蘭の花 17/03/03
  今年も蘭の花が咲きました。ただ例年と違って小ぶりです。花も枝も小さいのです。昨年花が咲き終わって手入れをしていたら根が腐っていて、これから根を切り分けて移植をしたのです。今年はどうかと心配していましたが、例年の通り花を咲かせたのです。これもすべて広瀬さんの丹精のおかげです。

 2月に入ってHPを更新するに何を取り上げようか迷っていました。何年か前の2月26日渋谷税務署に行った時、合同庁舎の一角にある二・二六事件の慰霊碑の前で年配の人達が集まって花や酒を供えて慰霊をしておられました。ここには陸軍の衛戍刑務所があり、二・二六事件の青年将校17人が反乱罪の咎で銃殺された地なのです。あの人達は事件に関係した青年将校たちの遺族と関係者なのでしょう。何とも言えない気分で少し離れたところから眺めていました。

’17/2/26の東洋経済オンライン版に「2.26事件は「上司に恵まれない部下」の悲劇・・・「土壇場で梯子を外された」青年将校の末路」と題する歴史家山岸良二氏の一文が掲載されていました。「土壇場で梯子を外された」というのは本当だ思いますが、問題は上司に恵まれなっかたというような話ではないと思うのです。君側の奸を倒し天皇親政を目指すという、こんな漠然たる計画でクーデターが成功するはずがないのです。たとえ成功したとしても政治や経済の困難な改革が実現するはずがないのです。

 昔、二・二六事件の首謀者、村中孝次、磯部浅一の獄中手記を読みました。磯部淺一は何度も軍法会議前の予審で同じ陸軍将校の法務官に決起の趣旨(君側の奸を倒し天皇親政)を訴えますが理解されません。理解されるる話ではなかったのです。ここがこの事件の悲劇の悲劇たる所以なのだと思います。

 この事件の根底には政治や経済の様々な要因があると思うのですが、教育の問題も大きかったと思うのです。朝日新聞(2017/2/5)「日曜に想う 」というコラム欄に100年前の文部省廃止論と題して編集委員・曽我豪記者が一文を書いていました。

 1920年(大9)原敬内閣で大蔵大臣であった高橋是清が内外国策私見なる一文を書いて配布しようとしたところ、そのあまりにもラジカルな内容に首相の原敬や陸相の田中義一に止められたという話なのです。

 第1次世界大戦後の国際協調と大正デモクラシーの時代だった。その変化をとらえ、内閣の統制が及ばない陸軍参謀本部と海軍軍令部の廃止や、農商務省から農林、商工両省への改編などを意見しました。そのラジカルさは軍部の反発を恐れた原首相が印刷を差し止めたほどだったのです。
 最後の第4項目で高橋は、文部省の「全国画一的」な教育行政を憂え、「発奮努力の精神を喪失せしむる」弊害を指摘してこう提言しました。
 小中学校の施設経営監督は地方自治体に委(まか)せよ。大学への国庫補助は必要かもしれぬ。だが学長選挙も内部行政も文部省の手を煩わせず大学に自治の精神を発揮させよ。官立大学の特典を廃止し私立大学と自由に競争させ学術の発達進歩を計れ。文部省は一国にとりて必ずしも必要欠くべからざる機関にあらず。結論は表題に明白だ。「文部省ヲ廃止スルコト」

 高橋是清はこの「内外国策私見」以来、元老重臣から危険視され首相に推されることはなかったというのです。

 100年後の今日、戦前の日本を底流で支えた教育勅語を基本理念とした小学校を開校しようとする動きがあり、すくなからざる人達が教育勅語に共鳴している現実を見るとただだ驚きます。

 ご参考までに教育勅語を掲載しておきます

教育ニ関スル勅語

 朕惟フニ、我ガ皇祖皇宗、國ヲ肇ムルコト宏遠ニ、徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ。
我ガ臣民、克ク忠ニ克ク孝ニ、億兆心ヲ一ニシテ、世々厥ノ美ヲ済セルハ、此レ我ガ國体ノ精華ニシテ、教育ノ淵源、亦実ニ此ニ存ス。
爾臣民、父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ、朋友相信ジ、恭倹己レヲ持シ、博愛衆ニ及ボシ、学ヲ修メ、業ヲ習ヒ、以テ智能ヲ啓発シ、徳器ヲ成就シ、進ンデ公益ヲ広メ、世務ヲ開キ、常ニ國憲ヲ重ジ、國法ニ遵ヒ、一旦緩急アレバ、義勇公ニ奉ジ、以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ。
是ノ如キハ、独リ朕ガ忠良ノ臣民タルノミナラズ、又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン。
斯ノ道ハ、実ニ我ガ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ、子孫臣民ノ倶ニ遵守スベキ所、之ヲ古今ニ通ジテ謬ラズ、之ヲ中外ニ施シテ悖ラズ。
朕、爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ。
明治二十三年十月三十日   御名御璽
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