丹沢・塔ノ岳から望む冠雪の富士山(2010/1/10撮影)
平成30年年頭のご挨拶

 あけましておめでとうございます

 私は、本年、喜寿を迎えます。よくぞこの歳まで生きられたものと感慨無量です。大学卒業間際に大病を患い、この先10年も生きらるかどうかと暗澹たる気分でいたことが、今では信じられない気持ちです。

 先輩や同僚と立ち上げて働いてきた事務所では雑用係ですから何にでも関心を持ち手を出しました。経済の動向も気に懸かりました。経営学にも関心がありました。コンピュータも少し勉強しました。山登りもしました。写真にも手を出しました。

 新聞は朝日、週刊誌は新潮、ネットは2チャンネル等々、音楽はモーツアルトと中途半端ですが何でも手を出します。一番熱心に読んでいるのは週刊東洋経済です。同誌の書評欄に取り上げられた経済書や経営書も少なからず読みましたが、これは最近めっきりと減ってきました。

 私は若い時から人一倍、政治や経済に関心を持ってきました。こうして政治や経済の分野に関心を持ったところで何の役に立っかはわかりません。ただ、私が中学生のころ、祖父が「藤吉(私の父)は大学を出したのに時勢が見えなかった。俺は無学であったが時勢が見えた。」と言いました。 祖父はノモンハン事件を満州での仕事を通して知ったのだと思うのですが、奉天で「軍部は戦争だ。戦争だ。と言っているが戦争などしたらひとたまりもないぞ」と言って父に北海道に引き揚げることを勧めたのです。父は「八紘一宇の聖戦をなんと心得る。非国民だ。親といえども許せない。」と祖父を面罵したというのです。もっともあの時代は少なからざる識者が時勢を見誤ったのですから、私の父ごときを責めることはできないのかもしれません。とにかく小学校しか出ていない無学の祖父が時代を見通していたのです。

 私のごとき一市井の老人が政治や経済に関心を持ったところでどうなるものでもないのです。身の程も知らないと謗られるでしょうが、それでも「時勢が見えた」という祖父の言葉が深く私の脳裏に刻まれています。故都留重人先生は経済学を学んでも役に立つわけでもないのだが、それでも社会を見る目を養うという意味で大事であると書いておられました。私の人生もだんだんと先が見えてきましたが、老化防止になんにでも興味を持ち、とりわけ本格的な書籍からは遠のいても東洋経済を読み時勢を見誤らないようにしたいものと思います。
喜寿を迎えるこんな歳になってもまだこんな青臭いことを書いてと、笑われるかもしれませんが私の正直な心境を書き、年頭のご挨拶とします。今年もよろしくお願いいたします。
平成30年元旦
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