第389回山行報告 丹沢山(’13/11/23〜24)

 久しぶりの大倉尾根だ。登り切れるかどうか不安だが、何時もの「ながら族」で登れば何とか登れるだろう。今日は、最近、読んだ勝海舟の「氷川清話」(電子書籍版)に触発されて、以前にも聴いている半藤一利「幕末史」(CD15巻)をもう一度聴こうという訳だ。

 9時42分大倉から歩き出した。とにかく下を見て、半藤先生の軽妙な講演を聴きながら歩く。スピードは出ないが、確実に登ってきた。
13時32分花立山荘に着いた。何時ものペースよりは40分近くタイムオーバーだが3年近くのブランクを考えるやむを得ないだろう。今回は何時もの休憩地点の他、観音茶屋、駒止小屋で小休止をした。14時32分山頂に着いたがガスで富士山が見えないし、風が冷たい。7時頃、ガスが吹き払われて視界明瞭となり、夜景を堪能する。

 朝起きると晴天だ。朝日を浴びている冠雪の富士が見える。今日は丹沢山を往復してこよう。7時2分サブザックで尊仏山荘を出発した。行き会う人も少ない山道を歩いていると次から次に最近の出来事が想起される。とりわけ、昔、北アルプスに遠出をした折り、一寸したご縁で知り合った松江のN先生から、今月、喪中のお葉書を頂いた。櫻の写真の注記に3月30日に妻と観た最後のお花見とあり、7月に奥様が病没されたとのことだ。何と申し上げて良いのやらわからないが、ただただご冥福をお祈りするばかりだ。「老いて、病んで・死んで当たり前」とは言っても簡単に得心できる話ではないのだが、これを真っ正面から受け止めなければならないのでしょう。私自身、この山道をあと何回歩けるものかと思うと心して残る生を過ごさなければと思う。

 9時43分に尊仏山荘に帰り着いた。コーヒーを頼んで一休みの後10時10分小屋を出た。下山は大倉尾根だ。「幕末史」を聴きながらゆっくりと下って13時45分大倉に帰り着いた。それにしても家では1時間も聴けば上々なのだが、この山道では7時間も集中して聴けるのだからさすが大倉尾根だ。

「幕末史」はまだ聴き終わっていないが、ずいぶんいろいろなことがあったものだと思った。昔、福沢諭吉の「福翁自伝」や「痩せ我慢の説」を読んでいて勝海舟に対する評価が気に掛かっていた。最近、電子書籍で勝海舟の「氷川清話」を読んだが、巻末の勝部真長の勝海舟伝で「永遠の批評家の福沢ごとにおれのことがわかるものかというのが勝の思いではなかったか」、「旧幕臣達の面倒を見る為にも体制内はいらなければならなかった」というこの2点の指摘に納得をした。勝海舟は「一大共有」という時代認識で次の来たるべき時代に止揚していたのだ。

11/23コースタイム
大倉9:42−−−−観音茶屋−−−10:49見晴小屋−−−一本松−−−11:38駒止小屋−−−堀山の家−−−小草平−−−13:32花立山荘13:55−−−14:32山頂
11/24コースタイム
尊仏山荘7:02−−−8:06丹沢山−−−9:43尊仏山荘10:10−−−13:45大倉


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