母校の根津講堂(’16/7/2)

 7月2日土曜日大学で開かれた同窓会の総会と懇親会に出席しました。総会の議題については格別の意見があるわけではなく、総会終了後の懇親会で同期の皆さんに会うのが楽しみで出かけたのです。

 HPの写真にしようと根津講堂を正面から撮った後、大学の構内を散策しました。私が在学したときは全学でも1600名に満たない小さな大学でしたが、この小さな大学で学べたことは幸せであったと思います。1,2年次の藤塚ゼミや3,4年次の山口ゼミでの議論に啓発されて4年間ずいぶん本を読んだ。それがなんの役に立ったのかと問われると答えようがないが、ただこの時本を読んで考えたことが今も私に問い続けている。

 6/30朝日新聞デジタル版にアメリカの未来学者アルビン・トフラーが6月27日亡くなったことを報じていた。アルビン・トフラーの「第三の波」は1980年に出版されました。ミリオンセラーになりました。1982年に邦訳が出ると同時に読みました。

 コンピューターの利用が中小企業にも押し寄せ始めていたころで、フレックスタイムとか新しい労働者像とか男女の新しい働き方とか、事務所を立ち上げて間もない頃であったのでこの書をを読んだときは大変な刺激を受けました。
 トフラーは人類の歴史を農業革命がもたらした農業社会(第一の波)、産業革命がもたらした産業社会(第二の波)、コンピュ−タ−がもたらした情報化社会(第三の波)と分け、私たちが、現在、生活している社会を第二の波と第三の波が入り混じっている社会と位置づけるのです。

 トフラーは産業革命後の社会(第2の波)の社会がどういう社会かを以下の六つのキーワードで説明します。

 規格化の原則
 専門化の原則
 同時化の原則
 集中化の原則
 巨大化の原則
 中央集権の原則

 トフラーはこいう規格化、専門化、同時化、集中化、巨大化、中央集権等とのキーワードで産業革命後の経済社会(第二の波)の社会の特徴をを鮮やかに説明してくれます。
 コンピュ−タ−の出現がそういう社会に革命的なインパックトを与えたというのがトフラーの主張です。それが単なるインパクトではなくこれまでの社会の基盤そのものを変革して新しい社会、情報化社会(第三の波)を生み出したということです。

 私は大学に入ったとき書店でたまたま手にした「マックス・ウエーバー」(青山秀夫)を読んことが契機となってずっと社会科学のこういう側面に関心を持っています。

 マックス・ウエーバーは「プロテスタンテイズムの倫理と資本主義の精神」で資本主義社会がいかなる精神的な基盤から勃興してきたかとか、「官僚制」がいかに規則的、効率的に社会を機能させる役割を担ったかを解明しました。大衆に大量の工業製品を供給し豊かな生活を享受させることができたかを主張しました。ウエーバーはマルクスとちがって近代社会を肯定的に評価したと考えるのです。ただし、こういう社会にも当然「光と影」があるわけで、20世紀初頭のチャップリンンのモダンタイムスが描くような「影の部分」が出現してくるわけです。難しく言えば「近代人の疎外」といわれるようなことが起こってくるわけですが、とにかく大衆が幸せになるためにはこういう「近代人の疎外」に耐えなければならいというのがマックス・ウエ−バ−の主張であったと思うのです。

 こういう重い桎梏をコンピュ−タ−が解放してくれたというわけです。トフラーは肯定的に前向きに受け入れます。しかし、第三の波に洗われれ進化を遂げればまたそれなりに「影の部分」もふえてくるというわけです。小林秀雄をして、「(コンピューターは)ちっとも良くないのです」と言わしめることとなります。

 究極のところ現代社会を生きるには私達は「主体性を持って生きなければならない」と思うのです。大学図書館の入口の壁面に「自ら調べ自ら考える」という言葉が刻み込まれています。私は大学に来るたびにこの言葉を見に図書館に立ち寄ります。

 総会終了後の懇親会で5回卒の先輩と立ち話をしましたが、そうだ吉野学長のことも書いておこうと思い一文を書きました。コチラもお読みいだだければ幸いです。
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