第13回卒業記念回生ホームカミング(’16/11/5)

 11月5日、大学で「第13回卒業記念回生ホームカミング」が開かれた。幹事は11時30分に集合だが、1時間少し前に大学に行き学内を一巡して写真を撮った。毎回同じ写真だが地方にいる同期の友人たちに「武蔵の今」を伝えるためだ。学園祭と重なって学内はとても賑やかだ。

 本館校舎と根津講堂は旧制高校開校時の建物で大規模な補修工事をして現在も主要な施設として使われている。
この講堂には旧制高校時代の歴代校長(一木喜徳郎、山川健次郎、山本良吉、山川黙)、大学になってからの歴代学長(宮本和吉、吉野信次、正田建次郎)の肖像画が掲げられている。残念ながら今回も内部は撮れなかった。

 講堂からすすぐ近くに、小川(濯川)が流れている。ここに正田建次郎学長のレリーフがある。入学時は吉野学長、卒業時は正田学長だった。卒業式では正田学長から卒業証書を手渡しでいただいた。少し前、同期の女性の玉川Tさんが学長が自ら卒業証書を渡していた大学は武蔵くらいと言っていた。そうだろう。入学式の時は式後に折詰のお赤飯が配られて講堂内の座っていた席で食べたことを思い出す。こんなことも小規模な大学ならではの話だと思います。

 図書館に行き入り口の壁を撮った。この壁に「自ら調べ自ら考える」という大学の建学の理念が刻まれている。武蔵には建学の理想として「東西文化融合のわが民族理想を遂行し得べき人物」「世界に雄飛するにたえる人物」「自ら調べ自ら考える力ある人物」を掲げている。最初の東西文化融合・・・・は旧制高校の開校が大正11年でもあり、日本の文化受容の典型的なパターンを表していると思うが、2番目、3番目の理念は今日でも変わることのない普遍的な理念だと考えます。

 私は昭和36年に入学したが、全学でも1600名足らずの小規模な大学であった。入学した4月の1週目か、2週目かの金曜日の午後からあった藤塚知義先生のゼミの開講時の話で私は感激をして奮い立った。1,2年次の藤塚ゼミ、3,4年次の山口ゼミでの議論に啓発されて本は沢山読んだ。藤塚知義先生、山口正吾先生の思い出は「恩師の思い出」をお読みいただくとして私はどんどん興味が拡散していった。次第にジャーナリストの道を考えるようになりました。

 笠信太郎氏(朝日新聞論説主幹)が、朝日新聞社の入社試験の面接者の立場から求める学生像として広く(深く狭くでない・・・これは笠信太郎氏の言葉です)学ぶことの大事さを書いておられた。都留重人先生が経済学を学んでも法学や商学を学ぶことは違って格別役に立つものでもないが、それでも経済学を学ぶことことの重要性を強調しておられました。

 社会学者の中根千枝氏が指摘したように戦前の日本はタコツボ型の社会であり、そういう反省から教育制度の改革が行われたはずなのです。専門分野が深くなればなるほど、またグローバールな社会になればなるほど全般を見て考える力が問われるのではないかと思うのです。そうであるからこそ欧米の高等教育はリベラル・アーツの教育に力を入れているのだと思うのです。

 卒業して50余年、こうして大学に招いていただいてとても感謝しています。準備の集まりで9期か10期の先輩が「武蔵は卒業して時が経てば経つほど思いが深くなる」と話されていました。私はこうした個人的な思いだけではなくこの大学が社会に貢献し、存在意義をらしめるにはこの大学はこれ以上規模を大きくしてはならないと思うのです。目指すはリベラル・アーツ・カレッジだと思うのです。

 とても楽しい会でした。お世話いただいた同窓会、大学関係者の皆さん 有り難うございました。同期の皆さん、お会いできる日を楽しみにしています。 
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