高尾山口駅近くで見た紅葉
山中ではなく下山してきて駅近辺で気が付きました

高尾山 (2019/11/17)


 11月17日高尾山に登りました。山道を歩きながら大学時代のことをいろいろと思い出して歩いていました。昨日(11/16)、1965年に卒業した武蔵大学で「創立70周年記念地域別オ-ルカミングの集い」の式典と懇親会が開催され出席したからです。早めに大学に着いたので3号館の前で正田先輩と会いました。3号館の中庭のベンチで軽食を食べながら二人で思い出話をしました。正田先輩は私が入学したとき4年生で学内でもゼミ連などで活躍をされていました。

 正田先輩にもお話をしたのですが、私はこの大学に特別な思いがあります。別にクラブ活動をしたわけでもありませんし、何か特別なことがあった訳ではありません。この大学での4年間が私に大きな影響を与え、現在もその影響にあるということです。

 私は17歳の時、父を亡くし、2年遅れて入学しましたが、2年近く店番をしながら読んだ文学書に飽いていたせいかどの授業も私の知的好奇心を満足させてくれました。授業が終わればまっすぐ家に帰り母と店番を交代するのですが時間には余裕がありました。とりわけ「恩師の思い出」(閑話休題欄掲載)に書いたように1年次の4月から始まったゼミでの藤塚先生のお話に奮い立ったのかもしれません。本は沢山読みました。3年次に立教大学法学部の学生で司法試験の勉強をしていた弟から厳しい批判を受けました。そんなに本を次から次に読んでどうする気だ、という訳です。弟の本棚は司法試験の基本書といわれる2、30冊足らずの本が並んでいるだけです。見ていると憲法は宮沢俊義「日本国憲法コンメンタ-ル」1冊だけです。経済学部の学生は雑駁だという訳です。弟の勉強は我妻栄先生の書かれていた「狭く深く徹底的に理解する」という勉強そのものです。私はこのこと自体には何も異論はないのです。もう一段上の広い視野から考えなければならないと主張したのです。当時、私はマックス・ウエ−バ−に傾倒していましたから知的興味がどんどん広がったのです。

 私も経済学部の学生ですから3年次にはダッドレイデラードの「ジョン・メイナード・ケインズの経済学」(東洋経済新報社岡本訳)とハンセンの「貨幣理論と財政政策」(有斐閣小原敬士訳)を精読しました。この二書は原書も購入して照らし合わせて読みました。

 私は朝日新聞の論説主幹笠信太郎氏(故人)が東京商大での恩師三浦教授から受けられた指導や朝日新聞社の入社試験の面接に立ちあっての優秀な学生についての感想を書かれた一文を読んで深い感銘を受けたのです。大学ではもっと広い視野からの学びが必要ではないかというのです。文化人類学者の中根千枝が「タテ社会の人間関係」で指摘した日本社会の大きな問題につながるのです。

 リベラル・ア−ツ教育の重要性はどんなに強調してもしすぎるということはないと考えます。母校が社会で高い評価を受けられるかどうかはこの一点にかかっていると考えます。

山行デ-タ
高尾山口駅9:20稲荷山登山口9:27稲荷山10:14高尾山山頂11:08 11:396号路飛び石11:57琵琶滝12:356号路登山口12:45稲荷山登山口12:50高尾山口駅12:57
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