第384回山行報告 東海道自然歩道(京都編)
(’10/11/27〜28)
 金曜日朝のテレビで京都永観堂の紅葉を報じていた。出勤途中の電車の中で週末京都の紅葉を写真に撮りに行くのもいいなと思った。夏、加賀白山に登っただけでもう一座どこか遠出をしたいものと思ったが果たせないで居た。そうだ京都に行こうと思った。事務所に着いてから家内に電話をして誘ってみた。土曜日は千葉の姉と、日曜日は娘と出かけるとのことで写真を撮るのなら一人の方がいいのではと断られた。そんなことで土曜日朝一番の新幹線にのった。一人なら日帰りでもよし、泊まってよし。とにかく「無計画の計画」と云うことで出掛けることにした。

 8時5分京都に着いた。駅の構内で朝食を食べてから観光案内所で宿のことを尋ねてみた。今日は全くありませんとのことだ。4時までに大阪に行けば何とかなると思った。ガイドブックも持っていないので何種類かのパンフレットも頂いた。2日間通用の市バス、地下鉄の乗車券を買い求め駅前のバス停に向かった。バス停は長蛇の列、とにかく永観堂だ。

 昔、誰も居ない阿弥陀堂に一人座って「永観、遅し」といわれ、振り返られたという「見返り阿弥陀」様をみたが、今日はとてもそんな落ち着いた雰囲気ではない。こっちも紅葉のいいアングルを探して堂内、境内を歩いた。

 次は南禅寺だ。「奥丹」という湯豆腐料理屋の前は11時前だというのに長蛇の列だ。広い境内を歩いて、奥の院まで足を伸ばしてみた。さすがこの辺りは喧噪と全くの別世界だ。静かな山道、京都のこんな町中にこういう所があるとは驚きだ。

 この後、戻って若王子神社まで来た。ここから少し山道を登って新島襄、山本覚馬のお墓をお参りしてこようという訳だ。害獣除けの柵を開ける。「イノシシが出没しています。出会っても興奮させないで静かにしてください。」と書かれた警告板がある。人影のない静かな山道をゆっくり、ゆっくりと登った。ここばかりはさすがに人影はない。ただ、昔、訪ねたときとは一変している。すっかり整備されたようだ。新島襄のことは知らない人はいないと思うが、山本覚馬のことを知る人は少ないと思う。新島襄夫人がこの山本覚馬の妹だということ、また日露戦争後の財政再建にあたる松方正義が山本覚馬にその方策を相談するために京都を訪れ、山本覚馬がこの方策で間違いなく財政再建は出来るが、場合によれば貴公の命がないかもしれなと云ったところ、松方正義がもとより覚悟の上と答えたことが都留重人先生の「戦後日本のインフレーション」という著書で紹介されている。私はこの話が深く脳裏に残っていてここを訪ねたのだ。今日の政治家にこの覚悟があるのだろうか。「百才有って胆力一つなければただの猿芝居」とは松平春嶽の言だ。

 哲学の道を歩いたが、人が多くて驚いた。静かな思索の道も今日ばかりは様変わりなのだ。銀閣寺に着いたが人が多くて、駅に戻ることに決めた。

 大阪駅の観光案内所で駅近くの安いビジネスホテルを紹介して貰い一泊した。ホテルの部屋に入ってから家に電話をしたが留守電だ。夜、駅近くのレストランでビールを飲んでたまにはこんな旅行もいいなと思った。

 朝7時5分快速で京都に着いた。駅構内で朝食を食べてからバスで高雄に向かった。早朝だと渋滞もない。
 紅葉の葉を通して神護寺の山門を撮った絵葉書を見た記憶があって、それらしき場所を探したがわからなかった。とにかくデジカメの気安さでシャッターを押しまくった。奥の院まで行って本堂を見下ろすアングルで紅葉を撮った。とにかく京都は写真になる。

 茶店で休憩した後、川沿いの道を歩いて清滝に向かった。なにやら西沢渓谷を思わせる道だ。京都の市内からこんな近くに豊かな自然がある。歩く人もほとんどがザックを背負ったハイカーで、先程、境内で出会った観光客とは服装が違う。
 清滝に着いた。とにかく歩け歩けだ。愛宕念仏寺、化野念仏寺と写真を撮った。この二つのお寺は石仏が恰好の写真の対象になる。化野念仏寺を出てから少し歩いたところの漬物屋で声をかけられ、時計を見ると12時半を回っている。ここのお茶漬け処で昼食だ。とても美味しかった。家内もこういう食事だけなら来るであろうが高雄から清滝、嵯峨野とこれだけ歩くとなるととても無理だろう。二尊院、常寂光寺、落柿舎、大河内山荘は来たこともあるのでパスした。写真もたくさん撮ったし、正直なところ500枚を超えると、いささか食傷気味だ。とにかく人が多い。保津川畔に出て渡月橋まで歩いた。人が多くてびっくりした。渡月橋からバスと地下鉄を乗り継いで京都駅に戻った。
 (今回の旅行が山歩きをテーマとするHPにふさわしいかどうか一寸と考えましたが、高雄から清滝までのコース(東海道自然歩道)を考え載せることにしました。)

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