柳瀬和之のホ−ムペ−ジです

刈田岳付近からお釜を俯瞰する 写真アルバム 
第396回山行報告 
日本百名山 蔵王山(2018/8/17〜18)
 8月17日東北新幹線で白石蔵王に向かい、東北本線白石駅前のビジネスホテルに前泊した。チエックインをしてもすることもないので、平成7年に再建されたという伊達藩重臣片倉小十郎(知行1万8千石)の居城白石城を見学した。城からの帰りは町中を歩いてホテルに戻ったが、この地方都市もご多分に漏れずシャッタ-の降りているお店が多い。

 18日7時30分タクシ−で蔵王山刈田岳山頂直下のレストハウスに向かう。8時30分レストハウス下の駐車場に到着した。

晴れてはいるが風が強く気温が低いので驚く。掃除をしていた女性の話では昨日今日と朝気温が下がって7度で暖房を入れていたという。レストハウスで温かい飲み物を買って雨具の上着を着て早々に8時35分歩きだした。

登りといっても緩やかで、とにかく風が冷たい。お釜を覗く展望台から写真を撮った。刈田岳山頂(1750m)だ。

 ゆっくりと歩き出した。風も少し穏やかになったようだ。熊野岳の肩にある避難小屋に着いた。ここが分岐で西北に向かうとシャクナゲ、ハイマツの多い自然園があり、名号峰、峨峨温泉と歩くのが「日本百名山登山ガイド」の標準コ−スだが、今回は熊野岳、地蔵岳からロ−プウエイで蔵王温泉に下山し、山寺に向かうことにしている。こうして山域の概要が理解できるといつ来れるか分からないが、次回の楽しみとなる。

避難小屋をを覗いてみる。同年輩の男性がおられて食事をしていた。仙台から来られたという。ここで20分ばかり休憩をして話をした。このところの暑さでコマクサは色が落ちているとのことだ。

 ここが分岐で東に緩やかな広い斜面を登ると熊野岳山頂だ。花は見当たらない。ハイマツの小さな群落が目に付く。石垣に囲まれた小さな神社があって、ここにも避難小屋がある。とにかくこの周辺はスキ−に絶好の地形だ。登山道の傍らには木のポ−ルが建てられていて雪山の目印なのだろう。とにかく冬山で吹雪かれたら命あってのものだ。北斜面は緩やかなくだりだが石がごろごろしていて道は定かではない。ペンキのマ−クがあり、これを拾ってゆっくりと下り、地蔵岳に向かう。とにかく緩やかな登りで、北海道でスキ−の経験も少しはあるので、この一帯が最適なのはよく理解できる。

 地蔵岳の山頂とは言っては、平坦でここで一休みだ。ここを下るるロ−プウエイの山頂駅がある。こんな簡単に下りて気が引けるが、とにかく心は山寺立石寺だ。12時30分蔵王山麓駅でタクシ-を呼んで30分くらい待って山寺に向かった。

 1時50分立石寺が正面に見えるという山寺芭蕉芭蕉記念館のある所によって写真を撮った後、立石寺の山門の前で車を降りて歩き出した。
奥の院に続く石段を登りだした。登りは1000段余の石段とのことで、仁王門のところで一休みをしたが、ただひたすら足元を見て上った。

3時10分くだりだ。下りでは少し余裕で降りてきた。辺りを見回す余裕もあった。
芭蕉の「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」の句を誌したという紙片を埋蔵したというセミ塚があり、その案内板に「奥の細道の立石寺」の全文(下記はネットからCOPY)が掲記されていた。

 「山形領に立石寺といふ山寺あり。慈覚大師の開基にして、殊清閑の地なり。一見すべきよし、人々のすゝむるに依て、尾花沢よりとつて返し、その間七里ばかりなり。日いまだ暮ず。梺の坊に宿かり置て、山上の堂にのぼる。岩に巌を重ねて山とし、松栢年旧土石老て苔滑に、岩上の院々扉を閉てものの音きこえず。岸をめぐり岩を這て仏閣を拝し、佳景寂寞として心すみ行くのみおぼゆ。

  閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」

 私は雑誌「サライ」にCD「奥の細道」(朗読松平定知アナ)が付録として付いていた時これを購入しipodに入れて何回も聞いた。
「象潟」などは美文調で綴られていて何度も口ずさむが、「立石寺」は簡潔な文章だと感じる。朗読では立石寺を「りゅうしゃくじ」と呼んでいたが、この案内文では注として立石寺はりっしゃくじ」と呼びますと掲記していた。「奥の細道」の原文では「梺の坊・・・・」とあるが、案内板では「麓の坊・・・」と掲記してある。芭蕉も日記となると簡略な字を使うのだろう。また、「松栢年旧土石老て・・・」のくだりは意味は分かるがどう読み下すのか、朗読を聞いて理解した次第です。

 3時30分に山寺駅に着いて、4時1分の電車で山形駅、5時5分発の新幹線で帰京した。車中これで私の暑い夏が終わったと思ったが、秋にはまた何処かに出掛けたいものだ。
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