平成29年年頭のご挨拶
                      あけましておめでとうございます

 事務所でこれという特別な仕事をしているわけではないのですが、それでも気忙しい毎日を送っています。大きなフオントで読み進めてきた「ローマ人の物語」は最終巻の15巻目で足踏みをしています。それにしてもローマ帝国の興亡を読むと考えさせられることが一杯あります。

 歴史といえば昨年12月にNHKから四夜連続で「東京裁判」が放映されました。
書籍では「東京裁判」(中公新書 児島 襄)を読んでいますが、こうしてドラマとドキュメンタリー映像で見るのは初めてです。
とりわけCRIMES AGAINT PEACE(平和に対する罪、侵略の罪)を巡る対日戦勝国11か国から選ばれた11人の判事達の議論は考えさせられました。判事たちはこの罪にどう向かうかで二分されました。少数派はこの法は事後法であり、その適用は論外であるとします。多数派は東京裁判所憲章、ニュウルンベルク裁判を判例として侵略の罪を処罰しなければならないとしました。
 日本も署名した1928年のパリ不戦条約でも戦争を政治の手段とはしないとはするもののその戦争指導者を裁けるかどうかは明示されていません。そういうことで「東京裁判」は勝者が敗者を裁いたという側面は存在します。ただ事後法での侵略の罪での起訴は不当としたインドのパル判事も、後年、云っているように侵略戦争に突き進んだ日本の責任がなかったというわけではないのです。私は日本人としてこの「東京裁判」から学ばなければならないのは、何故、こういう無謀な戦争を始めてしまったかという政治の過程や経済の構造的な問題を知らなければならないということです。

「今の日本人に必要なのは、もういちど1920年代、30年代、そして戦争の時代へと、日本の政治がどういう軌跡をたどったか学び直すことではないでしょうか。近現代史は微妙な問題だからという理由で、学校でもちゃんと教えていない。その結果、過去に起きたことについて、今の日本人は驚くほど知識がない。これは非常に危険であり、望ましくないことだと思っています」(アーサー・ストックウィン・オックスフォード大名誉教授)

 四夜連続の「東京裁判」を見てのエピソードを紹介します。
 文官としてただ一人死刑となった広田元首相は勝者が敗者を裁くこの裁判など何を言っても意味がないと考えられたのか、一切の証言を拒否されました。「新聞社に戻り緒方竹虎社長に広田さんが、軍人も馬鹿ではないのだから一度やりたいようにやらせたら良いと言っていますと伝えたところ、緒方社長が「だから役人上がりは困るんだといって心配していた」(高宮太平「昭和の将帥」)という箇所が印象に残っています。こういう認識が広田内閣で軍部大臣現役武官制を復活させてしまったのです。その後の歴史を見れば私はこの政治的な意味は大変なものであったと考えます。

 私の戸籍謄本に「満州国奉天市大和区八幡町十三号二於イテ出生父柳瀬藤吉二依リ昭和拾六年壱月十七日満州国駐在特命全権大使梅津美治郎受付同年八月五日送付入籍」とあります。満州国、梅津美治郎(「東京裁判」で終身刑、服役中病死)の文字が見えますが、私はまさに自分が「時代の子」であったことを実感します。

 残り少ない人生となりました。今年もこうして新聞や雑誌を読み、ボケ防止、脳の活性化のため思いつくままに一文を書きこのHPに掲載します。今年もよろしくお願いいたします。     平成29年元旦
 戻る