小さな秋の旅 佐原を訪ねる(2015/9/21)
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 小さな秋の旅とばかり千葉佐原に行ってきました。佐原はずっと私の気に掛かっていたところです。というのは江戸時代に日本で初めて実測による日本地図を作った伊能忠敬の出身地だからです。伊能忠敬は1745年上総国山辺郡小関村に生まれ、17歳で下総国香取郡佐原村の伊能家の婿養子(妻ミチ12歳)となりました。米の売買や酒造りを家業とする商家の主の傍ら天文暦学の勉強をして、49歳で隠居、江戸に出て55歳から「御用」の旗の下に10次にわたり全国を測量しました。その成果は彼の死後3年後に弟子達の手によって大日本沿海興地全図として結実しました。
 伊能忠敬旧宅、伊能忠敬記念館を見学した。川沿いの古い佐原の街並みを歩きましたが、連休とあって大変な人出でした。食事をした後、町中を少し遠回りをして駅まで歩きました。この後電車で銚子に向かった。犬吠埼灯台はクライアントの一泊のバス旅行に招待されて訪れたことはあるが電車で来るのは初めてだ。メデアで時々話題となり取り上げられる銚子電鉄を利用するのも初めてだ。銚子電鉄の小さな駅舎で待つ折り、中国人の青年が二人いて話しかけたのがきっかけで瀋陽に1年近く滞在したという中年男性に声を掛けられた。このあと一緒に灯台に登り、この近辺の民宿に泊まるという、この方と別れるまで瀋陽(奉天)の話や中国の話をさせていただいた。こういう思いがけない出会いが旅の楽しみだ。帰途は銚子駅前から東京駅八重洲口までの高速バスを利用したが、地図の分野のあれこれ考えていた。国土地理院の各種の地図はネットで利用できるし、腕時計にGPSが組み込まれたものが発売されている。次はどこに行こうか、まだまだ私の好奇心の旅は続きそうだ。

 朝日新聞声の欄に投稿した一文をそのまま再掲しました。若干補足すれば文中に伊能忠敬を地理学者と記しましたが、前人未踏の道を切り開いた偉大なる先駆者と書かなければなりませんでした。また筑波博で展示されていた日本列島が地球儀に張り付けられた展示物は、現在、筑波みらい市にある国土地理院院の中庭に移設されています。

「国土に触れる展示を考えよう」
 夏休みを利用しで子供たちと佐倉市の国立歴史民俗博物館を見学してきました。映像を利用した新しい展示方法は興味深くとても勉強になりました。小学校から中学校まで地理教育が義務づけられていますが、暗記物のような扱いで、どちらかといえば無味乾燥な学習という感じがします。新しい映像機器やコンピューター機器を利用して山脈、平野、盆地、河川などを具体的なイメージで子供たちにみせることが出来れば、どんなに素晴らしいことでしょう。ランドサット衛星から見た日本列島などは緑に覆われた、かけがえのない自然の大切さを教えてくれるのではないでしょうか。筑波博で展示されていた日本列島の地球儀状の展示物はどうしたのでしょうか。私たちの国土にあのようなかたちで触れるということはなかなか出来ないことです。また、国土地理院が作製している膨大なコンピュ−タ-による地図などぜひ公開してぽしいもののです。地図に関する研究施般の設置が学術会議から勧告されたようですか、新しい映像機器やコンピュータト機器を利用して私たちの国土を概観できるそんな機会がぜひほしいものです。とりわけ本年は江戸後期の地理学者、伊能忠敬没後百七十年です。関係省庁のご尽力をお願いします。(朝日新聞声欄88年11月3日掲載)
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