追憶の百名山 石槌山(2009/9/20)

コロナ禍後の日本を考える(2020/9/1)


  YOUTUBEに日本記者クラブで行われた有益な講演が幾つも載っています。先にノンフィクション作家保阪正康氏の講演を紹介しましたが、ここで紹介する石田教授の講演は4年前行われたものですが、現下の日本のおかれた状況から見てとても有益な講演だと考えます。下記をクリックしてお聴き下さい。

「ヒットラ−とは何者だったのか」()2016/12/9
石田勇治(東京大学大学院教授

https://www.youtube.com/watch?v=Mg5MlCZ-M6M

 ヒットラ−が第一次大戦後のドイツ社会でいかにして誕生したかの社会状況・政治状況を語った講演です。講演はもとより講演後の質疑応答も聴き手が報道各社の現役・OBの記者であるだけにとても充実しています。

 1933年1月ヒンデンブルク大統領の指名でヒットラ−が組閣するのですが、ナチ党員は首相のヒットラ−とゲ−リング、フリックの3名で残る閣員の8名は保守派の領袖です。1929年の大恐慌から続く不況で共産党勢力の伸張が著しいためにこれに対する保守派の危機感か背景にあってのヒットラ−の登場です。これ以降1945年の破局までの12年間に何回か選挙がありますが、ナチ党が過半数を取ったことはありません。政権維持を可能にしたものはワイマ−ル共和国憲法第48条第2項(緊急事態条項)です。事実はつまびらかではありませんが共産党員によるという国会議事堂炎上事件を契機として緊急事態令という超法規的に民意を押さえ強権的な政治が行われたからです。ヒンデンブルク大統領が亡くなった後ヒットラ−が大統領と首相を兼ねた総統の地位に就くのですが憲法の改正はありませんでした。

 2013/7に自民党の麻生財務相が「あの手口を真似たらいい」と発言して非難の声を巻き起こしました。自民党憲法改正草案の第98条第99条が、ワイマ−ル共和国憲法第48条と如何に似通っていることか深く考えなければなりません。

 石田教授は最後の結びで「市民的勇気を持って」と話されました。この講演はとても有益です。広く皆様にお聴き頂きたいと考えます。

 私は高校生の時「毀れ瓶」という新劇の芝居を観ました。ドイツの田舎の村で村の世話役に過ぎない人物とその妻を村人達は顧問官、顧問官夫人と呼ぶという事大主義に支配されたドイツ社会の後進性を揶揄するという風刺劇です。この芝居の細部は忘れましたがこの顧問官、顧問官夫人というセリフだけは私の脳裏に残っています。
 マックス・ウエ−バ−が一番憂慮していたのがこのドイツ社会の後進性だったのです。エッカ−マンの「ゲ−テとの対話」(社会思想社現代教養文庫)でもゲ−テが絶えずアングロサクソン社会がドイツをどう見ているかと気に掛けていたことが記されています。

 明治維新後の日本は不幸なことにこのドイツにお手本を取りました。その政治や文化の影響が一番強くなったのが大正、昭和(戦前)なのです。1945年の太平洋戦争敗戦後は一転してアメリカにお手本を取ります。

 日本は鎖国が永く、封建制の下「士農工商」という身分社会であったためか、日本社会の精神的な基盤は長谷川如是閑がいう「職人文化が支える社会「であり、実利に聡く(人類一般の普遍的なものかもしれませんが)、「勝ち馬に乗る」(アメリカの政治学者ジェラルド・カ−テイス)というのが日本人の国民性です。こういう国民性からか日本人は一般に早くから「専門」志向とでも言うべき意識が強く、いわば「職人的文化が支える社会」「と言えるかもしれません。こういう社会が抱える問題を文化人類学者の中根千枝が「タテ社会の人間関係」で指摘しています。

 「内外国策私見」(未公刊)を書いた高橋是清や福沢諭吉のような実学実証的なアングロサクソン流の思考(プアラグマテイズム)がなかなか日本社会に定着しないのです。こういう精神的な基盤の社会は極めて危険だということです。ヒットラ−はアジテ−タ−であり、沢山の法律専門家が法案作成に関わり、時勢を見るに敏な公務員達が続々とナチ党に入党してヒットラ-政権を支えたという石田教授の講演を聴いて背筋が冷たくなりました。
 コロナ禍はいずれは収まると思いますが、問題はこの後です。石田教授の講演を聴いて日本の将来に強い不安を感じました。戦前ドイツのあの間違いを決してしてはならないということです。こういう時代だからこそ主体的に考える、市民的勇気を持つて行動するということが何よりも大切であり、必要となるのではないかと考えるのです。

 来年は八十にもなろうという年寄りが身の程もわきまえずこんなことを書いてもどうなるものでもありませんが、石田教授の「市民的勇気を持って」という言葉に励まされてこの一文を書きました。

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