを経て、ゴールドマン・サックスでアナリストとして日本の銀行が抱える20兆円にも上る不良債権を指摘。ほどなくバブルがはじけて不良債権問題が顕在化し、「伝説的金融アナリスト」としてその名を高める。2006年にパートナーに昇任した後、2007年に「マネーゲームを達観するに至って」退社した。
 アナリストを引退して茶道に打ち込む時期を経て、所有する別荘の隣家が日本の国宝や重要文化財などを補修している小西美術工藝社社長の家だった縁で経営に誘われて2009年に同社に入社し、2010年5月に会長就任。2011年4月に社長兼務となって、高齢・高給職人に対する賃金カットと若年職人に対する正規雇用化と体系的な教育の導入などの経営の近代化と建て直しにあたった。」(要約)

 この経営立て直しのくだりを読んだとき、カルロス・ゴ-ンのことが思い浮かびました。日産自動車の当時の塙会長の要請で社長に就任し、経営の立て直しに辣腕をふるったのだのですがその後がいけなかったのです。多くの方がご存じのことでここに書くまでもないでしょう。なにがカルロス・ゴ−ンとデービッド・アトキンソンのその後の途を分けたのでしょうか。教養、知性、人生観等々ここのところがとても興味があります。

 日本の社会は平均的な人間で構成される社会であり特別のことでもない限り普通にワ−キングしている社会なのです。企業は構成員への根回し等を通して暗黙の合意を得て運営されているのです。成長をしているときは何ら問題はないのですが成長が止まり、何か問題が山積してくるとニッチモもサッチモ行かなくなるのです。この危機を打開するには同質であるだけにしがらみに縛られて仲間内の経営陣ではどうにもならないのです。そこで外部から人材を招聘せざるを得ないと云うことになるのです。もっともこれは洋の東西、時代を問わないのかもしれません。

 ところが企業経営とは異なり、政治となるとことは簡単ではないのです。昭和史をを読んでいて一番残念に感じることは昭和前期の日本はここ一番という大事な時に望ましい政治指導者を見いだすことが出来ずにあの悲劇、太平洋戦争を招いたのです。政治、経済、軍事のみならず底辺を成していた国民一般の教育水準をも含めた広い範囲にわたる背景を学ぶことが大事ではないかと考えるのです。

 正確な年は失念しましたがバブル崩壊のとき朝日新聞で日本政府がサッチャ−元英国首相とゴルバチョフ元ソ連大統領を日本政府顧問に迎えたとの記事を読んだときあっと思いました。ただこれは4/1付の朝刊でエイプリルフ-ルのジョ−クだったのです。

 日本社会の特徴は故中根千枝教授が指摘した「タテ社会の人間関係」が中心となる社会であり、長谷川如是閑が日本社会の利点としてあげた職人型社会が非常時には速やかに対応できないのです。平時の定常的な時であれば何等問題なくワ−キングするのでしょうが、とにかく非常時には間に合わないのです。

 小子・高齢化を始め膨大な財政赤字等の難問をを抱えている日本は何年か後には大なる危機がくるのではないかと考えるのです。故森嶋先生はかって小宮隆太郎先生との数回にわたる論争で日本の若い層の知的水準などから考えて日本の将来にとても悲観的な見方をしておられました。そうかと云ってどうにもならないと達観するわけには行かないのです。来るべき次の困難な時代を見据えた方策を考えていて貰わなければならないです。そういう人材が出てきてもらわなければ国が滅びるのです。

 サツチャ−首相の政策や政治手法には批判が沢山ありました。故森嶋先生などは著書「サッチャー時代のイギリス――その政治、経済、教育」(岩波新書)で手厳しい批判をしていました。それでも改革は避けるわけにはゆかなっかたのです。これまた引用ですが中西輝政先生の著書「大英帝国衰亡史」(PHP研究所)を読んでいたとき胸を打たれた箇所がありました。ロンドンの下町で老婆達が「ここはサツチヤ−に任せなければいけない。親達が任せるときには任せなければいけない」と云っていたというエピソ−ドが紹介されていました。 
 
 私の独断と偏見かもしれませんが、日本の国民性のもっとも好ましからざる側面である「目先の損得には敏感」で「勝ち馬に乗る」(ジェラルド・カ−テス教授)という一面を考えると何とも言えない気分となります。普通の平凡な生活をしている日本人にこういうロンドンの下町の老婆達と同じことを云える人間がどれだけいるでしょうか、心もとない気がします。

 私のような八十にもなる市井の年寄りが、心配してもどうなる話ではないのですが、これまでに読んだ本をあれこれと思い出しながら私の生きた証として、また呆け防止を兼ねて書いています。引き続き本年も宜しくお願いいたします。

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