第385回山行報告 塔の岳(’11/1/9〜10)
 11年の初山行は9日に決めた。2ヶ月近くも間が開くと大倉尾根を登り切れるかどうか一寸不安になったので秦野からタクシーを利用して戸沢出会まで入り政次郎を登ることにした。

 「龍神の泉」の少し先で道が凍結していて車がスリップした。運転手さんがこの先は無理ではないかというのでやむを得ず車を降りて歩き出した。凍結していたのはこの箇所くらいで新茅山荘の前の広場には11、2台が駐車していた。戸川公園の先は初めてという運転手さん、悪路でびびったのかもしれない。

 11時15分休憩舎から歩き出した。今日は某評論家の講演で「鴎外と漱石」だ。この道は久しぶりだ。あまり変化がなくて退屈なので戸沢か登るときは書策新道を使っているが、今日はこの講演を聴くことが主たる目的だ。聴きだしたが話はあまり上手ではなく、行きつ戻りつの迷走型でやっと聴き終えた。この丹沢の山道でなければ途中で止めていたかもしれない。何とか聴き終えた。次は「小林秀雄と古典:だ。これは題目はとても興味があるのだが、10分位聴いたところで諦めた。「三島由紀夫を読み解く」に変えることにした。新潮社三島由紀夫全集の第41巻CD7枚組で三島自身の講演を聴いているのでこの三島由起夫文学館館長の講演は面白くこれなら登り切れると思った。13時14分政次郎の頭に出た。表尾根の稜線に出ると登る人が多くなる。書策小屋跡の前のベンチで一休みだ。14時7分に木の又小屋に着いた。政次郎の頭から木の又小屋まで1時間だ。戸沢出会まで車で入らなければ大倉尾根を登るのと格別な違いはないということだ。夜は担いできた日本酒を同宿の皆さんにふるまってストーブを囲んでランプの下で四方山話だ。

 翌朝はそうとな冷え込みだ。ホッカイロを2個、布団の中に持ち込んだのでそれほど寒さは感じなかったが、頭と肩が冷たくて夜中に毛布を頭からかぶっていた。ストーブに火が入ってから起き出した。零下7度とかで窓が真っ白だ。外も雪で一面覆われている。昨夜は星空であったのにと不思議に思った。同宿の人の話では2時頃星空なのだが雪が舞っていたという。8時5分小屋を出て塔ノ岳に向かった。雪道を浮き浮きした気分で歩いた。空は青空、振り返れば相模湾が光ってている。それにしても残念なのはカメラだ。少しでも荷物を軽くと5DMarkUを置いてきたことだ。持ってきたこのDMC−GF1は写りに何となく不満を感じている。よりによってとがっかりした。青空をバックに冠雪の富士山、朝日の当たる塔ノ岳山頂の尊仏山荘、シャッターを何枚も押した。山頂でも方向指示盤を入れて冠雪の富士山を撮った。何度も見慣れた風景でもこうして雪があると気持ちがすっかり新たになる。尊仏山荘に入って新年の挨拶だ。

 大倉尾根を下った。「三島由起夫を読み解く」を聴きながらゆっくり、ゆっくりと歩いた。堀山の家に入って新年の挨拶をした。ストーブの前で暖を取ってコーヒーを飲んだが、先客の方が写真集を手に話しておられる。びっくりした。この年配の方が石原永昌さんだ。早速ご挨拶をした。尊仏山荘に掛けてある塔ノ岳山頂から未明の秦野、平塚を俯瞰した大パノラマ写真を撮られた方である。山と渓谷社から出版された写真集「丹沢」は私も所有している。この後、聴きながらゆっくりゆっくり下ってきた。それにしても三島由紀夫のことはわからない。急ぐ旅でもないし、時間も早いので観音茶屋で一休みをした。

 大倉に無事帰り着いた。カメラは電池切れで大倉どんぐりハウスの看板を撮れなかったし、時計を見た記憶はあるのだが時間は失念した。帰りのバスの中で再来週は日帰りでもどこか歩かなければと思った。

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