第391回山行報告 塔の岳(’13/12/21〜22)

 週末はお天気が良さそうだ。エンジンが順調に動き出している時に登ることに決めた。歳も歳だし、一回一回の山行を大事にしなければと痛切に思う。

 10時10分大倉から歩き出した。何時もの「ながら族」なのだが聴くものの準備がない。金曜日は新橋の先輩の店で飲んで帰ってきて慌てて山行の準備をしたので準備が出来なかった。「幕末史」も「戦艦大和の最期」もあと少しなのだが最初から聴く気にもならないのでプレイヤーに入れてあるものを探した。永井荷風の「断腸亭日乗」が見つかったのでこれを聴くことにした。何回か聴いているのだがやむを得ない。
 ゆっくりゆっくりと歩き出した。この時間となると人影は少ない。観音茶屋、見晴小屋と順調に通過した。この大倉尾根でのつらいところは見晴小屋から一本松、堀山の家から小草平、小草平から花立山荘の区間だ。12時25分堀山の家に着いた。ここまでは何とか歩ききった。「断腸亭日乗」は何度か聴いているが、とにかく面白くて飽きない。堀山の家でコーヒーを飲んで一休みだ。今度は何を聴くかだ。「歎異抄」しか出てこない。仕方がない。何度も何度も暗記するほど聴いているので集中できない。耳から聞こえてく朗読とは別のことをしきりと考えていた。この一番の難所が登り切れるのか不安になったが何とか登り切った。東京大空襲で偏奇館が焼け落ちるのだが、荷風先生、この日記を入れた鞄を持って逃げ惑うのだが、淡々と記録されている。先生、早くから時代を冷静に見通しておられたのに、何故、疎開を考えられなかったのだろうか。桐生悠々が「関東防空大演習を嗤う」で予想したとおりのことがおきたのだ。
 13時54分花立山荘に着いた。豚汁を頼んで食事だ。ここからは冬山だ。皆さんはアイゼンを付けている。私は丹沢ではアイゼンは使わずチエーンを使うのだが、今回の山行きでは忘れてしまった。北海道育ちだ。ゆっくり注意して歩けば大丈夫だろう。
 14時52分山頂に出た。表尾根は雪が深くて難儀をした。15時32分木の股小屋に着いた。夜は同宿のご夫婦とストーブを囲んで四方山話で楽しい一時を過ごした。

 翌日、再度、塔の岳に向かった。気温が低いせいか雪がしまって歩きやすい。格別のことはない。振り返れば相模湾が光って見える。大倉尾根越しに富士山も見えるし、雪の入った山襞は絶好の被写体だ。こんなに手軽に冬山気分が満喫できるのだから言うことはない。尊仏山荘で一休みだ。若林さん、12月にこれだけの積雪は珍しいですよと言う。さもありなんと思った。9時30分、いよいよ下山開始だ。山頂から金冷しの区間は難儀をした。それでもロープやストックを使って何とかおりきった。とにかく若い人たちがどんどん登ってくる。皆さん、雪山でききとしている。花立からはまた、「歎異抄」を聴きながらゆっくとゆっくりおりてきた。親鸞聖人という方は大変な方だと思う。自ら愚禿と称されて深い教えを残されたのだ。恩師の河合先生が「現代に親鸞いでよ」と言われたが、こうして理解も十分ではないが、「歎異抄」を知り得たことを感謝している。2時10分大倉に帰り着いた。

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