小さな秋の旅 奥日光ハイキング(2015/10/12)
写真アルバム


 新聞で奥日光の紅葉を報じていた。この連休の最終日はお天気が良いとのことで紅葉を撮りに出かけました。

 浅草発6時20分の電車を利用して東武日光に8時25分に着いた。駅前は大変な人だ。行列の後ろの方に並んだときは乗れるのだろうかと心配したが、臨時バスが何台か出るので安心した。

 いろは坂も順調に通過かと思ったが明智平辺りから渋滞が始まった。何とか通過したと思ったら竜頭の滝辺りから渋滞が始まった。湯元から歩き出す予定でいたが、急遽、変更だ。竜頭の滝でバスを降りた。逆コースだがたいした登りではない。

 竜頭の滝も大変な人だ。写真を何枚も撮った。24−105ミリのレンズだが、どの程度この風景を伝えられるだろうか。ここから歩き出した。風は少し冷たいが心地よい。とにかく路は整備されているし明るい日射しの中を気持よく歩いた。立ち止まると、いいないいなとばかりにシャッターを押した。写真の教本にシャッターを押す前にこの写真で何を伝えたいかを考えてシャッターを押すと書いてあるのを読んだが、私は何にも考えない。いいなと思ったらシャッターを押す。自分の感性だけが頼りだ。かような次第で撮った写真はピントの外れたものなどを除きましたが大体全て載せました。見ていただく方に選択をお任せすることにしました。コースの説明も不要と思います。カメラの記録からコースタイムだけを載せます。この時間には湯滝の茶屋でアユの塩焼、キノコ汁を食べた時間も含まれています。
竜頭の滝−−(10:40)ー-湯滝(13:10)−−湯の湖(13:17)ーー湯元(13:50)

私は大正期に活躍した小説家葛西善蔵については伊藤整著「日本文壇史」でその名前を知った程度で作品を読んだ事はありませんでした。何年か前に、NHKの朗読の時間で葛西善蔵の幾つかの短編を聴いて心を打たれたのです。とりわけ「馬糞石」という作品は活字を読むだけではその良さは判らないと思います。津軽弁のやりとりは読むのではなく朗読を聴くのでなければそのおもしろさ判らないのです。

 ところでなぜこの奥日光紀行で取り上げたかというと朗読を聴いた時、葛西善蔵の「湖畔の宿」と刻まれた石碑のっことを思い出したのです。昭和43年、当時、勤めていた事務所の同僚5人(原、吉野、沢本、中村の諸氏)と湯元温泉の旅館に1週間合宿をして故辻先生が出す本の原稿の下書きをしていたのです。その折、湖畔の兎島を散策しましたが、葛西善蔵の「湖畔の宿」と刻まれた石碑を見たのです。今回これを確かめるのも目的の一つでした。葛西善蔵文学碑は兎島の散策路の入口にありましたが、どうも私が昭和43年に見たものとは違っていましたし、置かれている場所も位置も違っていました。この石碑の前にある説明板によれば碑文はしかと判読できませんでしたが葛西善蔵の自筆とあり、昭和43年11月に建立とありました。この文学碑の前で様々な思いが去来しました。ご指導いただいた辻先生、一緒に仕事してきた原先輩、年に1回は会った飲み友の沢本さんも鬼籍の人となった。あれからほぼ半世紀だと感慨ひとしをでした。

 温泉寺で一浴びしましたが、帰途は湯元のバス停で知り合った宇都宮から来られた年配のご家族の方とご一緒させていただいた。娘さんは東京に住んで居られとかで厚かましくも東京までこれまたご一緒させていただいた。今日は人の出会いも良し、楽しい小さな秋の旅でした。HP上から厚く御礼申し上げます。
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