終戦記念日に思うこと(’16/8/15)

 少し前、週刊東洋経済誌に掲載された政治学者の御厨貴先生と経済学者の野口由紀雄先生の対談を読みました。御厨先生が「一つ懸念があるのは若い世代の考え方の変化で、安倍首相の靖国神社参拝に対する諸外国の批判は当たらないという学生は東大でも増えつつあります。歴史的経緯を教えても彼らは納得しません。90年代生まれには、靖国問題に中韓が介入してくることを感情的に受け入れられないう傾向が強い。」と言っておられます。

 こういう現在の日本の社会に対し、とりわけ近現代史に対する無知を指摘する声は外国からも聞こえてきます。

 「今の日本人に必要なのは、もういちど1920年代、30年代、そして戦争の時代へと、日本の政治がどういう軌跡をたどったか学び直すことではないでしょうか。近現代史は微妙な問題だからという理由で、学校でもちゃんと教えていない。その結果、過去に起きたことについて、今の日本人は驚くほど知識がない。これは非常に危険であり、望ましくないことだと思っています」(アーサー・ストックウィン・オックスフォード大名誉教授)

 私は満州奉天(中国遼寧省瀋陽市)で生まれ、敗戦の翌年、北海道に母と弟の三人で引き揚げました。父は昭和20年4月に奉天で召集を受け奉天郊外の兵舎からシベリヤに抑留されましたが、幸い昭和22年にシベリアから帰還しました。そんな体験があって中学生の時、父の勤務する学校の図書室から借り出した本て満蒙開拓団の悲惨な記録を読みました。怒りで体が熱くなったことを今でも忘れらません。私のこういう体験がいまも、何故、日本がああいう無謀な戦争を始めてしまったのかを知りたくて日本近現代史への読書に駆り立てられるのです。

 私ごときがいうのもおこがましいのですが、戦後に教育を受けた大方の人たち、若い世代に限らず60歳代70歳代の人たちでも零戦だ、戦艦大和だ、真珠湾作戦だ、ミッドウエー作戦だ、山本五十六大将だ等々に知識を持っていても「日本の政治がどういう軌跡をたどったか」という、日本近代史について、「驚くほど知識がない」と言われてもそうではないと言い切れないと思うのです。失礼ながら政府の閣僚でもどうも知識がないのではないかと思える節があると感じるのです。こうなると一般庶民どころの話ではなく「非常に危険であり、望ましくないこと」となるのではないでしょうか。
 私は中国、韓国との外交関係ではなんでも先方の言うことを聞けといっているわけではないのです。東洋経済誌の「中国動態」というコラムを毎週注意をして読んでいますが、王毅外相の言動や振舞いなど近隣諸国から反発を買っているようです。国内でも様々な問題が噴出しているようです。

 田中直毅氏(国際公共政策研究センター理事長)は「南シナ海が最大の問題で、中国の国際秩序を見下したやり方に対して寄り添うことは難しいと考える近隣諸国が増えている、ここまでやるのかという人権抑圧、大幅な表現の自由の制限は経済の安定性を損なう可能性がある。・・・・・結社の自由を認めず、市場の働きを理解しない指導者層の下では、発展の芽が押し潰されると言う基本的な限界がある」とし、中国は長期停滞に入ると予測をしています。

 日本が世界で尊敬されて生きてゆくには日本の近現代史を虚心坦懐に学び、こうした過去の歴史の教訓の上に、日本国憲法の精神をもとに国際社会に向かって平和を訴えることが何よりも大事だと私は考えるのです。

 8月15日の終戦記念日を迎えて気分が高揚してついつい分不相応なことを書き連ねてしまいました。日本の近現代史を少しばかり読んだだけですが、今日の日本において一市井の老人としてどうしても書かざるを得ない時代状況だと考えるのです。
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